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恋に落ちるなんて、そんなこと

作者: 神崎 涼

「恋はさ、落ちるものなんだよね、ほんとに。なんかこう、目が合った瞬間ビビッてくるの。自分はこの人が好きなんだーって本能が訴えかけてくる、みたいな」

友達の香織がそう話していた時、私は何を馬鹿な、と思っていた。

そもそも私は恋をするということ自体よく分かってない。

ちゃんとその人のことを知って、その人の良いところに惹かれるならまだしも、初めて会った人を好きになるなどあり得ない。

そう思っていた……はずなのだ。

君に会うその日までは。


その日も私は、いつもと同じような一日を過ごしていた。

三十分ほど電車に揺られて大学に向かい、講義を三コマ受け、十七時半にバイト先へ向かう。

大学二回生の私は、去年の五月頃から約一年間、講義のコマ数は変わりながらもその日と同じような日々を送っていた。   

大学は決して難関と呼べるようなレベルではなかったが、自分が小さい頃からやりたかった学問を学び、友人と一緒にほどほどに活動している運動サークルに入り、飲食店でのバイトも忙しいながら楽しくやっている私の毎日は、それなりに充実していた。

香織に言わせてみれば恋をしていない大学生活など二割程しか楽しめてない、とのことだったが、少なくとも、私は満足していた。

皆がみんな、香織のように恋愛至上主義だと思ったら大間違いだ。


その日、いつもと一つ違うことがあったのは、バイトでのことだった。新しい人が入ってきたのだ。

といっても、五月になり新入生も少しずつ大学生活に慣れ始めたこの時期に、新人が入ってくることは特に珍しいことではない。

今年度に入ってからはこれで三人目だ。

うちの店は十一時に閉める。

その日は閉め作業と片づけを行った後に、シフトに入っていたみんなを集めて新人の軽い自己紹介があった。

「成瀬祐希です。よろしくお願いします」

丁寧な口調ではきはきと話すその男の子は、私と同じ大学の一回生で、透明感のある人だった。

鼻筋の通った、男子大学生にしてはかわいい顔をしており、身長はおそらく百七十センチくらい。

私が百六十三センチあるので、私より少し大きいくらいであった。

成瀬君のあいさつの後に、各々も軽い自己紹介をしてその日は解散となった。


うちの店は大学近くにあるということもあり、バイトは半分以上が店の周りに一人暮らしをしている下宿生だ。

実家通いで大学近くの店でバイトしている私みたいな人間は少数派で、私はいつも一人で電車に乗って帰っていた。

話を聞くと成瀬君も私と同じ方面からの実家通いであるらしく、途中の駅まで一緒に帰る流れになった。

特別仲の良い友達以外の人と二人になるくらいなら一人でいたい派の私は、正直なところ少しめんどくさいなあと思った。

そうでなくても成瀬君とはなんとなく、二人にはなりたくないと思っていた。

なぜかはよく分からないが。

今まで関わったことのないタイプの男子で、どう接すればよいかよく分からなかったからだろうか。

 

