エピローグ
「予想以上に高くついたよな……」
「これでも安い方だよ」
俺のぼやきに、隣の魔王が律儀に応じる。
ガタンゴトンと馬車の荷台が揺れるたびに、尻から頭に不快な衝撃が抜けていく。
既に日は高く昇っているが、特にすることもないので魔王と二人で馬車の荷台で身を寄せ合ったまま、一枚の古臭い布きれにくるまったままだ。
というか荷台に身動きできるほどのスペースがない。商品が入っているらしい木箱が山積みになっている為だ。出発して間もなくは、木箱が頭の上に崩れてくるんじゃないかと不安でたまらなかった。
「こんな状態で一週間とか……我慢できる気がしない」
「でも、もう先払い済ませちゃったし」
魔王と二人、ギャロへと向かうことにしたわけだが、問題はやはり金だった。ギャロまでは歩いて行けば一月はかかる距離がある。ほぼ着の身着のままの俺たち、つまり魔王には一月を外泊や外食でやり過ごす持ち合わせなんてなかった。
主な移動手段である馬の二頭どころか一頭すら買う金もなく、路銀節約の為に行商人の馬車に世話になる事にした。荷の積み下ろしなどを手伝うことを条件に、格安で途中まで連れて行ってくれるらしい。短期の住み込み働きのようなものだ。
だが基本は荷台で売り物と一緒の雑魚寝だし、労働環境はよくない。荷台にも屋根はあるので風や夜露は凌げるが、魔王との契約を守るために給仕係から魔王を経由して手渡される食事なんかは、石ころみたいに固いパンと白湯みたいに薄いスープだけだ。契約順守の限界ラインについて色々と試してはいたが、流石にこんな状況でも契約違反にならないとは思わなかった。
「今思えば、特に働かずに美味い飯が食えたお前との生活は最高だったな……」
「家に戻るのを反対したのはキミじゃないか」
「あのままあそこに留まるのはさすがに危険すぎるだろ」
「ほんとに勇者が味方してくれるなら平気だと思うけど」
「…………」
不意に黙ってしまった俺に、魔王が慌てふためいた。
「勇者ってのはキミのことじゃなくて! シャルロットの方だよ!」
「いや、わかってるけど」
「じゃあなんで黙るんだよ! なんか不味いこと言っちゃったのかと思ってビビったじゃないか!」
魔王が噛みつくように睨んでくる。というかなんでビビってんだよと思いつつ、これほど素直な物言いをしてくるヤツに、やっぱり隠し事をすべきじゃないんだろうなぁと観念めいた感情が生まれる。
「……いろいろと黙ってて悪かった」
「え? えぇ!? そんな今さら謝られても、困るというかお互い様だし、私も……」
いきなり頭を下げられると思わなかったのか、魔王がしどろもどろになる。
「正直に言うと、お前の家を出ると俺が決めたのは、俺の見栄というか、くだらないプライドみたいなものなんだ」
「黙ってた事ってそっちのこと!? 危険だからって事以外になんか理由あったの!?」
魔王がひとしきり驚いた後、今度は半眼になった。
「あ、でも、その見栄とかプライドってたいしたことないでしょ」
「なぜそう思う」
「あんな自堕落な生活してた人がそんな大層なプライド持ってるわけないし」
「……お前に頼るのは別にいいんだ。友達だからな」
わざと「友達」というキーワードを入れて告げると、魔王は頬をわずかに赤く染め、上擦った声を出した。
「ふ、ふーん? まぁ別に? 私もそれくらい全然いいけどね? そこまで頼りにされてるなら期待に応えるのもやぶさかじゃないし」
こいつやっぱりちょろいなと将来を案じてやりつつ、俺は早口で言った。
「おまえならいいがシャルロットには頼れないのが俺の見栄だ」
「? よくわかんないけど、困ったことがあったら私にどーんと任せていいからね」
頼りにされるのがよほど嬉しいのか、魔王がより上機嫌になる。薄い胸を逸らしながら謎の自信を漲らせて不敵に笑う。口にした通り俺の言ったことをよく理解してなさそうだが、元より事細かに言伝しておくつもりもなかった。
