6
美紀は、眠ってしまったようだった。目が醒めると木村はとなりで考えごとをしているようだった。美紀の動く気配で木村は我にかえった。
「起こした?」
「ううん。」
「もう少し寝てた方がいい。睡眠不足が続いてたんだろ。」
「うん。」
美紀は、木村の温もりを感じながら再び目を閉じた。こんなにも安心した気持ちは久しぶりだった。眠たくはなかったが、木村の体はあたたかかった。ゆっくりと眠りに落ちていった。
夕方、目が醒めると、木村はいなかった。不安になって身を起こすと下着が肩から落ちた。裸のままだった。脱ぎ散らかした服はたたんでベッドサイドおいてあった。ゆっくりとそれを拾い上げると美紀は服を着た。それから電話を探すと家に電話をかけた。案の定家には誰もいなかった。留守番電話にメッセージを残すと電話を切った。ベッドにもどって、あらためて部屋を見渡してみる。6畳ほどのワンルームだった。キッチンは玄関を入ったところにある。部屋のなかは、驚くほど片付いていて清潔だった。フローリングにも埃がたまっていない。エアコンがつけっぱなしになっていて、温かかった。壁にかかった絵を見ていると玄関の鍵が回る音がした。ビニールぶくろのガサガサという音がして木村が部屋に帰ってきた。
「起きた?」
「うん。」
「これ、食べ物。買ってきた。腹、減っただろ。」
「うん。」
木村は、そういうと袋から野菜を取り出した。
「シチューでも作るよ。」
「あ、あたしも手伝う。」
「ありがと。」
美紀は立ち上がると、キッチンのほうへ歩き出したが、ふと尋ねた。
「ねえ、この絵、だれの?」
「うん?」
「この壁にかかってる絵。」
木村は美紀の視線を追った。
「ああ、それ。オレが描いたやつだよ。」
「なんだか、優しい絵だね。」
「ありがと。」
木村は美紀を抱き寄せてキスをした。
「さあ、シチューつくろうか。」
「うん。」
玉葱をいためながら、美紀は木村がじゃがいもをむくのを眺めた。木村は手慣れていた。
「木村君は、いつから一人暮ししてるの?」
「2年、くらいかな。」
「高校に入った時から?」
木村は、じゃがいもをむき終わり、手を止めた。
「うん。だいたいそんなもんだね。」
美紀は、じゃがいもやにんじんを鍋にいれた。
「家、遠いの?」
玉葱の焼けるいいにおいがする。
「いや、そうでもないけど。」
木村はそういうと、肉を取り出して鍋に加えた。水をいれて火を強くする。
「ふ~ん。」
美紀は、キッチンを離れて、ベッドに腰掛けた。
「あとは、煮えるのを待って、シチューミクスをいれるだけだ。」
木村も、美紀の隣に腰掛けた。テレビのスイッチをいれる。天気予報がながれだした。
「ねえ、どうして一人暮らしをしてるの?」
木村は、テレビを見つめていたが、その目は画面を見ていなかった。
「火事になったんだよ。家は。」
「え?」
「だから、今は一人暮し。」
「そんな・・・。ごめんなさい。」
「いいんだ。もう、だいぶ前のことだから。うちの親は死んだけど、ほら、オレ、霊体質だから。結構、声とか聞こえたりするし。」
「そう・・・。」
「時々は話すんだよ、親と。」
「そっか。うちは生きてるけど、あまり話、しないな。」
「そのうち、話もするようになるよ。いろいろ聞いとかなきゃいけないこともあるし。」
「そうだね。」
シチューが音を立てはじめた。木村は、立ち上がってコンロの火を弱くした。
「ねえ、今夜、泊まっていい?」
美紀は、木村の背中に尋ねた。
「親、心配するだろ。」
「しないよ。親には友達の家に泊まるって言うし。」
木村は、シチューミクスの箱を開けている。
「ね、いいでしょ。」
「じゃあ、電話して聞いてみたら?」
「うん。」
6時を過ぎた頃、着替えを取りに美紀は一旦家に帰った。母親が帰っていれば、話をするつもりだったが、まだ帰っていなかった。木村は一人で家に行くのは危ない、といったが、親がいたときに怪しまれるから、といって美紀は一人で帰ってきた。正直にいうと、美紀は少し怖かった。自分の家なのに、何かうすら寒い感じがする。急いで着替えをバッグにつめると美紀は家を出た。バスに乗って木村のアパートにたどり着くと、ほっとした。
