大きくなったら
「記憶喪失!?」
シャルロットが悲壮に叫び、胸にかき抱いた俺の左腕をさらにきつく抱え込む。
思いのほかふくよかな圧迫感。
そういえば二十歳らしいし十分に大人の女だよなと思っていたら、反対側のテーブル越しにヨルコと魔王が冷めた目で俺を見ていた。
あの後シャルロットが落ち着いてから話し合いの場を設けたわけだが、シャルロットが俺から全く離れない。椅子に座る際も当然のように隣に腰かけ、ぴったり寄り添ってきた。
魔王とヨルコが明らかに何か言いたそうだが、立場と力関係からシャルロットに何も言えないようで、自然とその矛先はこちらに向いている。つまるところ無言で睨まれている。
「私の事も覚えていないんですか? 十年前ですから、少しは成長しましたが――」
紅の瞳を涙で潤ませながら、シャルロットが俺を上目遣いに見上げた。そしてさらに身体を密着させてくる。
うむ。胸はいい感じに成長している。
魔王とヨルコがジト目で俺を見ていた。
俺はごほんと咳払いしてから口を開く。
「あー……えっと……その、ちょっと、混乱しててだな……」
そして、どうしたものかと答えを濁して、視線を彷徨わせる。
「そ、そうなんですか……」
シャルロットがしゅんとうなだれる。
どうしたらいいんだよと魔王とヨルコにアイコンタクトで助けを求めた。
二人の唇が同時に同じ動きする。
『自分でどうにかしろ』だ。
「ち、ちょっといいかな、シャルロット?」
俺が声をかけると、シャルロットは悲しげに首を横に振った。
「昔のようにシャルと呼んでください、ユイス様」
向かいからの視線が鋭くなるのがわかった。
だから俺にどうしろと。
シャルロットも二人の態度にいい加減に気づきそうなものだが、意に介していないのか本当に気づいていないのか、むしろ見せつけるように今度は俺の手を取って握りしめた。
「ユイス様。今は記憶がなくてお辛いかもしれませんが……何も心配いりません。記憶が戻るまで、私が傍でお支え致します」
そこまで言って、シャルロットは何かを思い出したように急に俺の手を離した。
「し、失礼しました。私の事を覚えていらっしゃらないなら……自己紹介をすませていませんでした。あ、改めて自己紹介させていただきます」
シャルロットが襟元を整え、背筋を正す。
「私の名前はシャルロット・ヒューズです。十年前に行方不明となったユイス様の後継として、今はこの国の勇者を務めさせていただいております。そして、私は――」
言葉を一度区切り、少し頬を染めながら、シャルロットが気恥ずかしそうに言った。
「あなたの妹で幼なじみで恋人で許嫁です!」
「…………たしか、俺は育ての親じゃなかったか?」
俺が言い返すと、シャルロットは涙目になって魔王とヨルコを睨んだ。
「誰ですかホントのこと教えたの!?」
「ひぃっ!?」
魔王が震え上がってヨルコの背中に隠れる。
いや普通に考えて妹で幼なじみはおかしいし、妹で許嫁や恋人は問題あると思うんだ。
俺と同じ考えに至ったのか、ぼそっとヨルコがつぶやいた。
「その年で妹属性なんか欲張ってつけようとするから……」
「……ヨルコ、何か言いました?」
シャルロットの笑顔に、ヨルコも蛇に睨まれた蛙のようにプルプル震えて口を噤んだ。
少し気まずそうにしながら、シャルロットが俺に向き直る。
「い、妹ではないですけど、恋人というのは本当ですよ? 大きくなったら結婚しようねって約束もちゃんとしましたし……覚えていませんか?」
「大きくなったら、ね……」
言葉を反芻し、その意味を図る。
義理の親子だったのだから、たぶんありがちな微笑ましい展開だ。将来は「パパのお嫁さんになる!」とか言ってくれる子供ってすごく可愛いと思うけど――
魔王とヨルコが生ゴミ見るような目でこちらを見ていた。
いやロリコン違うから。一般論だから。
小さいほうがいいとか一言も口にしてないから。
というか思考を読むな。
「私ももう大人になりましたから……もう結婚できます!」
シャルロットが再び俺の手を取り、熱を帯びた瞳を俺に向けた。
だけど実際、二十歳を過ぎて子供の頃のそういった父親への恋慕を引きずっているのは重いというかなんというか……
魔王とヨルコが、汚物を見るような目つきでこちらを見ていた。
いや違うから。年齢がダメとか文句をつけてるわけじゃないから。
そういう目でこっちを見るな。