見栄というのはかつて養子に迎えたシャルロットに世話になりたくないというだけのもの。義理とはいえ親だった男の、つまらない矜持だ。
再会していきなり記憶喪失とか嘘ついてしまった手前、合わせる顔がないというか、逃げているという自覚も勿論あった。マジで今さらどの面下げていいのかわからない。
かといってこの先、魔王に頼っていいのかという問題もあるが――現在、あらゆることから現実逃避の真っ最中だ。
自分の中で明確な指針といえば、何があっても魔王の味方をするという一点を除いて他にない。魔王から食事を、生きる糧を与えられた時に決めたことだ。それがせめてもの罪滅ぼしでもあるし、こんな状況でこいつを見捨てるのはさすがにないよなぁくらいのことしか考えてない。
「ん?」
ふと、持ち込んだ数少ない自分たちの荷物――着替えなどを詰め込んだ麻袋が仄かに発光しているのに気が付いた。
「なんだこれ」
ぼやきながら、麻袋に手を突っ込んで光源らしきものを掴む。謎の光の正体は、ヨルコに貰った羊皮紙だった。羊皮紙がうっすらと輝き、よく見るとヨルコへの連絡先の他に、見覚えのない文字が綴られていた。
『こんにちは勇者さま』
「……おい魔王、ヨルコにこの羊皮紙貰った時、こんなの書いてあったか?」
魔王の目の前に羊皮紙を突き出して見せると、魔王はふるふると首を振った。
「書いてなかったよ。字は銀糸の刺繍だけだったと思う」
言われてみればその通りだ。突然の謎発光、そして覚えのない文字の出現、これは――
「たぶんこれ、魔法だよ」
「……まぁ、そうなるよな」
魔王の言葉に同意する。相変わらずどういう仕組みか理解は及ばないが、目の前の現実なのだからこういうものもあるのかと認める他にない。
そしてなぜか無性に嫌な予感がした。
しばらくして「こんにちは勇者さま」の文字が消え、また新しく文字が浮かび上がった。
『勇者さまが魔王に脅されているという事情はヨルコから聞きました。可及的速やかに魔王を倒し、勇者さまを助けるべく駆けつけますので、今しばらくお待ちください』
「これ、差出人はシャルロットか……?」
送り手の名前が現れないので確証はないが、文脈から察するに、シャルロットが俺に呼びかけているようにしか思えない。さらに言うなら内容が不穏だ。
「なんか私がキミを脅してるとか、今すぐ私を倒しにくるとか書いてあるんだけど!?」
隣から羊皮紙を覗き込んでいた魔王が、取り乱して唾を飛ばしながら叫ぶ。俺は顔に付着した魔王の唾を手のひら拭いながら、一つだけはっきりしていた魔王を守るという信念がぶれそうになるのを必死に堪える。
「そんなに心配しなくても大丈夫だろ」
「大丈夫なわけあるか! シャルロットの力っていうのはホントにやばいってキミももうわかっただろ!? 特に怒って見境を失くしている時はマジでやばいんだよ!」
「落ち着け!」
慌てふためく魔王の肩を抱く。そしてその肩口で,手のひらについた唾をしっかり拭き取る。お返しだ。
「キ、キミこそなんだいきなり!」
裏返った声で応じながら、魔王がもぞもぞ身動ぎする。
俺は手を拭ったのがばれないようにいったん身を離して魔王の目をまっすぐに覗き込む。
魔王と視線を合わさせることで肩口から注意を逸らす作戦だ。
「シャルロットが怒っているとしても、それは勘違いだ。俺が何としてでも説得して誤解を解いてやる。お前を守ってやる。俺を信じろ」
「キミがそういうこと言うときって、なにか裏があるような気がするんだけど……」
疑いの眼差しを向けた後、魔王がふて腐れたように言う。
「それに、信じろなんて言われなくても、最初からキミのことは――」
ドドン、と爆発音が響いて魔王の言葉を遮った。馬車が止まり、行商人たちが何やらせわしなく動き回る気配がする。