「おかえり。」
木村は、パソコンで何かワープロを打っていた。
「話、してきた。いいって、泊まっても。」
本当は話などしなかったが、メモは置いてきていた。
パソコンの電源を落とすと、木村は立ち上がった。
「じゃあ、今日はゆっくりできるね。」
「うん。」
美紀は、バッグを置くとベッドに腰掛けた。
次の日の朝、美紀は木村と一緒に学校へ向かう地下鉄に乗った。学校までの時間は、いつもよりも短く感じた。教室の前で別れて自分の机についた。見慣れた教室、見慣れた机、だが、いつもより輝いてみえた。しかし、窓際の机を見たとき、一瞬のうちに幸せな気持ちが吹きとんだ。そこはさやかの机だった。座るものを失った、空席。さやかは、木村が好きだった。美紀は少し後ろめたさを味わった。
「美紀ちゃん。大丈夫?」
顔をあげると、クラスメートの香里が美紀の顔を覗き込んでいた。
「さやかちゃん、本当に自殺しちゃったのかな・・・。美紀ちゃん、さやかちゃんと仲よかったから。大丈夫?出来ることがあったら、なんでもいってね。」
「ありがとう。」
だが、美紀は後ろめたさがつのっていた。
その刑事が来たのは、学校から帰る途中だった。よれよれのブルゾンを羽織った男だった。みすぼらしい、と美紀は思った。
「高岡美紀さんですね。県警の吉田です。お話ししても、いいですか?」
美紀は、無言で頷いた。
「倉橋さやかさんのお友達にお話しを伺っているんですけど、一番仲がよかったのは高岡さんだと聞きまして。」
吉田は、キョロキョロとあたりをみわたした。
「立ち話もナンですから・・・。あの公園ででもお話しを・・・。」
美紀が2度目に老婆の幽霊を見た公園だった。
「あの、あそこはちょっと・・・。」
「え?ああ、そうですね。風も強いし。そうだ。近くに喫茶店ありませんか?コーヒーでよければ、おごります。」
喫茶店は空いていた。吉田はコーヒーを二つ注文すると、さっそく話をきり出した。
「ところで、高岡さんは倉橋さんが行方不明になる前日にご一緒でしたよね。」
美紀は、頷いた。
「その時、誰かと一緒でしたか?」
美紀は迷ったが、母親に尋ねれば、木村が一緒だったことはすぐにバレると思い、素直に話した。
「さやかの友達の、木村君がいました。夜10時頃、二人は一緒に帰りました。」
「そのあと、倉橋さやかさんから連絡はありましたか?」
「はい。11時頃に。」
「その時、なんと言ってました?」
吉田は、敬語を使ったり、使わなかったりで、いかにも普段と勝手が違う、と言わんばかりだった。美紀は直観的に、この刑事は普段は高校生を相手にしていないのだ、と思った。
「このまま、木村君の家に泊まるかも、って言いました。」
「そうだったんですか。」
ウェイトレスがコーヒーを持って来たので、吉田は話をきった。
一口すすると、吉田は話を続けた。
美紀は、手をつけなかった。
「その、木村君、ですか。彼の連絡先は、わかりますかねえ。」
美紀は一瞬戸惑ったが、隠す理由もないので、電話番号を口にした。
「ありがとうございます。いやあ、これも仕事でして。仲のいいお友達をなくされて大変な時ですのに、すみませんね。」
吉田はすこしもすまなそうな顔をせずに言った。
「あの。」
美紀は、さやかの発見された状況を聞いてみたい、と思った。
「はい、なんでしょう。」
「さやか、何処でどういうふうに見つかったんですか?」
「それは、捜査上の秘密、ってやつなんですが。」
「そうですか・・・。」
美紀は落胆した。
吉田にもそれは伝わったようだった。
「誰にも言わないですか。」
「はい。」
「倉橋さやかさんは、名古屋港近くの堤防下で見つかりました。死後10時間から12時間。発見されたのが早朝でしたから、前日の夕方に亡くなったってことになります。死因は水死です。」
「そうですか。」