「シャル。俺の話を聞いてくれ」
不名誉な疑惑を払拭すべく、俺は常識的な発言を心がけた。
「俺は記憶が戻ってないし、再会してまだ間もないのに結婚とかは急すぎる。大人になったというのなら、冷静に物事を考えられるはずだろう?」
「うわ、体よく断わったよ。やっぱりロリコ――」
「おまえはどうあっても俺をロリコンにしたいようだなぁ!」
ぼそっとつぶやいた魔王に、思わず立ち上がって突っ込みを入れる。
はしっ、と俺の手がシャルロットに掴まれた。
「大丈夫です。ユイス様」
見やると、シャルロットが茨の道を行く覚悟を決めたような表情で、力強く断言した。
「私、ロリコンでも大丈夫ですから」
「……何の話?」
俺は頬を引き攣らせながら聞き返す。
するとシャルロットは目を閉じて、胸に手を当て「うん。大丈夫」と何かを確認するように一人で首肯し、それから目を開けて俺に言った。
「私がきちんと矯正してあげますから!」
「だから何を!?」
意気込むシャルロットにまた聞き返す。
ここで自分から「ロリコン」という言葉を口にしたら負けな気がした。
傍からふと、ヨルコが口を挟んできた。
「シャルロット様。そろそろお時間です」
声につられるように、シャルロットが掛け時計を見上げる。
俺も時計を見た。時計の針は、ちょうど四時を過ぎたところだった。
「いくらなんでも、まだ早すぎます」
子供みたいに、シャルロットが頬を膨らませる。しかしヨルコはぴしゃりと告げた。
「本来なら今日の夕方には首都の方へ戻られるご予定でした。晩餐会に出席の予定が――」
「そんなの欠席です」
シャルロットが飛びつくようにして俺の腕を抱きしめる。
「今日はずっとユイス様と一緒にいます。ええっと、その、朝まで……」
自分の言葉に照れているシャルロット。
ヨルコが呻くように言った。
「シャルロット様。あなたが交わした精霊契約のことも忘れてはいけません」
「ユイス様が相手なのですから、何も問題はありません」
シャルロットはヨルコにそう言ってから俺の耳元に口を寄せ、「明日はお赤飯ですね」とニコニコしながら囁いてくる。どう返事したらいいんだ、これ。
ヨルコが必死になって、シャルロットを説得しようと試みる。
「ダメですシャルロット様! あなたの精霊契約は百を超えているんですよ!? そのほとんどがユイス様との関係について誓約したもののはずです。この方がユイス様本人だというのならなおさら、些細なことであっても契約の不履行につながりかねない! 慎重にならないといけません。命を落としますよ!?」
「ユイス様と結ばれることができるなら、何も怖くありません。ねー? 勇者様?」
「ねー? ってそんな可愛く言われても、俺のせいで死なれたとか寝覚めが悪いどころの話じゃないからできれば止めてほしいんだが」
俺の肩にしなだれかかって上目づかいをしてくるシャルロットに一抹の危なっかしさを覚えながら、ヨルコにもっとやれ、どうにかしろ、と目配せで発破をかける。
「確か……精霊契約の中に『男の子の家に遊びに行ったら午後五時までには帰る』というのがあったはずです。それなら相手がユイス様でも、例外ではありません」
「過保護な父親みたいなことを約束させる精霊だな。ていうか何だ。最近はそういうくだらないことで命がけの契約をするのが流行ってるのか?」
魔王をガン見しながら俺のつぶやきを無視して、さらにヨルコがシャルロットへと畳みかける。
「それに、もしその人が本物でなかったら――」
ちら、と疑わしげに俺を見やるヨルコに、シャルロットが激高した。
「まだ言うのですか!? 失礼ですよヨルコ! この人は本物の勇者ユイス様です。私が肌を晒しても、こうして触れあっても燃えないのが何よりの証拠です!」
シャルロットに抱きつかれている俺を見て、ヨルコは渋い顔で言った。
「ただのロリコンなのでは……」
「おい」
もう半分くらいは諦めつつも一応は抵抗の姿勢を見せなきゃという義務感から突っ込む。
代わりにというわけではないだろうが、シャルロットが机を叩いて立ち上がってくれた。
「ヨルコは誤解しています! ユイス様は元から筋金入りのロリコンだったんです! だってまだ幼くて身寄りのなかった私を引き取ってくれたんですから!」
「おい」
もう半ば心が折れかけながらも突っ込む。ていうかロリコンだとわかっていながら好きになるって相当だな!
