ごはんで仲直り
一日というのはあっという間だ。朝日が昇ったと思ったら、特筆すべきこともないままに日が暮れる。何もできなかった焦りとか、反対に仕事に忙殺された疲れとか、そういうことしか思い返せない日々ばかりが連綿と続いていく。
「ふぅ……」
魔王の家の外壁によりかかりながら、俺は夕暮れを眺めていた。魔王の小屋は山の少し小高い所にあり、見晴らしがいい。
立地条件は街から遠くて利便性に欠けるが、夕暮れに染まる山間の街が一望できるこの景色には、それを覆すだけの付加価値があるに違いない。
「もうすぐ、今日も終わりか……」
誰に言うでもなくつぶやく。
正確には夜中の零時で今日が終わって明日になるわけだけど、気持ちの区切りとしては夕暮れの方がしっくりくる。
特に子供の頃なんかは、寝るのが早かったせいかその傾向がより顕著だった。あの頃は、夕暮れを見ても今日も終わりだなとか綺麗だなとしか思わなかったし、価値がどうのなんて微塵も考えなかったけれど。
「今日は、何ができたっけな……」
暮れゆく夕陽を眺めながら、ちょっとセンチメンタルな気分に浸る。子供の頃は毎日のように新しい何かができていたし、こうして一日の疲れをしみじみと感じることもなかった。
ちょっと大人になってからは、今日は何をしたかなんて思い返して、普段できないことをどれだけできたかなんて指折り数えようとして、そういや何もできなかったなんて気分が塞ぐことも多かったけど――
「その点、今日は特別だったな」
魔王に召喚されて二日目。まだ何が何やらで新しいことの連続だ。疲れを感じている暇もない。普通の人にはできない経験もたくさんした。
天井に激突させられたり身体を消されたり。
「余計に気分が塞いでくるわこの野郎!」
「あわわっ!?」
一人突っ込みをすると、家の中から悲鳴が聞こえた。そして「どんがらがっしゃん!」と音がしたかと思うと家の扉が開き、コロンと魔王が転がり出してきた。
「何してんだお前……」
地面に仰向けになった魔王を半眼で見やると、魔王は無言のまま服についた砂埃をはたいて立ち上がる。それからやけにゆっくりと腕を組み、鋭く俺を睨んだ。
「いきなり大きな声を出すなよ! びっくりするだろ!」
「びっくりしたのはこっちだっつーの」
一人突っ込みにこんなリアクションが返ってくるなんて想定の範囲外だ。
大道芸人や政治家じゃないんだから、対応できなくてもそのくらいの言い訳は許される気がする。
そもそも、いったい何がどうしたら今みたいに家から出れるんだ?
魔王に疑問符つきの視線を向ける。
視線が合った途端、勢いのあった魔王の態度が何か思い出したように急にしおらしくなった。
「ええっと、その、だな……」
歯切れも悪く、ぐるぐると目線が泳ぎまくる。まるでトンボの前で指を回した時のようだ。いや、あれって正確には目を回しているわけじゃないらしいけれど。
「なんだよ。言いたいことあるならはっきり言えよ」
煮え切らない態度の魔王に先を促すと、魔王がしどろもどろに答え始める。
「も、もうすぐ、夕飯の時間だから。準備しようと思うんだけど」
「だから?」
「そ、その前に、お昼ご飯をさ……」
魔王がポケットから布包みを取り出して俺に突き出した。そこまでされて、ようやく合点がいく。そういえばちゃんと昼飯を食べていなかった。契約不履行のことを考えたら、何か食べてさせてもらわないとまずい時間帯だ。
「……ありがとよ」
受け取って、包みを開ける。中にはおにぎりが三つ入っていた。さっき転がったせいか少し形がいびつだったが、かまわず一つ手に取って口いっぱいに頬張る。
「お。うまいうまい」
一つ目を二口で平らげる。二つ目に手を伸ばした時、魔王が遠慮がちにつぶやいた。
「さっきは、ごめん」
「何が?」
むしゃむしゃ食べるのに夢中なふりしながら、視線も合わせず軽い調子で尋ね返す。本当は魔王がなんのことを言っているのか、なんとなくわかっていた。
