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その夜、さやかは、美紀の家に来ていた。
「さやかも、幽霊にあったなんて・・・」
美紀は、さやかの後ろの壁を見つめ、言った。
「美紀、聞きたいんだけどさ、お昼の、えっと、1時くらいに、さ、なんか、私を呼んだりとか、そういうこと、しなかった?」
言いにくそうに、さやかは切り出した。美紀は、さやかを見た。
「って、どういうこと?」
「なんかね、その、美紀の声を聞いたんだよ、その、黒い影?みたいなのを見る前。わたしさあ、その声がなかったら、衝き落とされてたかもしれない。」
「なに、それ。さやかの命の恩人じゃん、わたし。」
「うん、そうかもしんない。」
美紀は、一瞬思い出そうとするかのように目をそらした。
「でも、そんな覚え、ない。」
二人は、しばらく黙り込んだ。オレンジジュースをすする音だけが部屋に響いた。
「ねえ、美紀。わたし、今日泊まっていい?なんか、一人で帰るの、怖い。」
「あ、いいよ。別に。どうせ、家の親なんて、無関心だし。さやかなら、別に平気だよ。
泊まってくの、初めてじゃないし。」
美紀は、そう言って、時計を見た。8時だった。
「お腹、減らない?さやか。」
「減った。」
「なんか、買いにいこうか。家、たぶん何にもないんだ、共働きだから。親、二人とも9時過ぎないと帰ってこないよ、今日。二人で出かけてるから。」
「デート?仲いいね、美紀ントコ。」
「そんなんじゃないよ。昼過ぎから出かけてるけど、ご飯作るの、めんどくさいんだよ、あの人達は。親と出かけるほど、子供じゃないしさ。」
「いいじゃん。なんか買ってもらえるかもよ。まあ、あたしだったとしても行かないと思うけどさ。」
その時、電話が鳴った。
電話は、美紀の母親からだった。案の定、遅くなるから適当に何か作って食べなさい、という内容の電話だった。美紀は、電話を切ると、振り返ってさやかに呆れたような顔をして見せた。
「じゃ、ローソンでも行きますか?それとも、吉牛行きますか?」
「美紀、こんな時間に、一人で吉野家とか、行くの?」
「たまに。」
「なんか、女捨ててない?」
美紀の家は、住宅街にあった。家の柵を閉めると、街灯に照らされた道を大通の方角に向かって二人は歩き出した。結局、美紀とさやかはコンビニ弁当を買うことにした。歩きながら、さやかは思いついたように言った。
「ねえ、木村君呼んでもいい?」
「なんで?」
「だって、木村君、こういうの詳しそうだし。」
「こういうのって、幽霊?」
「そう。だって、ほら、なんか、なんにもしないより、なんか、少しでも詳しい人とかに話したほうが気が紛れるっていうか。」
「さやか、ひょっとして、木村君に、気があるでしょ。」
「・・・。バレた?」
「それだけ、元気があれば充分だと思うけどなあ。」
美紀は、わざとイジワルっぽく笑いながら言った。
「いいじゃない。ね、じゃあ、電話するだけでも。コンビニから。」
「わかった。親友の頼みは断われんからね。ローソンに来てもらえば。」
女子高生にとって、コンビニで時間をつぶすことには苦労しない。ローソンで、立ち読みをしていると、木村はジーンズ姿で現われた。木村はヘルメットを持っていた。
「あれ、木村君、バイク?」
美紀は、雑誌を棚にもどしながら尋ねた。
「うん。学校には内緒ね。」
美紀の高校はバイクが禁止されていた。誰も気にしていなかったが。
コンビニを出たとき、時間は8時半だった。美紀の家につくと、美紀の両親は帰宅していた。
「あら、美紀。お友達?」
わざとらしく、母親は尋ねた。
「知ってるでしょ、さやかは。それと、もう一人は、さやかの友達の木村君。ローソンで会った。さやか、相談があるから、連れてきた。」
「あら、そう。あんまり遅くなっちゃ駄目ですよ。」
