命名
情報を整理すると――こうなる。
ここはどこだ?
ユース大陸中央にあるロモっていう国のさらに端っこ、ガトリっていう田舎の、ポポ山の上にある魔王城だよ。
どう見ても掘立小屋だが……お前は誰だ?
私は魔王だよ。
……今はいつなんだ?
今はCO:256年の4月10日だね。
どうして俺がここにいるか知ってるか?
世界征服のために私が召喚したんだよ。
そこまで説明を受けて、俺は「なるほど」と頷いた。
「全然わかんねえ」
「なんでだよ! キミの質問に全部わかりやすく答えたじゃないか!」
そしてなぜかブチ切れる自称魔王(笑)
「あ! なんか今馬鹿にしたな! わかるんだぞ、そーいうの!」
ギャーギャーと喚く魔王。俺は改めて魔王の頭のてっぺんからつま先まで視線を巡らせる。
銀色の長髪に、くりっとした丸い瞳。子供っぽく頬を膨らませて、俺を睨んでいる。着古した黒いローブの上からでもわかる小柄で華奢な身体。足首なんか簡単に折れそうなほど細い。
……こんなちんちくりんな容姿で魔王だと言われても、説得力はない。
「あのな、俺は今、けっこう混乱してるんだ。質問には正直に答えてくれよ」
「ちゃんと答えてるじゃないか! 私が嘘をついてるっていうのか!?」
魔王(?)が歯を剥いて反論する。
俺は両手を上げ、宥めるようにして言った。
「いやいやいや。いくらなんでも――おい魔王」
「なんだい?」
やべえよこいつ魔王って呼ぶと普通に反応するよ。
「あ! またなんか馬鹿にしただろ!」
魔王が俺を睨んで騒ぎ立てる。まずい。この反応はマジだ。モノホンだ。俺はそう判断し、とりあえずこの場は穏便に、話を合わせておくことにした。
相手を否定せず、笑顔で肯定するところから異文化コミュニケーションは生まれるのだ。
「おい魔王(笑)」
「やっぱなんか馬鹿にしてるだろ!?」
魔王が眉を逆ハの字にして俺に詰め寄る。思わずまじまじと見つめ返してしまった。
「な、何?」
俺の視線に、魔王がちょっと顎を引く。
「いや……お前、本当に魔王のつもりなんだなって……」
「ま、また馬鹿にしてっ……!」
「いやいや、馬鹿になんかしてないぞ」
俺が曖昧に笑って立ちあがると、魔王もそれにつられる様にあわてて立ちあがった。
「ちょっと待て! どこ行く気だ!」
「とりあえず『まともなやつ』に会って現状をきちんと理解してくる」
「私がまともじゃないみたいに言うな! てゆーか待て! 待てってば! こら無視するな! 待ってくださいお願いします!」
俺の服をひっぱる魔王をずるずる引きずって五歩。そのまま家から出ようとしたところで、魔王が泣きそうな声を上げた。
「うぅ……無視するなよぅ……一個だけ嘘ついたのは謝るからさぁ……」
「一個だけ?」
マジか。それ以外は言ったこと本気なのかこいつ。
俺は額に手をやりながら、片手で魔王を引き剥がす。
「で、どれが嘘なんだ?」
「とか聞きながら背中向けて逃げようとするなぁ! だから待てって! キミを召喚したのは私だぞ! 一つくらい言うこと聞けぇ!」
再び腰に組みついてくる魔王。あまりのしつこさに根負けして、俺はその場に尻もちをつくように座り込む。バランスを崩した魔王が転んで「ふぎゃっ」と妙な悲鳴をあげた。
「俺はランプの魔人なんかじゃないぞ。召喚とやらをしてくれたことには……まぁ、感謝するべきなのかもしれないが……ていうかお前、俺が誰だかわからないのか?」
「ん?」
魔王が俺をじーっと覗き込む。しかしすぐに首をかしげた。
「キミ、どこかに封印されていた有名な悪魔だったりするのかい? ぱっと見た感じ、ただのやさぐれた男の子って感じだけど」
「おまえに男の子って言われるともの凄い違和感があるな……」
明らかに年下の少女にそう評されるとは思わなかった。だが、それよりも問題なのは、この自称魔王が俺を誰だかわかっていないという事態だ。
「じゃ、そういうことで」
「何がだよ逃がすかぁ!」
立ちあがって逃げようとしたところを再度はっしと掴まれる。引き剥がそうとすると、顔を真っ赤にして抵抗し、ついにはしがみついてきた。
「ぐぬぬ……! 私の頼みを聞いてくれるまで逃がさないぞ!」
「頼み? 魔王だから世界征服か? 悪いが他あたってくれ」
適当に言った言葉が図星だったらしく、魔王がわかりやすく狼狽えた。
「む、むぅ……じゃ、じゃあ、あれでいい。その……あれだ!」
「あれってなんだよ」
半眼で問いかけると、魔王が妙に早口にまくしたてた。
「私の、と、と友達になってくれればいい。うん。それでいいや。というか友達になってください。なりやがれこのやろー!」
「…………はぁ?」
「うっわその反応めっちゃ傷つくな!」
眉をひそめて問い返すと、魔王が躍起になって叫んだ。
