反逆者
「危なかった……」
山の麓、街の外れにある小さめな宿場の看板を見上げながら俺は安堵の息をついた。
五体満足で一部の欠損もない。
もちろん特殊な性癖に目覚めてもいない。
いたってノーマルだ。ロリコンでもない。
隣では、シャルロットが俺に寄り掛かるようにして眠っていた。
シャルロットが急に意識を失ったときは驚いたが、精霊契約で「夜の九時には寝る」ことになっていて、時間が来ただけだと狸寝入りしていたヨルコが教えてくれた。朝六時まで何があっても起きないらしい。
「ていうかヨルコ、助けろよ」
俺の文句を無視して、ヨルコが一足先に馬車から降りる。そして一人でさっさと宿屋に入ったかと思うと、すぐに引き返してきて告げた。
「貸し切りにしたわ。今夜は私たちもここへ宿泊するから、シャルロット様をベッドに運んであげて」
宿屋の主人と思しき中年の女性が宿から出てきて、こちらに一礼してから去っていく。
「わざわざ貸切りにしなくても……」
契約の順守の為に宿の支払いは一応、魔王に持ってもらうつもりだった。だが、魔王も既にぐっすり眠りこけている。
「夜で視界が利きにくいとはいえ、シャルロット様の近くに普通の男性が近づいてしまったら危ないのよ」
「……そういうことならまぁ、いいか」
やや棘のある態度のヨルコに、俺はぼやくように応じた。
このまま宿泊しても、おそらくは問題にはならない……はずだ。仮にペナルティが発生しても一瞬で消滅するわけではないようだし、何かあってから魔王を叩き起こして解決する算段をすればいい。
「じゃ、お言葉に甘えさせてもらう」
ヨルコに礼を述べてから、寝ている魔王を抱えて馬車を降りる。そして魔王を起こさない程度には気を遣いながら、急ぎ足で宿舎の中へと入った。
宿の内装は控えめな外観から想像した通りのものではあったが、一晩明かすには上出来といえた。少なくとも蜘蛛の巣張っていた魔王の城(笑)よりは上等だ。
一番近い客室のベッドに魔王を寝転がしてから戻ると、ヨルコが非難するように俺を睨んできた。そのまま無視するのも気分が悪かったので、こちらから尋ねた。
「さっきからなんだよ」
「そっちが先なの?」
ヨルコの質問に、一瞬、何のことかわからなくてぽかんとしてしまう。
「シャルロット様を運んであげてとお願いしたはずよ」
「え? あぁ、そうだったな」
先ほどからどこか不機嫌そうだったヨルコの声は、今や明らかな怒気を孕んでいた。しかしそれが自分のせいだとは思いもせず、つい生返事で応じてしまった。
そんな俺の態度に、ヨルコが表情を歪ませた。
今度はなぜか、今にも泣きそうだった。
「あなた、本物なのよね?」
突然の脈絡もない物言いに、一瞬、どう誤魔化すか戸惑った。
その沈黙を肯定と受け取ったのか、押し黙った俺にヨルコが詰るように言った。
「あなたがどういった性格の人間なのか、伝え聞いた話ばかりで私にはわからない。今までどこで何をしていたのかも知らないし、何か事情があるのかもしれない。だけど……」
言葉を切った後は、責めるような口調ではなくなっていた。
「シャルロット様は、十年間もあなたを――勇者ユイスを慕い、追い続けてきたのよ。それがどれほどのことなのか……汲んではもらえないの?」
ようやく、俺がシャルロットより魔王を優先して運んだことを咎められたのだと気づく。
言い訳をさせてもらうなら、年少から先に運んだに過ぎない。
何も問題はない一般論だ。ロリコンだからではない。
でも、シャルロットのことをずっと傍で見てきたヤツには、許せないことだったんだろう。
「……おまえ、いいヤツだな」
茶化すように言うと、ヨルコは顔を伏せた。
「否定はしてくれないのね……」
その声は明らかな失望の色が伺えた。
裏を返せば期待されていたとも言えるが……本物ならばそんなものは、とっくの昔に裏切っている。
魔王に負けた人間を、勇者とは呼ばない。
俺はシャルロットを見た。静かな寝息を立てている少女。
『一年前に俺が引き取った女の子』の面影がある。