「分かってるって。」
美紀は、そう言うと階段を駆け上がった。
「こんばんわ。」
「おじゃまします。」
二人は、美紀に続いて階段を上がった。
美紀の部屋は6畳ほどの洋室で、小さな花柄が控えめに入った布団が小ぶりのベッドの上にあり、学習デスクが窓側に置かれていた。あとは14インチのテレビがあるだけ。生活感がない、とすら言えた。タンスや本棚は、別の部屋の押入にあった。これは、美紀の両親の方針で、勉強をする部屋には他に何も置かないほうが勉強がはかどるから、という理由からだった。両親にとっては、テレビも本当は置かせたくないのだが、美紀が、ΝHKの番組の中には勉強に役立つものもあるから、といって運びこんでいる。けれど、美紀はこのテレビで、ΝHKのロゴを見たことがない。
「美紀さんの部屋、きれいに片付いてるね。」
木村がいうと、美紀はコンビニで買ってきたサンドイッチを机の上に載せて振り向いた。
「うちは、親がうるさいんだよ。部屋が汚いと。」
「美紀の部屋、ポスターもないもんね。」
「しょうがないよ。気が散って勉強できないだろ、とかって言うからさあ、うちは。・・
・・それより、さやか、さっきの話、木村君にしなよ。」
「この間、部室でも話したけど、やっぱり、暗示が原因だと思うよ。さやかは、どちらかというと幽霊を信じやすいタイプだし。ただ・・・。」
木村は、口ごもった。
「ただ、なに?」
さやかは、木村を見つめた。
「美紀さんの時もそうだったけど、暗示で幽霊を見やすい場所じゃないんだよね。」
「木村クン・・・」
「あ、呼び捨てでいいよ。さやかも、普段はアキオミって、呼び捨てにしてるんだよ。」
「あ、そうなの。でも、しばらくは木村君って呼ぶわ。慣れるまで。あたしのことは、美紀って、呼んでもいいけど。」
「そうじゃないでしょ、二人とも。呼び方なんかよりも、アキオミの言った、幽霊を見るようなとこじゃない、ってどういうことなの?」
さやかは、二人の間に割り込んだ。
「ああ。」
「なに、ああ、って。」
さやかは、木村に素早く突っ込みをいれた。
「幽霊を見やすい場所って、決まってるもんだからさ。」
「たとえば?」
「幽霊が出るって聞いていた場所、とか出そうな雰囲気がある場所。」
「じゃあ、あたしや美紀の見た幽霊はなんなの?」
「そんなの、分かんないよ。」
さやかは、じっと木村を見つめた。
「美紀さん。美紀さんはどう思う?本当に幽霊を見たって、信じてる?」
「あたし?あたしは・・・。」
さやかと木村に見つめられて、一瞬美紀は言葉をとぎらせた。
「あたしは、最初、本当の幽霊を見たのかも、って思ってたけど。だけど、この前、木村君と話をして、幽霊を見たんじゃないって、思うようになった。」
「あの後、美紀さんは幽霊を見た?」
「ううん。見てない。」
木村は、さやかの方に向き直り
「じゃあ、さやかは?幽霊が出たって信じてた?」
「いつ?」
「じゃあ、まず最初に、美紀さんから幽霊の話を聞いた後は?」
「その時は、信じてなかった。美紀の見間違いだと思ってた。でも、部室で話をしたあとは、すこし信じてたかも。」
「そして、本当に幽霊を見た。」
さやかは、よくわからない、といった顔で木村を見返した。
「美紀さんは、最初の名古屋港で、変なバアさんに会った。それが暗示なっていて、そのことを考えながら帰る途中で再びバアさんを見た。そして、最初は信じていなかった、さやかは部室で幽霊の話を聞いた後、美紀の話を信じるようになった。そして今日、ベランダにいたとき、美紀に似た声を聞いて幽霊のことを思いだし、幽霊を見るんじゃないかという暗示を無意識のうちに自分にかけてしまった。そのことと、ベランダの排水管に引っかかったシャツを取ろうとして落ちるんじゃないかという恐怖とが結び付いて、衝き落とされる、という思いが起きた。それが、幽霊となって目の前に現われた。もちろん、その幽霊は見間違いに過ぎない。」
