飼い主として
魔王は暗い廊下を全力で駆け抜けた。
すでに目は慣れている。
突き当りを曲がって、さらに走る。
それほど広くはない屋内だ。
行き止まりはすぐそこだった。
立ち止まろうとしたら、裾を踏んづけた。
足がもつれてこけた。
お尻を廊下にしたたか打ちつけた。
「ぐぬぬ……」
お尻をさすりながら痛みの波が去るのを待つ。
五秒、十秒、待ってもすぐにその時は来ない。
ポチを召還する前にも、同じように転倒したことがあった。
あの時は、友達ができたなら心配して手を差し出してくれるに違いないと確信していた。その後、笑い話の種にして面白おかしく二人で語らう姿まで連想していた。
気配もないのに後ろを振り返って、ポチが追いかけてきていないか確かめた。案の定ポチはいなくて、こらえていた涙がじわっと溢れた。
先ほど、ポチとヨルコの会話は聞いていた。勇者たちのいざこざで、自分まで危険かもしれないということだったが、そんなことはどうでもよかった。命を狙われるなんて、そんなのはいつものことだ。それよりも――宿屋が揺れて思わず部屋から飛び出した時、ポチと目があった。
これ以上はつき合えない。ポチの瞳はそう訴えていた。けど、私は聞かなかったふりをして、追いかけてこいと走ったのだ。なのに……
袖で目をこすり、魔王は鼻をすする。
……べつにいいさ。ポチなんか、転んだ私に手を貸してくれるどころか、その姿を見て笑い転げるような奴だ。もし仮に手を差し出してくれたとしても、信じて手を握ったら余計に酷い目にあわされるかもしれない。
実際、仲直りの握手しようとしたらそういうことされたし。
むくりと起きあがり、お尻を叩いて埃を落とす。
だがその動きはひどく緩慢で、自分でもじれったさを覚えるほどだった。傍目にもわざとらしく、何かを待っているように見えたかもしれない。
何かを待っている。
嫌というほど自覚している。
本当は、べつによくなんかない。
「待ちなさい魔王!」
聞こえてきた声は期待していたものではなかった。だが、もしかしたら二人で追いかけてきたのかもしれない。足音は一人分のように聞こえるが、たまたま重なっているだけかもしれない。
魔王らしく、待て言われた通りに堂々と待つ。
すぐに声の主が姿を現した。ヨルコだ。その後ろには誰もいない。
待てと叫びながら追いかけてきたわりに、ヨルコはこちらの顔色を見て何かを言いあぐね、それから気まずそうに目を逸らした。
「……ポチは?」
魔王から口火を切ると、ヨルコは複雑な表情を浮かべた。それは魔王にとって見慣れた彼女の表情だった。哀れみや同情、そういったものを隠しきれていない。
それでも、彼女とは友達になれない。
ヨルコは色々と便宜を図ってくれているし、魔王も恩義を感じてはいる。けれど、ヨルコは勇者シャルロットの仲間だ。私が魔王を名乗る以上、その線引きはなくせない。
「こっちには来ないわ」
断言してから、ヨルコが今度こそ覚悟を固めた表情で、魔王の顔を正面から見つめた。
「魔王、あの人をどうやって――ポチをどうやって呼び出したの?」
「……普通に、召喚魔法で呼び出して、契約したんだよ」
魔王は歯切れ悪く応じた。使い魔を召還しないと約束していたのだから、それを裏切った後ろめたい感情は当然あった。
「死者を蘇らせることを、普通と言われても困るわね」
ヨルコが少し笑った。面白さに由来するものというより、自虐的な笑みだ。
「でも、あなたでさえ――召喚者が、召喚する相手を明確に選ぶことはできないはずよ。質問を変えるわ。どういう条件付けをしたの?」
「それは……」
言いよどむ。条件付けは召喚契約における肝心要。
そこには嘘偽りのない術者の本心が透けて見える。
口にするのは、個人的に綴った日記帳を暴露するのとなんら変わらない。
『とりあえず私を裏切らないやつ出てこい!』
そんな『条件づけ』をしたことを、友達になれなかった相手に打ち明けたくは――
「今答えるつもりがないなら、後でいいわ。とりあえず脱出するわよ」
何気なく、本当に何でもないかのようにヨルコに手を握られた。そのまま手を引こうとするヨルコに、魔王は思わず叫んでいた。
「ポチがまだ来てない!」
「彼は敵と戦ってくれている。その間に、まずはあなたを逃がすわ」
「嫌だ! ポチと一緒じゃないと私はここを動かないぞ!」
「彼はあなたの為に、危険を顧みず敵を引き付けてる。その挺身を無駄にするつもり?」
ヨルコが厳しい口調で魔王に問う。このままでは有無を言わさず連れて行かれそうだ。
そんな気配を察した魔王は、必死に頭を回転させた。ヨルコの言う通りこの場に留まるのは危険かもしれないが、このままポチと引き離されたら、二度と会わせてもらえない可能性だってある。使い魔を召喚しないという約束を破ったのは私の方だ。
でも、そんなのは嫌だ。
魔王は咄嗟に答えた。
「ポチが死んだら私も死ぬんだ! そんなの関係ない!」
「え」
ぴたり、とヨルコの動きが止まる。相手が怯んだ。
なぜ怯んだのかはこの際どうでもいい。勢いに乗じて一気呵成に責め立てる。それが得てして勝ちに繋がる。ポチとのケンカで学んだ極意だ。
「私が死んでもポチ死ぬけどな!」
「えぇ!?」
ヨルコが「わけがわからないわ……」とドン引いた顔をして、魔王は勝利を確信した。ヨルコが手を口元にあて、何か考えるような素振りを見せる。魔王から視線を逸らす。
その隙を見逃さない。さっとヨルコの横をすり抜ける。
「あっ!」
ヨルコの声を上げるのを尻目に、魔王は廊下を駆ける。
ポチは私の後を追いかけてこなかった。
だからってそれで関係を終わらせられないし、終わらせたくない。
追いかけてこないなら、私から迎えに行く。
そして今度は、ちゃんと追いかけてくるように躾けなければ――