四方八方から謂れのない誹謗中傷を浴び、俺は眉間を揉みほぐした。ここまでくるともう、神に祈るような気持ちだった。
誰か、いや、誰でもいい。俺の味方だと声を上げてくれるヤツはいないのか――
「いいや違いまっせ。ロリコンと見せかけといて、実はこの人はわいと同じホグッ!」
などと、意味不明な述懐をしながら癖っ毛茶髪のキツネ目男が家の中に乱入してきたので、すぐさま蹴り飛ばして御退場いただいた。
違うよ神様。確かに誰でもいいって言ったけどいくら何でもこの仕打ちはないよ。
俺が神にすら見捨てられたような孤独感に苛まされていると、シャルロットが宣言するかのように言った。
「もういいです。ヨルコは話になりません。こうなったらユイス様をお持ち帰りします。首都に帰れば、何か思い出されるかもしれませんし、ユイス様を覚えている人もいるはずです。あまり合わせたくないですけど、いざとなったら姫様に謁見していただければ――」
「ちょ、ちょっと待つんだ!」
魔王があわてたように声を上げ、机を回りこんで俺の服をつかむ。
しかし、シャルロットがじろりと視線を向けただけで「はわわ」と俺の後ろに隠れた。
俺を連れていかれたら契約の不履行を起こしかねないと思って止めに入ったのだろうが……はわわって何だよ。
俺は嘆息しながら、魔王の後を継いでシャルロットに告げる。
「シャル。俺にも事情がある。そう簡単にここを離れるわけにはいかない」
「だったら私も――」
「ダメですよ」
シャルロットに対し、ヨルコが先んじて釘を刺す。シャルロットが抗議の声を上げるまさに直前のタイミングで、ヨルコが再び口を開いた。
「シャルロット様が各地の視察を怠れば、国民が不安がります。ましてや魔王の様子見をした後に姿を暗ませたとなれば、悪い噂が立って余計な混乱を招きかねません。特に今は教会の動きが不穏です。軽率な行動はお控えください」
「むぅ……」
丁寧な口調でもっともらしいことを言われ、出鼻をくじかれたシャルロットが助けを求めるように俺を見た。
男の性というかなんというか助けてやりたいとは思ったが、具体的にしてやれることが思いつかず、俺は眉を曇らせて見つめ返すことしかできなかった。
「ユイス様。ご心配には及びません」
それを受けて、シャルロットが再び俺の手を取って言った。
「このシャルロット、どこへ行ってもユイス様一筋です。浮気なんかしません!」
「そんな心配はしてないんだが……」
「そういうわけですので、とりあえずこれに捺印してくれれば……」
何がそういうわけなのか、すっ、とシャルロットがポケットから折りたたまれた小さな用紙を取り出して、さっ、と広げて俺に差し出してきた。
俺は用紙に目を落とす。
婚姻届だった。
目を擦る。やはり婚姻届だった。
「少し目眩が……」
というかシャルロットの年齢が十七って記載されているんだけど。いいのかこれ。ていうか俺が判子を押す欄を除いて他が全て埋まっているんですけど。
どうしたものかと俺が頭を悩ませていると、ヨルコがひょいと身を乗り出して婚姻届を覗き込んだ。
「あーこれはダメですね。書式が古いものですし、届け出ても無効ですよ。今日はこのくらいでお暇させていただいて、とりあえず新しい書類をもらってきましょう。ね?」