成長したら絶対美人になると思っていたが……彼女の魔法、空を衝くような業火を見た後でも、未だに彼女が勇者だという実感はない。
そもそも、全てに現実感がない。
最初からありえないと思いながら、それでも自分を騙し騙し言い聞かせてやってきた。
だけど、シャルロットが俺の名前を呼んで……ここまできたなら、認めないのはそれこそ現実逃避というやつだ。今なら空から美少女が降ってきても驚かない。
死んだと思ったら、十年経った世界に放り込まれた――これ以上にわけわからなくて驚くようなことなんて他にない。
「ヨルコ。この人、自分が勇者ユイスと思い込まされているだけじゃないんか。洗脳とか暗示とか、それくらいなら魔法じゃなくても可能や。それに本物なら、もっと年取ってないとおかしいやろ」
これまで沈黙を貫いてきたクラフトが口を挟んでくる。
というか、こいつがいたことを忘れていた。
本能的に存在を抹消していたのかもしれない。
「確かにそうだけど、シャルロット様にあれだけ触れて、精霊に燃やされないのであれば……本物以外にありえないのよ」
ヨルコが俺を見ながら断言する。
俺をユイスだと認めたのはこれで三人目だ。俺とシャルロット、そしてヨルコ。哲学的に言えば我思う故に我ありなのかもしれないが、他人に『これ』と認識されてようやく、自分の輪郭が定まるものだと俺は思う。
でも、この世界に戻ってきて、最初の他人……魔王は、俺を勇者だとは認めなかった。ユイスではなくポチだと名づけた。
だから俺は――
「これはこれは! こんなところで奇遇ですなぁ、ヨルコ様!」
不意に会話の輪が広げられた。
黒い礼装姿の男が、揉み手をしながら歩み寄ってくる。
顎髭を蓄えた壮年の男だ。
背丈もあり、肩幅も大きい。普通なら威圧感を伴って然るべきだが、満開の笑みを浮かべる男からは年齢の壁を越えて「友達になれそう」などと幼稚な連想をさせられた。
「こんばんはグレン神父。申し訳ないけれど、今は大切な話をしている最中なの。挨拶はまた今度にしましょう」
だがそのグレン神父とやらに対し、ヨルコが「こっち来るなバリア」全開の笑顔で迎撃態勢に入った。
どうやら出会った直後に帰れと言える間柄らしい。そんな人物が今このタイミングで宵闇に紛れて現れたことに嫌な予感を覚えた。
「それはそれは! 残念です! ですが大魔法使いのヨルコ様ともあろうお方に、こんな道端で大切な話をさせるわけにはいきません。我が教会でよろしければいくらでも席を設けさせて頂きます。シャルロット様もご一緒できるよう、配慮いたしますよ?」
袖にされても微笑みを崩さないグレン神父の言葉に、ヨルコの表情が変わった。
「どうしてシャルロット様がこちらにいらしていることをご存じなのかしら?」
「王都の方角から高速で飛来する物体が確認できたので、おそらくシャルロット様ではないかと推測したまでです。シャルロット様は今こちらの宿でお休みですか?」
「見られていたなら認めるしかないわね。ですが今日はもうお引き取りください。シャルロット様はすでに鎧を脱いでお休みになられていますから、男性のあなたが近づくと危険ですよ」
なんかすんなりと認めたけどシャルロットって高速で空飛べるのかよと思いつつ、俺は一歩引いた位置から会話を聞いていた。
俺の記憶が正しければ、教会は人に害を為す存在を毛嫌いしていた。先代魔王なんかはその最たるものと言える。魔王に与している今となっては、関わらないほうが身の為だ。何でもやりすぎるきらいがあったから、昔も避けてはいた気はするが。
そんな俺の心を見透かしたように、グレン神父が一瞬こちらに目を向けた。
「そうですか。勇者様には明日、改めて挨拶に伺わせていただきます。神に誓って邪な感情は持ちませんと言いたいところですが、私もまだ未熟者ですからね。ところで、そちらの方は違うのですかな?」
「俺は――」
「ポチはんはわいと同類やから未熟者ちゃいまがっ!」
俺の代わりに返事しようとしたクラフトの腹に鉄拳を放り込んで黙らせる。