駅までは電車で逆の方面に帰る人もいたから、特に会話に困ることはなかった。

成瀬君が、ほとんど喋らない私の方を時折り見ていたことは気付いていたが、私はどうもそっちを向けなかった。

駅について電車に乗ると、いよいよ二人きりになった。

「えっと、朝倉さんですよね」

まともに喋ったこともない人に急に名前を呼ばれたものだから、私は目を白黒させた。

「え、もうみんなの名前覚えたの?」

「あ、いえ。全員ではないですけど。俺、人の名前覚えるの得意な方なんです」

成瀬君はやや焦ったような顔をしていたが、驚いていた私は特に気にならなかった。

「そうなんだ。さっきも言ったけど、朝倉楓です。改めてよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

そういうと、成瀬君は笑った。

その笑顔を見た瞬間、私は、やばいと思った。

そして、前に香織が言っていたことを思い出す。

違う、これは違う。

恋なんかじゃない。

だって私のタイプは年上で頼れそうな人だったはずだ。

同い年ならまだしも、年下なんてもってのほかだ。

それに成瀬君とは今日初めて会って、会話したのも今が初めてだ。

今まで関わらなかったタイプの男の子と喋って少し動揺しているだけだ。

言い訳とも言えそうな言葉の羅列を、頭の中でずっと捲し立てていた。

その帰り道、電車の中で十五分ほど成瀬君と話していたはずなのだが、話の内容はほぼ覚えてない。

別れ際にさよならと言ってきた成瀬君に、ぎこちない笑顔でじゃあねと返したことだけが、唯一覚えていることであった。


その日の夜は、柄にも無くなかなか寝付けなかった。

成瀬君のあの笑顔がふいに脳裏にちらつく。

別に私は男性にそこまで慣れていないわけではない。

はっきりと特別な関係になった人はいなかったが、仲のいい男友達はいるし、告白をしたことだってされたことだってある。

それでもこんなことは生まれて初めてだった。

これは恋なのか。いや、恋のはずがない。

そんな自問自答を繰り返して、夜もあけようという頃に私はようやく眠りについた。

次の日起きたときの私の顔は、それはひどいものだった。


成瀬君に初めて会った日から二ヶ月が経っていた。

私は相も変わらず普段通りの生活を送っていた。

勉強もサークルも概ね順調で、バイトでも大した出来事はなかった。

成瀬君とシフトが被った日には、帰りの電車を二人で一緒に帰ることがあったくらいだ。

成瀬君は思っていたよりもずっと喋りやすい人で、決してはしゃぐようなタイプではなかったが、時には冗談を言い合うくらいには打ち解けていた。

「昨日のドラマ観ました?」

「あの新しく始まったやつでしょ?録画はしてるんだけど、まだ観てないんだよね」

「結構面白かったですよ。特に最後とか、まさか主人公が走りながら……」

「わー!まだ観てないって言ってるじゃん!やめてよもう」

私はわざとらしく口を尖らせたが、内心ではこんな掛け合いを、楽しいと感じていた。

いたずらっぽく笑う成瀬君の顔はバイト中には決して見せないようなもので、そんな顔につい目をやってしまう。

成瀬君に初めて会った日からずっと心の中にあるこの感情に、私は未だに名前を付けられずにいた。

しかし、まだ分からないのだが、絶対に違うと思っていたのだが、もしかしたらこれは、恋なのかもしれない……?

「朝倉さんって、好きな人とかいるんですか」

心の中でもやもや考えているときに、急にそんなことを聞かれるものだから、私は素っ頓狂な声をあげてしまった。

「へっ?好きな人?いや、いない。いないかな、うん」

「じゃあ、今度デートにでも行きませんか」

「デ、デート?!」

またもや変な声をあげる。

驚きのあまり成瀬君の顔を見つめると、成瀬君は目をそらしてしまう。

何だ。

この人は何を考えている。

もしかして軽い男なのか。

そういえばバイト先の女友達から、成瀬君が女の子と二人で歩いているところを見たという話を聞いたことがあった気がする。

軽い気持ちで誘いに乗ってはいけないのか。

男の人からデートに誘われるという経験がなかった私は、どうすればよいのか分からずしどろもどろしていた。

「駄目……ですかね」

そう言う成瀬君は少し不安そうに笑った。

その顔を見た私は、この人が何を考えてるかは分からないが、きっと大丈夫だと思った。

「いいよ、行こう」

そう告げると、成瀬君は笑顔になった。

「ありがとうございます」

今週の土曜日に遊ぶ約束をして、その日は別れた。


あの日から、土曜日を楽しみにしている私がいた。

どんな話をしようとか、成瀬君はどんな服が好きなんだろうとか、そんな恋する乙女のようなことばかり考えてしまう。

いや、実際、私は恋をしていたのだろう。

その気持ちを、私はデートの前日にようやく認めた。

どうしよう、明日思い切って告白してみようか。

あまり恋などは分からない私だが、思ってからの行動は早い方だと自負している。

実を結んだことはないのだが。

しかし、きっと成瀬君は私のことは好きではない。

勢いだけで突っ込んで、いつも通り失敗するくらいなら……。

ええい、なるようにしかならない。

今日はもう寝よう、とその日は日が替わらないうちにベッドに潜り込んだ。

 