「なんだよいいじゃんかよ! 世界征服よりずっと楽ちんだろ? お買い得だぞ!」
「いやちょっと待て。さっきからお前の言ってることがわけわからん」
「わからない? 細かいことはいいんだよ! とりあえずわかったような顔をして鷹揚に頷いとけばいいんだ! この契約書にサインするとなおいい!」
そう言って魔王がローブのポケットから紙切れを取り出し、俺にむかって突き出した。
俺はそれを受け取って簡単に目を通す。
どうやら何かの契約書らしいが『絶対服従』という単語が五回目に留まったところで俺はそれを破り捨てた。
「うわぁ! いきなり何だ! ケンカ売ってんのかこのやろー!」
「突っ込みどころが多くて困ったなー」
棒読みでつぶやきながら、家の外へ向かう。
「待て待て待ってくださいお願いします逃がすかこのやろー!」
俺の足首を抱え込むようにまとわりつく魔王。さすがに踏みつけて出ていく気にもなれず、俺は降参とばかりに両腕を上げた。
「わかった。わかったよ。友達くらいなってやるよ」
「ほ、ほんとか!」
途端に、魔王が目をきらきら輝かせて立ち上がる。あまりの変わり身の早さには呆れるが、よくいえば素直で裏表のない素敵な人柄と言えないこともない。
魔王だの何だの言っているが友達になってくれと頼まれて、そう無下に断るのもどうかと思うし。自称魔王と友達になったって罰は当たらないはずだ。たぶん。
「じゃ、じゃあ、改めて!」
魔王がローブで手をごしごしと拭いて、俺に差し出した。
「私は魔王だ! よろしくね!」
「あー……うん。よろしく」
なんだかなと思いつつ、その小さな手をとって握手した。魔王がぱぁっと顔を綻ばせるのを見て、野暮なことは言えなかった。
「あ、そういえば」
魔王が、今気がついたとばかりに声を上げた。
「まだキミの名前を聞いてなかった。キミ、名前はなんて言うの?」
「…………」
困った。なんと答えたものか。普通なら名前を聞かれて答えに窮することなんかない。つまり困っているということは普通じゃないってことで。
「…………わからない」
「え? なに? もう一回言って」
絞りだした俺の答えに、魔王がきょとん、と聞き返してくる。
「だから、わからないんだよ」
「あ、ワカラナインっていう名前なの? 変わった名前だね」
「違う! 自分の名前がわからないんだよ。たぶんあれだ。そう。記憶喪失ってやつだ」
「へぇ。そうなんだ。記憶喪失………ってええぇえええ!?」
ボロい掘立小屋に魔王の叫びが木霊する。俺は顔をしかめて耳を押さえた。
「おい、うるさいぞ」
「いやだって記憶喪失!? た、大変じゃないか! なんでキミはそんな冷静なのさ!?」
「これでもけっこう混乱してるぞ? いきなり自称魔王に友達になってくれって泣きつかれるとか意味わからん」
状況把握のためにその自称魔王からも話を聞いたが、自称魔王の情報なんて信憑性が薄いと思ったからこそ、もっとまともなヤツに会いに行きたかったわけで。
「そ、そっか……記憶喪失か……」
魔王が神妙な顔で腕を組んだ。そして、ぼそっと一言――
「……やっぱり、召喚に失敗してたのかな?」
「おい今なんて言った」
咎めると、魔王はあわてたように俺を見た。
「な、なんでもないよ!? 気にしない気にしない。え、えーっと、違う話題、違う話題……そうだ! キミ、名前もわからないんだよね? そしたら新しい名前が必要だね。私が名付け親になってあげるよ!」
「お、おう……」
魔王の思いがけない提案に戸惑う。
何か大事なことを煙に巻かれた気もするが――というか普通なら、記憶を取り戻す方法を考えるのが先の気もするけれど――確かに魔王の言うことも一理ある。
暫定的にでも新しい名前がないと、色々と不便かもしれない。
「ええと、何がいいかな……」
魔王が唸って、深く考え込んだ。いきなり名前をつけてもらうことにすごい違和感があるし、変てこな名前を付ける気じゃないだろうなという不安もあったが、友達になってほしいと泣きついてくるような奴に他の友達がいるとも思えない。
だとすれば、流石にたった一人の友達におかしな名前をつけるはずが――
「どうしようかな。うーん……」
魔王が眉間にしわを寄せて熟考している。
ここまで真剣に考えてくれるとは思っていなかった。
魔王だなんだと言っているが、意外といい奴なのかもしれない。
俺は少し気恥ずかしくなって、鼻の頭をかきながら言った。
「難しく考えなくていい。ありきたりな名前でいいし、呼びやすい名前でいい」
すると魔王が手のひらをポンと打ち鳴らし、顔を上げた。
「じゃあ『ポチ』なんてどうかな?」
「やっぱりお前って友達いないだろ」
これが、俺と魔王の出会いだった。