黒猫と病気
しかし、それから五日たっても雪の容体は悪くなる一方だった。
「ゴホッゴホッ」
「雪、やっぱりお医者様を連れてくるよ」
「ゴホッ、大丈夫だよ、ゴホッ」
咳の回数は増え、熱も下がらず、少し動いただけで息切れをしてしまう。また、隠しているが喀血だってしている。ただの風邪にしては症状が重すぎる、医者に見てもらうべきだと判断した言ノ葉はそっと家を抜け出し、町へと走った。皮肉にも、太陽は明るく元気に輝いていた。
言ノ葉が医者の住む家に行くと患者はいないようで、医者はお茶を飲んでいた。
「お願いします!雪が、家族が病気なんです!助けてください!」
言ノ葉は精一杯の声で医者に向かい叫んだ。それはもう、空に照り輝く元気な太陽にも届くほど大きな声で。
「黒い猫?こりゃあ縁起がいいな。もしくは俺が肺を患っているのか?」
しかし、医者にその声は届かなかった。医者の耳には言ノ葉の言葉が鳴き声にしか聞こえなかったのだ。
「は?何言ってるの?そんな事より雪を治してよ」
「にしてもよく鳴く猫だな。黒猫は労咳を治すとはいうが生憎俺に労咳の症状は出てないんだよな。そういえば前に労咳で両親を亡くした娘が居たっけな。確かその娘も労咳を患っていたな……」
医者は独り言を言いながら思案し、「お前の主人になってくれるかもしれない人の所に行くぞ」と、言ノ葉の頭を撫でる。しかし、言ノ葉の頭の中には混乱しかなかった。労咳の症状は何時ぞやの旅人たちが話していたのを聞いていたから覚えている。最初は風邪に似ているがいつまでたっても良くならずに命を落とす。治療法もない最悪の流行り病だ。医者に抱えられたまま進んでいくと辿り着いたのは案の定雪の家。
(雪は労咳?黒猫が労咳を治すって?)
様々な疑問が人間よりもだいぶ小さい言ノ葉の脳内に過ぎる。信じ難い、が、しかし医者の言葉と着いた先から導かれる事実は一つ。言ノ葉の脳味噌がたとえ米粒位しかなかったとしても分かってしまっただろう。初めて会った日、雪は猫を探していた。そして、労咳を治すといわれている黒猫……
(雪は労咳を治したくて僕を飼ってたんだ)
言ノ葉がそう思った時、来客で目を覚ました雪がゆっくりと出てきた。
寝てなきゃダメだよ!
少し前なら言ってただろう事をも言わずに言ノ葉は町医者の腕から抜け降りて駆けて行った。どこに向かうわけでもなく、ただひたすらに走る。利用されただけだった?騙されてた?「家族」だって言ってくれたのは嘘だった?
考えれば考えるほど思考は悪化する。それでも考えずにはいられなかった。記憶の中でほほえむ雪が、七日程しかない思い出が全て偽りだったかのように感じた。
気がつけば森の奥深く、獣神様の声を聴いた祠にやって来ていた。
言ノ葉は獣神様なら何か知っているのではないか。そんな淡い期待を抱いて再び獣神様に呼びかけた。
(雪は黒猫を探していたの?)
(別に僕じゃなくても良かったの?)
(言葉を喋る僕じゃなくても、黒い猫なら誰でも良かったの?)
聴きたいことは山ほどあった。でも、今言ノ葉が一番知りたいと思ったのは、(なんで他の猫や雪以外の人間に僕の声が届かないの?)という疑問だった。
これが獣神様の言っていた『犠牲』なのか。その事についてだけはどうしても知りたかったのだ。それ以外の疑問は、雪本人に聞けば分かることなのだから。
「獣神様、獣神様。どうか私に再び御声をお聞かせください」