今様
今様は基本的には七五調の四行詩になります。例えば有名どころで言えば、平安時代末期の今様を集めた「梁塵秘抄」には、
〝
仏は常にいませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見えたまふ
〞
(仏は常にいらっしゃるけれど、この世のものでないことがしみじみ尊く思われることだ。人の寝静まって物音がしない夜明けごろに、かすかに夢の中に姿を現されることだ)
というものがあります。
【「あはれ」は現代では「哀れ」というように憂いの意味が強いですが、古語では「しみじみ感じ入る」といった意味らしい。憂いの意味も含みますが】
これも分解してみますと、
仏は常に(七)いませども(五)
現ならぬぞ(七)あはれなる(五)
人の音せぬ(七)暁に(五)
ほのかに夢に(七)見えたまふ(五)
というように、規則的なつくりになっていることが分かります。梁塵秘抄に収められた今様は基本的にこの形式になっています。(一部例外もありますがそれは措く)なので、私はこの形式で今様を作っています。
まぁ梁塵秘抄によると今様はその歌い方にも独特なものがあったようなので、これだけで今様と言うと後白河法皇に怒られるかも知れませんが、私は現代人なのでそれでよしとしましょう。
なお、今様は必ずしも七五調ではなく、八五調になっていることもあります。例えば、同じく梁塵秘抄からの歌で、
〝
四大声聞いかばかり
喜び身よりも余るらむ
我らは後世の仏ぞと
確かに聞きつる今日なれば
〞
(四大声聞(仏陀の四人の弟子)の方々はどれほど深く、身に余る喜びを感じたことだろう。自分ら四人は後世には確かに仏になりうると、釈尊から保証の言葉を聞いた今日のことだから)
というものがあります。
これは二行目「喜び身よりも(八)余るらむ(五)」と、四行目「確かに聞きつる(八)今日なれば(五)」が八五調になっています。なので、八五調でもセーフだと思います。とはいえ、やはり基本は七五調ですが。
ただ、私の実感では、八音の場合、それは四+四で八になっていることが望ましいです。五+三や、六+二で八にすると、他の行と調子が合わなくなることがあります。
ちなみに「今様」とは「現代風」という意味で、長歌、短歌に比べると後の時代にできた形式なので、当時の人がこう呼んだものです。
この形式は後の時代にも生きていて、例えば芥川龍之介の「相聞」、
〝
また立ちかへる水無月の
嘆きを誰にかたるべき
沙羅のみづ枝に花咲けば
かなしき人の目ぞ見ゆる
〞
(また水無月になってきたが、この嘆きを誰に語ればいいだろう。沙羅のみずみずしい枝に花が咲けば、かなしくも我が想う人の瞳が思い浮かぶ)
も、この形式ですね。
また、軍歌「戦友」も、
〝
ここはお国を何百里
離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて
友は野末の石の下
思えば悲し昨日まで
真っ先駆けて突進し
敵をさんざん懲らしたる
勇士はここに眠れるか……
〞
というように、この形式になっています。(ちなみにこのように詩行が連続している場合、その中の一つの単位(この場合は四行で一つの単位)のことを「連(スタンザ)」と言います)
また、必ずしも四行詩でなくても、軍歌や和讃(和語での仏教賛歌)には七五調で作られたものが多いです。
また、軍歌のような体制側のものだけでなく、「メーデー歌(聞け万国の労働者)」のような、労働者の労働争議を呼び掛ける歌もこの形式だったりします。
〝
聞け万国の労働者
とどろきわたるメーデーの
示威者に起こる足どりと
未来をつぐる鬨の声
汝の部署を放棄せよ
汝の価値に目ざむべし
全一日の休業は
社会の虚偽をうつものぞ……
〞
他には、例えば有名な「うれしいひな祭り」もこの形式です。
〝
灯りをつけましょぼんぼりに
お花をあげましょ桃の花
五人囃子の笛太鼓
今日は楽しいひな祭り……
〞
(ちなみにこれは一行目と二行目が八五調になっています)