「え、でも……」
シャルロットが名残惜しそうに俺を見る。ヨルコがあやすように言った。
「ほら、今日は急でしたから。おめかしもしないといけませんし」
「え? ぁ……!」
消え入りそうな声を出して、シャルロットが顔を伏せる。さらに前髪で顔を隠す。髪の隙間からわずかにのぞいた頬が、林檎のように赤くなっていた。
恥ずかしがっている――そう気がついたら、何か気まずいけど悪い気はしないというかつられてこっちも照れるというか。くそ。なんか体が熱くなってきた――
「って、マジで熱いっ!」
熱さを通り越した痛みで我に返る。反射的に家の扉へ向かって走り、屋外へと身を投げる。何か焦げるような匂いを嗅ぎながら視界が二転三転し、土塗れになって立ち上がろうとした時に、
ごうっ、と炎を唸る音を聞いた。
次の瞬間、魔王の家の天井をぶち抜いて、天を衝こうかという紅蓮の火柱が立っていた。
俺があんぐり口を開けてそれを見上げていると、煤まみれの魔王とヨルコが必死な形相で家から飛び出してきて、力尽きるように仲良く地面に突っ伏した。
「おいっ! 大丈夫か!?」
声をかけると、魔王が難儀そうに顔をあげ、口からぷかっと煙を吐く。俺が顔をしかめてぱたぱたと手で仰ぐと、魔王が震える手を俺に伸ばしてきた。
「さ、先に逃げるなんて、ずるい、ぞ……」
「これでおあいこだ。返事できるなら大丈夫だな。ヨルコ、平気か?」
倒れたヨルコに近づいて、肩をゆする。
ヨルコが薄目を開けて、俺の手を振り払った。
「これがあるから、シャルロット様を刺激したくなかったのに……この馬鹿……」
恨み節を残し、ヨルコが再び目を閉じた。俺の手を払った腕が落ちて、全身からすっと力が抜ける。
「……ヨルコ? おい、冗談だろ? ヨルコォオオオオ!」
「いや死んでないから。気絶してるだけだから」
ぐったりと項垂れたヨルコを揺すりながら俺が悲壮感たっぷりに叫んでいるところに、魔王が横から憮然とした表情でつっこみを入れてくる。
「ポチは~ん、魔王は~ん! 無事ですか~!?」
声を張りながら、クラフトが近寄ってきた。そして気を失っているヨルコの頭をぎゅむっ、と何か恨みでもあるのかというほどにわざとらしく踏みつけて、ごく自然な動作で俺の手を取る……なんで俺の手を取る?
「いやぁ、ポチはんに家の外に蹴り飛ばされて、ちょっとしたらいきなり火柱がたったんでびっくりしましたわ。あの行為はワイを助けようとしての事だったんですね」
「うわぁ。あの世まで蹴り飛ばしておけばよかった」
俺が激しく後悔していると、隣で魔王が「あっ!」と声を上げた。そして燃えている家を指さし、俺の方を見て口をぱくぱくさせる。
「なんだ? 忘れ物でもしたか? 言っておくが戻るなんて選択肢はないぞ。火事の時は「おさない。かけない。しゃべらない。もどらない」だ」
「いや、そうじゃなくて、その……」
魔王は半ばパニックになっているようだった。無理もない。俺だってだいぶパニックだ。なんだよあの火柱。普通にやばかった。死ぬところだった。
「住むところなくなったら、契約が……」
「…………」
魔王の言葉で思い出した。普通にやばい。死んでしまう。現在進行形だ。