デートの当日は、朝から雲一つ無い快晴だった。

七月半ばの日差しはこれから夏に向かうことを示唆するように照りつけ、しかし風が吹くと心地よい、そんな過ごしやすい気候だった。

私は散々迷った果てに、細めのジーンズに白シャツというシンプルな服装で待ち合わせの十三時に間に合うように家を出た。


待ち合わせの場所についたのは五分前。

成瀬君はもう待っていた。

なんて声をかけよう。

ごめん、待った?と、そんなベタなセリフでいいのだろうか。

生まれて初めてのデートに私は緊張しているらしい。

そんな私が声をかける前に、成瀬君はこっちに気付いた。

「こんにちは、朝倉さん」

「こんにちは、成瀬君……」

好きだと意識してから初めて成瀬君の顔を見た。

私はこの人に恋をしているのか。

そう思うと何だか無性に恥ずかしくなって、なんとか気をそらそうと私は聞いた。

「そういえば、今日はどこに行くの?」

「どこに行こうか迷ってたんですけど、映画とかはどうですか。俺ちょうど見たい映画があって。朝倉さん、ラブストーリーは大丈夫ですか」

映画には大賛成だった。

今の状態で成瀬君と二人で話すには、少し落ち着く時間がほしかった。

ラブストーリーも普段はあまり見ないが、嫌いというわけでもない。

「うん、大丈夫。映画にしよっか」

初めて異性と二人で映画館に入ったのだが、これがなかなかに緊張するものだった。

まず何といっても距離が近い。

隣を向けば、成瀬君の顔がすぐ近くにあるのだ。

さらに暗くてよく見えないので、何か話すときに成瀬君は少し顔をこちらに近づけてくる。

その距離は手のひらほどしか離れておらず、私の心臓は常に波打っていた。

そんな私の隣で、成瀬君は無邪気に笑っている。

「俺、映画が始まる前の予告の時間好きなんです。今から映画が始まるんだ、ってわくわくしませんか」

いつもより二割増し柔らかい笑顔をしている成瀬君を見て、成瀬君はこんなに映画が好きだったのかと思った。

これは知らなかった。

今度は私が好きなミステリーを提案してみようか。

もし、今度がくるのなら。

その映画は、体の弱い女の子とその女の子に恋をした男の子の話だった。

少し悲しめのハッピーエンドは私の好みの類で、途中からは隣の成瀬君の存在を忘れるくらい映画に夢中になっていた。

はー、久しぶりに恋愛物を見たが、なかなかに面白かった。

エンドロールまで終わってシアターの光がぽつぽつとつき始めてから成瀬君の方を覗くと、その瞳はややうるんでいた。

私の視線に気付いた成瀬君は、照れ臭そうに笑っていた。


「面白かったですね、映画。俺主人公の男の子に感情移入しちゃって少し泣きそうでしたよ」

映画を見終わった後、しばらく街をぶらぶらとしてから、五時半頃に入ったイタリアンレストランで私たちは少し早めの夜ご飯を食べていた。

「うん、最後の主人公のセリフには確かにグッときたよね。ラブストーリーもたまにはいいかなって思った」

「朝倉さん普段は何見るんですか?」

「私結構雑食なんだけど、ジャンルとしてはミステリーが一番好きかな」

「俺ミステリーはあんまり見ないなあ……。今度面白そうなのがあったら、もしよければ誘ってくれたら嬉しいです」

「も、もちろん。きっと誘うね」

成瀬君が私と同じことを考えてくれていたことがすごく嬉しかった。

成瀬君と気兼ねなく映画を見に行ける、いや、映画だけでなくいろんな場所に遊びに行ける関係になれればいいのに、とそう思った。

 

夜ご飯を食べ終わった私たちは、近くの公園のベンチに座っていた。

世の中のイマドキの大学生たちは、デートで夜ご飯を食べた後はどこに行くのだろうか。

私にはこの後の流れが全く思いつかない。

ぼんやりとあたりを照らす電灯の光を眺めながら、どこからか聞こえる虫の声を聞いていた。


昨日の夜は、明日は勢いで告白してやろうか、なんて考えていたのだが自分はなんて甘かったのだろう。

いざそれが可能な状況になってみると、そんなことを考えた途端、頭は壊れた車輪のようにグルグルと回り始め、心臓は手綱が解けた馬のように暴れまわる。

それなのに口は微動だにしそうにない。

そんな時間が随分と続いた。

こんなに黙りこくっている私のことをおそらく成瀬君は変に思っているだろう……。

そういえば、成瀬君もさっきから何も話さない。

一体どうしたのだろう、と考えた瞬間、成瀬君が口を開いた。

「俺、一番初めに覚えたんです。朝倉さんの名前」

「え?」

「俺のバイトの最初の日、みんなが自己紹介してくれたの覚えてますか。店閉めまで終わって帰る前です。そこで朝倉さん見たときに、俺なんか目を離せなくなっちゃって。だから他の人はまだでしたけど、朝倉さんの名前だけは憶えてたんです」

そういえば帰りに初めて二人になったときに、急に名前を呼ばれて驚いたことがあったことを思い出す。

あの時は、この人は他人の名前を覚えるのが得意なのか、羨ましい、とそれくらいしか思わなかった。

「あ、そうなんだ。ありがとう?」

突然突拍子もないことを言われて、私はまだ成瀬君が何を言おうとしているのかに全く気付かないでいた。

「初めのうちは何でか分からなかったんですけど、朝倉さんと一緒にいるとすごく楽しくて幸せな気分になるんです。……きっと僕は初めて会った時から、朝倉さんに恋をしていたんだと思います」

まさか。

成瀬君が私に、恋をしていた?

余りにも予想外のことに、嬉しさよりも驚きの方が大きかった。

「……ほんとに?」

「はい。朝倉さん、好きです。僕と付き合ってください」

信じられない。

信じられないが、幸せで自分の胸が熱くなるのを感じる。

いや、泣きそうなのかもしれない。

いろんな感情が混ざり合っていたが、それでも私の気持ちは。

「嬉しい。すごく嬉しい……。私も、成瀬君のことが好き」

口にしてしまえば、あんなに悩んでいたことが嘘みたいに、簡単に答えが出た。

私も初めて会った時から、成瀬君に恋をしていたのだ。

やった、と緊張が解けたように笑う成瀬君を見て、私も笑った。

 

私に年下の恋人ができるなんて、あなたに会うその前日までは思いもしなかった。

恋なんてよく分からなかった。

それは今でもよく分かってないのだが。

それでも、あなたに会った日から私の中に在ったこの感情は、紛れもなく恋だったのだと今なら言える。

やはり私は、恋をした私の人生がする前より五倍も楽しいとは思わない。

それでも、これからあなたの隣で過ごす人生が今までより楽しくなることは確信できる。

これからよろしくね、と愛おしいあなたに向かって私は心の中でつぶやいた。


二作目です。

前作より少し長めのを書いてみました。


感想やご指摘などいただけると嬉しいです。お願いします。

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