「本当?」
さやかは、木村を見つめた。
「有り得ることだよ。心霊現象好きの人に美紀さんやさやかの話をしてやれば、幽霊が出たかもしれない、っていうだろうけど。そんなこと言われたら、余計に幽霊を見てしまうかもしれない。少なくとも、今は美紀さんにもさやかにも悪い霊がついているような感じはない。だから、ほぼ確実に、二度と幽霊を見ることはない。もし見たら、それは幽霊なのか見間違いなのか確認してみなくちゃ。その時は僕を呼んでくれれば、心霊現象かどうかを調べてあげられる。」
そのあと、二人は帰っていった。木村がさやかをバイクの後ろに乗せていった。さやかは、今日は幸せな気持ちで寝られるだろう。幽霊のことなんか忘れているに違いない。美紀は二人を玄関まで見送って家に入った。そこには母親がいた。
「帰ったの?さやかちゃんと、お友達。」
「帰ったよ。」
「オートバイの音がしてたみたいだけど、お友達、オートバイなんかに乗っているの?」
「さあ、近くをバイクが走っていっただけじゃない?」
「そう。暴走族みたいな人とつきあっちゃ駄目ですからね。」
そういって、母親はキッチンに消えていった。インスタントコーヒーの香りがしていた。
夜の11時頃に電話があった。美紀が出ると、さやかからだった。木村の家にいるらしい。木村は何故か一人暮しのアパートに住んでいるのだという。さやかは、美紀に家から電話があったら、いつものとおりにアリバイを作って欲しい、といった。いつものとおりというのは、さやかの家から電話があったら、さやかはお風呂に入っていることにして、一旦電話を切り、さやかに連絡して、さやかから電話を掛けさせる、という方法のことだ。そのために、さやかは木村の家の電話番号を美紀に教えた。それから、さやかは
「明日、詳しく話すね。」
といって、電話を切った。のろけ話を聞かされるのは慣れている。だが、まだ聞かせたことはなかった。美紀は、きれいな部類に入る顔だちをしていたが、どこか近寄りにくい性格の持ち主だった。だから、というわけでもないが、付き合ったことのある男の数は少なかった。しかも、長続きしない。一方さやかは美人というわけでもないのだが、かわいらしい、と男に思わせる顔だちの女の子だった。そして、男にとって、顔だち通りの性格に見えるらしかった。美紀がアリバイづくりをしたのも、2度や3度ではなかった。以前、美紀と二人で旅行に行くと言って、4人で出かけたこともある。もちろん、男が二人ついてきた。一人は、その時美紀がつきあっていた男で、もう一人の男はその男の連れだったのだが、まんまとさやかは、その男と出来てしまった。美紀の方はというと、その旅行であまりに彼氏が頼りなくみえて、結局、しばらくして別れてしまった。さやかに言わせると、美紀は理想が高すぎるのだという。だが美紀は自分では不器用なのだと思っていた。
不器用だから、学校の成績も思ったほど伸びないし、彼氏が出来てもすぐに別れてしまう。さやかのように、細かいことにこだわらないで生きていけばいいのに、と思うこともたまには、ある。けれど、気がつくと、いつの間にか時間が経っていて、別れた彼氏には新しい彼女が出来ている。実力テストの結果はまずまずなのに、中間や期末では結果が出せない。高校の受験だって、もっとうまくやれたのかもしれない。だから、たぶん、大学の受験も、思ったほどいいところにはいけないかもしれない。
美紀は、そこまで考えて、ばかばかしくなってやめた。自分を追い詰めてみても仕方がない。2階の自分の部屋の窓を開けると、セイラムライトに火を点けた。4月の風は、まだ冷たかった。
あー、なんか未成年がタバコ吸って・・・・
時代です、時代。昔の時代設定なので見逃してください。