爆発音はかなり大きかったが、ずいぶん遠方からのように感じられた。花火の爆発音と似ているが、今はまだ昼間だ。あるいは何かの祝砲、もしくは山賊たちの襲撃の合図――
「ちょっと見てくる」
魔王にそう言って立ち上がり、荷物の間をすり抜けて荷台から降りる。
ちょうど目の前を横切った商人に声をかける。
「おい、何があったんだ」
「空を見りゃわかるだろ! 勇者様だ!」
「空?」
言われるがまま、上空に視線を移す。
太陽が二つあった。
そのうちの一つが、高速で移動していた。自然のものとは到底思えない急制動で、動く方向を変える度に、何拍か遅れてドン、ドドンと音が届く。
やがて太陽の動きがぴたっと止まる。その頃にはうっすらと、動いた軌跡に雲ができ始めていた。次第にはっきりと見えてくる雲の形は、空に描かれた文字のように見えた。
『スキ』と読めた。
商人たちが口々に雑談を交わし始める。
「なんだろな、あれ」
「シャルロット様の出陣の告知はなかったよな。緊急事態ってわけでもなさそうだが」
「ありゃあ、『好き』っていう俺たち国民への粋なメッセージってやつかね?」
「だったら嬉しいねェ。顔を見たことはねェが、勇者様ってべっぴんさんなんだろ?」
「一度くらいは拝んでみたいもんだよな」
「ばか、見えねえのがいいんじゃねえか。それに、直に見たら燃え死んじまうらしいぞ」
「うぇ。それはごめんだ」
「オレは故郷に婚約者がいるからな。こんなんで浮かれてたらどやされちまう」
商人たちの話を聞き流しながらぼんやりと雲文字を見ていた俺を呼ぶ声がした。
「おーい。何かわかった?」
俺が戻らないことに痺れを切らしたのか、魔王も荷台から降りてくる。そしてすぐに上空の異変に気が付き、唇をわななかせた。
「あ、こ、む……!」
「あこむ?」
何言ってんだこいつという視線を向けると、魔王が何度か口をパクパクさせて声にならない声を出した後、ようやく意味のある音を発した。
「あれこっち向かって来てる!」
「え……?」
言われて再び空を見上げる。『スキ』形の雲は少しぼやけたくらいでたいした変化はない。
もちろん雲が向かってくるわけもない。向かって来ているのは――高速で動き、先ほどまで静止していた太陽だ。
わかりにくかったが――ゴオオオオォォ……という不吉な音が周囲に轟き始めてから、皆が魔王の言葉の真実に気づき――パニックを起こした。
「こっちにくるぞぉおおおお!」
「馬車を出せぇええ! 早くしろおお!」
「荷は捨て置けぇ! いいから逃げるんだよォ!」
「おめぇが顔を拝みてぇなんて言うからだこん畜生が!」
「この仕事が終わったらオレは結婚式を挙げるんだぁぁあああ!」
狂乱の最中、魔王が服の袖を掴んできた。見やると、足をがくがく震わせ、目を泳がしまくった魔王がどもりながら尋ねてくる。
「ま、ま、守ってくれるって言ったよね?」
俺の魔法は「敵」の攻撃を跳ね返す。だが、俺はシャルロットに対して嘘ついて申し訳ないという気持ちはあっても敵だなんて微塵も思ってはいないし、何よりタックルを思い切り受けて死にそうになった前例もあるし、おそらくは――
「ごめん、やっぱ無理」
俺が爽やかな諦観と共に笑顔でそう言うと、魔王は脱兎の如く駆け出した。
私について来いと言わんばかりの魔王の背中から、俺は何気なく上空へと視線を移す。
高速で動く太陽、もといシャルロットは、既にしっかりと距離を認識できるまでに迫りつつあった。煌々と燃え盛る火の玉が尾を引きながら――なぜか倒すと宣言した魔王ではなく明らかに俺の方へと向かってきていた。まるで胸元に飛び込もうとするかのように。もしくはタックルをブチかまそうとするかの如く。
「……また先に逃げやがったな!」
俺は叫び――せめて魔王も巻き込むために、魔王を追って同じ方向へと走り出した。




