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 学校を出ると、美紀はウォークマンを耳に着け、地下鉄の駅に向かって歩き始めた。桜が散っていた。午後3時の歩道には余り人影はなかった。美紀には自動車の往来も、大音量のロックミュージックのせいで聞こえなかった。紙屑や地面に落ちた桜の花びらや学校の校庭の砂が吹き上げられて舞っている。強い風に、美しいものも、汚いものも、意味の無いものも差別なく空に吹き上げられていた。

美紀がふと、道の反対側に目をやった時だった。またしても、あの老婆がいた。その老婆は人影の無い公園の滑り台の下から、こちらを覗いていた。美紀のいる歩道とは、道路を挟んで反対側の公園の中なのでおそらく、40メートルぐらいは離れていただろう。しかも、ヘッドホンからはロックミュージシャンのシャウトが流れつつけている。なのに、美紀は、はっきりと老婆の声を聞いていた。だが、意味はわからなかった。ただ、ぶつぶつと呪文のように、美紀に向かって何かつぶやいていた。

 美紀は、目を見開いたまま立ちすくんだ。

美紀は、首を振った。いや、振ることは出来なかった。金縛りにあったように、身体がジーンと音を立てるように痺れていた。

美紀は、腹筋に力をいれて、振り絞るように声を出した。それは意味をなさない叫びだったが、老婆は顔を歪めるように笑うとゆっくり姿を、消え入るように、消した。


 

 「あれ?忘れ物でもしたの?美紀?」

美紀は、学校に戻っていた。声を掛けたのはクラスメイトの佳奈子だった。

「ううん、え、そう。」

「どうしたの、なんか顔色わるいよ。保健室行ったほうがいいんじゃない?」

「うん、大丈夫。それより、さやか、見なかった?」

「さやかなら、美術室じゃない?部活行くッテたから。」

佳奈子に「ありがとう」と言うと、階段を上った。美術室は4階だった。美術室の前までいくと、さやかは廊下で画材を片付けていた。

「あれ、入部希望?」

さやかは、おどけてたずねた。

「さやか、木村って人、紹介して。」

「どうしたの、なんかあったの?」

さやかは、美紀の顔色が悪いことに気がついた。

「まさか、また幽霊でも見たって言うんじゃないでしょうね。」

美紀は答えなかった。しかし、ちょうど、当の木村が美術室から出てきた。

「美紀さん。どうしたの?」

一瞬、どうして木村が美紀の名前を知っているのか、美紀には理解できなかったが、さやかの顔を見て、察しがついた。さやかがおしえたに違いない。さやかは少し慌てて、

「ああ、別によかったでしょ、結局、紹介することになったんだし。」

「まあ、いいけど。」

木村は、チラっとさやかのほうを見たが、

「美紀さん。なんていうか、その、悪霊みたいな奴につきまとわれてるみたい。」

「本当?なんか見えるの?」

「いや、ただなんとなく、そんな気がしただけ。」

サラっというと、木村は美術室のドアを開けた。

「入る?コーヒーもケーキも出ないけど、ポテトチップスぐらいならあるよ。」

美紀は一瞬ためらったが、さやかに押されるようにして美術室に入った。美術室には、部員が他にも数人いて、皆好きなことをしている様に見えた。絵を描いているものもいればコミックスを読んでいるものもいた。女子生徒が多かったが木村ともう一人男子生徒もいた。

「実は、あんまり活発に活動してるクラブじゃないから。」

さやかが、笑って言った。

「知ってたけどね。さやかって、別に絵とかうまくないもん。」

「お、それは言いすぎじゃない?」

さやかは、笑ったまま答えた。木村は長机の上に載せてあった雑誌や絵の具を脇に寄せると、ポテトチップスの袋を開いて置いた。そして、さやかの方を向いてから、

「さやか、パシリにいかない?ジュース一本おごったげるから。」

と、いうと300円をさやかに手渡した。校内の自販機は100円で缶ジュースが買えるのだった。さやかが出ていくと、木村は美紀の肩越しに美紀の後ろをチラと見た。

「美紀さん、幽霊見たんだって?」

美紀は、木村の顔をジっと見た。美紀が何も言わないので、木村は続けた。

「あんまり詳しい話は聞いてないんだ。よかったら、話してみない?オレ、ちょっとだけ霊感あるし。そういうの、興味あるから、なんか参考になること言えるかもしれない。」

木村は、美紀の顔を見た。美紀は、木村がからかっているようには見えなかった。それに美紀は先ほどの体験のショックがまだおさまっていなかった。美紀は昨日からの話を木村に話し始めた。


「すると、さっきも見たの?おバアちゃんの幽霊。」

ウーロン茶を飲みながら、話の途中から戻ってきていた、さやかが尋ねた。

「うん。」

「正直にいうとね、今は、美紀さんに何かついてるって感じはしないんだけどね。」

木村は、申し訳なさそうに言った。

「霊感あるって、さやかが言ったんでしょ。ただねえ、実はよく分かんないんだ、霊感って。幽霊を見たことはあるっていうのは本当なんだけどさ、いろんな情報を集めていくとさ、本当に幽霊だったのかどうか、わかんなくなっちゃうんだよね。」

「でも、美紀は見たんだよ、実際に。」

さやかが、反論した。

「その話自体は、もちろん信じるよ。僕も何度も幽霊を見てるから。それに、今感じないから、その霊が2度と現われないという保証はないし。ただね、催眠術を応用すると、幽霊は作り出せるって聞いたことがある。それどころか、簡単な暗示だけでも、幽霊を見ることが出来るようになるらしいんだ。」