拳を叩きこんでから、クラフトと同類とみなされていた方が余計な詮索をされなくて都合がいいことに気がついた。
遅まきながら肯定の意思を表すために、俺はグレン神父に意味深に笑いかける。
グレン神父の頬が少しだけ引きつった。神父は一つわざとらしい咳払いをしてから、再びヨルコに話しかける。
「ヨルコ様は、勇者様の今回のご用向きを聞いていらっしゃいますか?」
「魔王の視察よ」
俺に視線を向けることもなく、ヨルコが言い切る。
「それはそれは。私はてっきり、あの山頂に居座る魔王にいよいよ天誅を下してくださるものかと……早とちりしてしまいましたかな。わずかながらでもお力添えをと思い、我々も神兵隊を派兵しようとしていたのですが」
「神兵隊?」
怪訝に聞き返すヨルコに、グレン神父は満面の笑みを向けた。
「はいそうです。魔王の脅威に対抗するため、我が教会が独自に編成した部隊です。この街に駐屯しているのは少数ですが、錬度は王都の軍隊にも劣らない自負があります」
「魔王の管理は、国から正式な形で私に任されているはずよ! その私に黙って私兵を組織し、あまつさえ勝手に討伐に向かわせてようとしていたの!?」
ヨルコが叫んで一歩詰め寄る。だが神父は怯まない。どころかその笑みに、人をあざけるような色が混じった。
「お言葉ですがヨルコ様。山の上とはいえあんな目と鼻の先に魔王がいては、我々は夜も眠れないのですよ。魔王と同じ魔法使いのあなたには、ご理解いただけませんか?」
「理解に苦しむわね。この私がわざわざ逗留しているだけでは危機管理が足りないと? そもそも約束を反故にする馬鹿の気持ちなんて汲んでやる必要があるのかしら」
「これはこれは手厳しい。ですがあなたが魔王と通じていないとも限らない以上、おいそれと我々の情報を伝えるわけにはいかなかったのですよ。こうして話をしてみても、何か隠し事があるように見受けられる。やはり勇者様の傍らにいる人間として、あなたは不適格のように思えてなりませんな」
真っ向からの否定にヨルコの顔に険が浮かんだ。神父は滔々と語る。
「人は皆弱いのです。弱いが故に意見を封殺され、理不尽なルールにも諾々と従属させられている。つらい現実から逃れるために、時には嘘をついてしまうことだってある。そんな弱者に情状酌量も慮れない強者など、暴君でしかない」
何やら険悪すぎてのっぴきならない雰囲気だ。俺は悟られないようすり足で一歩、魔王のいる宿屋へ近づく。クラフトが横目で俺を見た。俺は顎でシャルロットのいる馬車を示す。クラフトがわずかに口端を吊り上げた。
ヨルコも察するところがあるのか、わずかに言葉を選ぶそぶりを見せた。
「あなたこそ、一教会の神父が何様のつもり? いつから扇動家に転職したの?」
「いえいえ。扇動なんて大それたことはしていません。私は皆の気持ちを代弁しているにすぎませんよ。かつて殺し合った敵と隣人として暮らすなど常人には不可能だと、再三申し上げている通りです」
「魔王に害はないとこの一年で証明されたはずよ。それでもまだ人々が思い悩むというのなら、それを正しい方向へ導くのが教会の役割ではないの?」
「そうです。その通りです。だからこそ魔王を擁護し、勇者様を唆すあなたを排する。勇者様を正しく導くのです。そして今度こそ魔王の息の根も止める。人々の苦難の原因を取り除く。何か間違っていますかな?」
ついに明確な敵意を向けられ、ヨルコが後ずさった。
「日曜大工で木製手錠!」
同時に呪文と思しき言葉を唱える。地面が爆発するように木々が生え、神父の身体に巻きついた。手足の自由を奪われ宙吊りになった神父の足元に、銀色のナイフがぽとっと落ちた。
「勇者様に取り入って利用したいだけでしょう! 聖職者が聞いて呆れるわ!」
「先に手を出したのはあなただ」
凄みすら感じる笑顔でグレン神父が言った。
「勇者様を魔王の手先からお助けしろ!」
怒号とともに、十人ほどが殺到してくる気配。暗闇の中でも、彼らが掲げた手に武器らしきものの鈍い光沢が見て取れた。