わかっていたけど、空とぼけてワンクッションを置かないと気恥ずかしいというかなんというか。
少し言いにくそうにしながら、魔王が話を続ける。
「さっき、キミのことを友達じゃないと思ったことだよ。少しだけ、消しちゃっただろ?」
「ああ。マジで死ぬかと思ったね」
自業自得なことろもあるから、あくまであっけらかんとした口調で応じる。それでも魔王はちょっと傷ついたような顔をした。
冗談だよ本気にすんなと思いながら、表情を盗み見ていたのがばれないよう再びおにぎりにかぶりつく。
半分くらいは、どの程度までケンカしたら消されるか試していた――なんて、言える雰囲気じゃなかった。
「こ、こっちだって好きで消したわけじゃないんだぞ! そーじゃなくて!」
立ち上がり勢いのよかった反論のような言い訳が。
「キミがいけないんだぞ! いくら起きてってお願いしても起きてくれないし、早起きして作ったご飯もちゃんと食べてくれないし……」
後半戦になるにつれ、泣きごとのような不平不満で尻すぼみになって、
「私だって、本当は……」
そして最後には下唇を噛み、魔王は俯いてしまった。
「俺は別に、怒っちゃいねえよ」
最後のおにぎりを胃に納めてから、俺はできるだけぶっきらぼうに言い放った。
「ほ、本当に?」
魔王が自信なさげに聞き返してきて、ああやっぱこういう風に聞き返されるのって逆にイライラするなあっていうかさっき同じようなことしたばっかだしホントに自業自得だなぁとか考えながら、茶化すように言った。
「俺は怒ってない。魔王のくせに泣くな馬鹿」
「な、泣いてない!」
魔王が目元をこすりながら叫ぶ。俯いててわからなかったけどマジで泣いてたのかよと思いつつ、割とシリアスに謝られたせいもあってちょっと胸に来るものがあった。
その気持ちに引きずられるのが癪で、強引に話題転換を図る。
「おい、このおにぎりもうないのか?」
「う、うん。それで最後。お昼の残りなら、まだあるけど」
「昼の残り?」
思わず復唱するように聞き返してから、遅まきながらその言葉の意味を悟る。
「もしかしてお前、昼飯も握り飯の他に作ってくれてたのか?」
「か、勘違いするなよ! 別にキミのためじゃないんだからな!」
「魔王のくせにそういうこと言うな」
無表情にばっさりと言い放つと、魔王が少しむくれた。
俺は前髪をばりばりと掻き上げながら、魔王に言った。
「昼飯、用意したならそれも食べさせてくれないか」
「なんだ、お腹すいてるの? だったらすぐに夕飯を作るから――」
言いながら、いそいそと家の中へ戻ろうとする魔王を引きとめる。
「夕飯はちゃんと食べるさ。でもその前に、昼飯も食べさせてくれ」
俺のわがままに、魔王が少し口を尖らせる。
「わかったよ。じゃあ、温め直すからちょっと待ってて」
「いや、今すぐ食べたいから、そのままでいい」
「でも――」
「いいんだよ。そのまま食べる」
温かい飯を、一番美味いできたてで食さないのは料理人に対する冒涜だ。
食べさせてもらうだけの立場なら、余計に罪は重くなる。
それだけのことをしてしまった後ろめたさがあったから、謝罪の代わりに世辞の一つでチャラにしようと試みる。
「お前の腕なら、どんな料理だって冷めても美味いだろ」
「……っ! ま、待ってろ! すぐ準備するから!」
先ほどの三倍増しのスピードで家の中へ戻る魔王。やっぱりこいつ単純だなぁいつか悪いやつに騙されるんじゃないか、と少しだけ将来を心配してやりつつ、俺もその後に続いて家の中へ入る。
魔王の機嫌を損ねた時は、何かにつけて褒めてやることにしよう。
俺が飯を食べている間、終始でれでれした笑みでこちらを観察している魔王を見て俺はそう思った。
ずっと一人で友達もいなかったのなら、そういう経験も不足しているはずだ。
両親もいないようだし、俺がその役割を担ってやる必要もある。
そんな一端の大人みたいなことを考えながら、俺は魔王が作ってくれる飯を食べ続けた。