長歌
長歌とは、五七、五七、五七…というように、「五七」を三回以上繰り返して、最後に「七七」で終わる形式です。
これは日本で古くから行われている形式です。例えば、日本書紀の神武天皇紀に出てくる神武天皇の歌では、
〝
みつみつし 久米の子らが
垣本に 植えし山椒
口疼く 我は忘れず
撃ちてしやまむ
〞
(勇ましい久米の者共の、垣の下に植えられた山椒で口がひりひりする、(そのような過去に受けた痛手を)私は忘れはしない。撃ち果たしてやるぞ)
というものがあります。
これを分解してみますと、
みつみつし(五)久米の子らが(六)垣本に(五)植えしはじかみ(七)口疼く(五)我は忘れず(七)撃ちてしやまむ(七)
となっており、「久米の子らが」の六音節以外はほぼ完全に長歌の形式になっていることが分かります。(他にも長歌はありますが、古い歌の中にはあまり形式が厳密でないものもあります)
上の歌は「五七」が三回で、長歌としては最低限のものですが、もっと長いものもあります。例えば山上憶良の「貧窮問答歌」など。(ここでは、その後半の部分)
〝
……天地は 広しといへど
吾がためは 狭くやなりぬる
日月は 明しといへど
吾がためは 照りや給はぬ
人皆か 吾のみやしかる
わくらばに 人とはあるを
人並に 吾れもなれるを
綿も無き 布肩衣の
海松のごと わわけさがれる
かかふのみ 肩に打ち掛け
ふせいおの まげいおの内に
直土に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に
妻子どもは 足の方に
囲みいて 憂へさまよひ
竈には 火気吹きたてず
甑には 蜘蛛の巣かきて
飯炊く 事も忘れて
ぬえ鳥の のどよひ居るに
いとのきて 短き物を
端切ると 言えるが如く
しもととる 里長が声は
寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ
かくばかり 術なきものか
世の中の道
世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
〞
(天地は広いというけれど,私には狭くなってしまった。太陽や月は明るいというけれど,私のためには照らしてはくれない。他の人もみなそうなのか。私だけなのか。まれなことに人として生まれ,人並みに働いているのに,綿も入っていない、海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて,つぶれかかった家,曲がった家の中には,地面にわらをしいて,父母は枕の方に,妻子は足の方に,私を囲むようにして嘆き悲しんでいる。かまどには火の気がなく,米を煮る器にはクモの巣がはってしまい,飯を炊くことも忘れてしまったようだ。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると,ただでさえ短いもののはしを切ると言うように,鞭を持った里長の(税を出せという)声が寝床にまで聞こえてくる。こんなにもどうしようもないことなのか,この世に生きていくということは。
この世の中はつらく,身もやせるように耐えられないと思うけれど,鳥ではないから,飛んで行ってしまうこともできない。
現代語訳は
http://www.asuka-tobira.com/BUTAI/nara/hinkyumon.html
から。一部編集)
ここでは、「……かくばかり 術なきものか
世の中の道」までが長歌で、その後の
「世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」
は短歌ですね。
これも、五七、五七、五七……となって、最後に七七になっていることが分かります。
こうした長歌を、最後の「五七五七七」だけにしたものが短歌だと言えるでしょう。その短歌をさらに「五七五」だけにしたものが俳句で、時代が下るにつれてだんだん短くなっていますが、私はあえてその流れに逆らって長歌を作ってみようと思ったものです。
なお、五とか七とかはあくまで「音節」であって、「文字」ではありません。
例えば、「今日」はひらがなで書くと「きょう」で三文字ですが、「きゃ、きゅ、きょ」や「しゃ、しゅ、しょ」は一音節なので、「きょう」は音としては「二」です。古文では「けふ」ですしね。
しかし、促音(「やっと」の「っ」のように、小さい「つ」で表される音)は一音節です。なので、「やっと」や「きっと」は三音節になります。また、撥音(「ん」という音)も一音節です。