「どういうこと?」

美紀は聞き返した。

「イギリスで、そういう実験をテレビでやったことがあってさ。」

美紀とさやかは顔を見合わせた。お互い、キツネにつままれたような顔をしていた。

「70年代のことらしいんだけど、テレビで、ある港の埠頭で幽霊がでるっていう話を放送したんだ。何人もの人が見ているって。そこで、テレビ局のクルーが幽霊になった、モトの人を探し出して、その人が、どんな人だったのか放送したんだ。」

「それで、どんな幽霊なの?」

さやかがきいた。

「牧師の幽霊で、その人はそこで殺されたっていう内容だった。別に危害を与えるってことはないって話だったんだけどね。そしたら、次の週から、テレビ局に、『わたしもその幽霊を見ました。』っていう電話や手紙がぞくぞくと届くようになったんだ。」

「テレビでやると、みんな見にいくからね。」

美紀が、鼻で笑いながら言った。

「ところがね、その幽霊話は、テレビ局の創作だったんだな。実際には、そんな牧師の幽霊のうわさは、もともとなかったし、もちろん、そんな事件も類似の事件も無かった。」

「じゃあ、幽霊を見たって言う人達は?」

さやかは、わけが分からないという顔で尋ねた。

「つまり、人間は『幽霊がでる』っていう暗示を掛けられると、見てしまうことがあるということなんだよ。」

「そんな、まさか。違う幽霊がいたんじゃない?だって、港でしょ?海で死んだ人の幽霊だったかもしれないじゃない。」

さやかは、まるで幽霊に出てもらいたいかのように反論した。

「そう。違う幽霊と見間違えたのかもしれないね。じゃあ、霧や影、本物の人間とだって見間違える可能性もあるよね。それが、問題の幽霊だと思った。それが暗示なんだよ。」

木村は、ぬるくなったポカリスウェットを飲み干した。

「じゃあ、見間違いってこと?幽霊なんか存在しない?」

美紀は疑ったままの瞳で尋ねた。

「いや、そうとはいえない。これは人間が幽霊を見るメカニズムの実験だったんだけど、このパターンで生み出される幽霊は結構多いんだよ。トンネルの幽霊のうわさって、聞いたことある?」

「あの、手が出たりするやつ?」

「そう。あれは、あまり地元の人間は見ない。たいてい『幽霊が出るんじゃないか』と期待して見にいった人が見るもんなんだよ。」

美紀とさやかは、顔を見合わせた。

「じゃあ、美紀の見た物はなんなの?」

「あせるなよ、さやか。美紀さんの場合、暗示によって幽霊を見たとは考えにくい。そもそも、幽霊が出るような場所ではないからね、名古屋港は。今日の出来事は、暗示によるものだと言い切れなくもないけれど。」

「つまり、あたしは、昨日、実際にちゃんと生きた薄気味の悪いババアに会っていて、それによって、今日、暗示にかかって、幽霊を見た、ということ?」

「うん。論理的に考える限り、そう。」

木村は、そう言って、ポテトチップスの束を口に放りこんだ。



 さやかは、昼の12時に目が覚めた。さやかにとって、休日である土曜日はいつもこのぐらいの時間に起きる。もっとも、普段も、母親が起こしに来なければ夕方まででも寝ているに違いない。さやかの部屋は、マンションの7階にあった。賃貸のマンションで、家族3人が暮らしている。郊外にあるせいで賃貸料の割には広いマンションだった。土曜日に限らず、日曜日を除いて毎日、さやかの母親はスーパーへ10時にパートに行く。父親は、単身赴任で大阪にいる。

 「さて、コンビニへ出かけるか、それとも、冷めたナポリタンを喰うか。」

シャワーから出た、さやかは濡れた髪をタオルで拭きながらつぶやいた。ドライヤーに手を伸ばす。熱風に髪をまかせながら、目を閉じた。手で髪をすきながら、『チャラ』をハミングする。ドライヤーのスイッチを切って目を開けたとき、鏡の隅に、人がいたような気がした。さやかは、振り返った。が、そこには、誰もいなかった。

「おかあさん?」

返事はなかった。

さやかは、見間違いだと思った。


 結局、さやかは、サークルKまで出かけることにした。マンションの玄関でサンダルを引っかけてドアを開けようとした時、雨が降り始めた。さやかは、傘を無意識的につかんで、そのまま出掛けようとしたが、母親に、いつも言われていることを思い出して踏みとどまった。

洗濯物を取り込まなければならない。これを忘れていると、さやかは、その日中、文句を聞く羽目になる。大急ぎで、居間を駆け抜け、ベランダのサッシを開けた。ベランダは、幅2メートルぐらいのスペースがあって、洗濯物の他に、枯れかかったプランターの花や月に一度帰ってくる父親の乗る自転車なんかも、あった。文句を言いながら洗濯物を取り込み終えた、さやかがふと見ると、風で飛んだのだろう、さやかのシャツがベランダの端のパイプにからまっているのを発見した。そのシャツの絡まっているパイプは雨樋の排水用で、隣の部屋のベランダとの空間が1メートルぐらい、その真中に一本、一階までつながっていた。ベランダの端までいって、さやかは手を伸ばした。その時、声が聞こえた。

「あぶない!」

美紀の声だった。驚いて、振り返ると黒い影が一瞬、さやかを衝き落とそうとしているのを見た。さやかは、悲鳴を上げながら、頭を抱えて、とっさに座り込んだ。目は当然固く閉じたままだった。そして、また悲鳴を上げた。その人影を追い払うかのように悲鳴を上げ続けた。その間、一度も顔を上げなかった。いや、怖くて上げられなかった。

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