新聞発表以上にことは何も言わなかった。最初から、話すつもりもないのかもしれない、と美紀は思った。
「自殺、って新聞には書いてありましたけど。」
「ええ。そう発表しました。」
「誰かに殺された、ってことはありませんか?」
美紀は、昨日の電話のことを思い出していった。
「なぜ、そう思いますか。」
「いえ、別に・・・。」
吉田はめんどくさそうにため息をついた。
「さやかは、いいやつだった。」
美紀はぼそっと言った。
「ええ。だから人に殺される理由はないでしょう。」
吉田は美紀に答えた。だが、どこか美紀に尋ねるような響きがあった。
「でも、自殺する理由なんかない。」
「さあ、それはどうでしょうか。私が高校生だったのは随分前ですが、ひとり自殺した友人がいましてね。そいつはいいやつでした。私と彼とは友人でした。悩みなんか全くないって顔でしたよ。でも高校を卒業した1週間後、自殺してしまいました。遺書も何もなくて、みんな、理由が分からないって悲しんでました。私も悲しかったですね。」
吉田は遠い過去を思い出すように窓の外を眺めた。通りには自動車ばかりが走っていた。
「どうして私に相談してくれなかったのか。そう思いました。どんな悩みだって聞いてやったのに。でも、考えてもその時は分かりませんでした。どうして奴は死ななければならなかったのか。考えても分からなかったんです。」
美紀は、吉田の顔を見ていた。吉田はそれを自分の話に興味があるのだ、と受け取った。自分の話が役に立つなら、それもいい、と吉田はおもった。。
「けれどね、ある日気付いたんですよ。こんなに考えても奴の死んだ理由が分からない。それが、奴の自殺の理由なんだってことに。奴は、他の誰にも理解されない悩みがあったんでしょう。それを誰に話してもわかってもらえない。だから、自殺するしかなくなってしまったんです。僕に彼が相談しなかったわけじゃないんです、きっと。ただ、僕はそれを冗談か何かだと思ったんですよ、たぶん。」
吉田は、美紀の顔に目を戻した。そこではっと気付いた。そんな話は、この子を追い詰めるだけじゃないか。何を言っているんだ。
「え、あの。でも。」
吉田は心のなかで悪態をついた。馬鹿が。そんなことだから、今になっても独身なんだよ、オレは。
とうとう、吉田は、美紀に打ち明けるしかない、という気持ちになっていた。
独り言のように、吉田はつぶやいた。
「倉橋さんは、自殺ではありません。」
「えっ?」
美紀はうつむいていた顔を上げた。
「その、こんなことは本当は申し上げられないことなんですが・・・。倉橋さんには亡くなられる前に出来たと思われる傷がありました。それに出かける時に着ておられた上着が見つかりません。」
「それが、どうして自殺じゃないということになるんですか。」
「傷は刃物による刺し傷です。非常に小さいものですが腹部の中心にありました。そんなところに傷があれば、警察としては調査をしなくてはなりません。」
吉田は美紀の顔を直視しながら言った。
美紀は表情を変えなかった。
「一昨日の夕方、あなたは何処におられたんですか?」
美紀は、吉田を冷たい目で見た。吉田は、そんな目でオレをみるな、と思った。
「そんなこと聞いてどうするんですか。」
「アリバイ、ですよ。一応、尋ねなくちゃならんのです。あなたを疑っているわけではありません。」
美紀は、席を立った。
「帰ります。」
吉田は、それまでの鈍い動きからは想像も出来ない素早さで美紀の腕をつかんだ。
「質問に答えてない!」
美紀は、その声に一瞬、ビクっとした。だが、すぐに立ち直って言った。
「おとといは、まっすぐ家に帰りました。家は共働きで、親は出かけていました。だから証明する人はいません。これでいいですか。」
美紀は吉田の手を振りほどくと店を出て行った。
吉田は、深くため息をつくと、美紀が口をつけなかったコーヒーに手をのばした。自分のコーヒーはとっくに空になっていた。
一口、飲んでテーブルに戻した。
すっかり冷めてしまって、苦かった。