第七話 「丁稚羊羹とその分割法」
「半分こと言ったからには、公平を期すべきよ。」
そう言われて連れてこられてたのは、学校の物理室だった。
「物理的な考え方で分けるという事は、はかりでも使うんですか?」
「えぇと…。君は一体何を言っているんですか?何で物理室の秤があるのよ?科学室じゃあるまいし。馬鹿なの?死ぬの?」
「うわぁ、リアルにネラーがいる。」
「まともに考える脳みそがない人は、煽り方もかわいそうな感じよねぇ…。」
と、まるで可哀想な人を見る様な目で見られた。くそぅ。
「考えてみなさいよ。適当に切って大きさが違っていたらまた切り直して計り直すの?」
「別にそれでいいじゃないですか?」
「そこがダメだって言うのよ。これは水羊羹じゃない。丁稚羊羹なのよ?包丁にへばりつく量も考慮しなさい。」
そう言って、先輩は地学室の奥に置いてあるキャビネットから包丁とまな板を取り出してきて、机の上に置いた。
何でそんな物があるんだ?と思ったけど、飲み込む。
地学室の机は6人掛けで左右に三人分の椅子が置かれている。先輩に指示されて、先輩とは対面の位置に座った。
「そんなのあって数gじゃないですか?何なんですか、そのドイツ人的発想は。」
「その考え方がダメだって言ってるのよ。これが羊羹じゃなくて、高価な薬剤や素材だったらどうするのよ。こういうのは一発で最良の結果を得る様に思案するものよ。」
「けちくさい。」
そう言った瞬間、先輩が包丁に手を伸ばそうとしたので両手を挙げて逆らう意志がない事をジェスチャーで伝える。
「そう言う問題じゃない。例えばこれが、本棚を作る時に使う板だったとするじゃない?」
「いきなり話が変わりましたね。」
「黙って話を聞きなさい。先輩の有難いお話は聞いておくものよ?」
「そう言う事言う奴に限って、先輩の話を聞いてこなかったに違いない。」
バンッ!と先輩はまな板を持ち上げてから、机の上に叩き付ける様に置く。目は笑っていない。
「ハイチョウイタシマス。」
怖いので素直に聞く事にする。
「よろしい。で、この羊羹が本棚を作る板だとする。先刻、行った通りね。で、これを天板とするには長すぎるから採寸してノコギリで切る必要が出来ました。ここで気をつけなければならないのは、何でしょう?」
「えぇと…、採寸を間違えない事?」
「なお、採寸は間違えていないものとする。」
「あっ、きったねぇ。」
想定外の正解だったようだ。これが試験だったら、抗議するところだ。
とは言え、それ以外の回答といえば…、
「切る場所を間違えない事…、ですかね。」
「正解。」
「よしっ!」
「でも、まだ30点。それはなぜか?理由を答えましょう。」
「えーー。」
「さぁ。脳があるところを見せてみて?」
ささやくように、少し、かすれた声。ウィスパーボイス。
「うわぁ。妙にクオリティが高いのが、逆にむかつく!」
「えーー。」
先輩が少し困った顔ではにかんで笑う。悪意を持って言った言葉は良い風に受け取られてしまったらしい。
「たとえば、全然違う場所を切った場合…。そうだな、真ん中ぐらいで切った場合、天板としての使えなくなるから。」
予想外の反応で少しドギマギしてしまって、あやふやな解答をしてしまう。
「はい。馬鹿決定賞。これから君の事を馬鹿と呼びます。」
「初対面で、馬鹿呼ばわりって…。」
この手のタイプに隙を見せると、こういうことになる事を今日、身をもって学習した。悔しい。
「まぁ、気にしないで。馬鹿。事実なんだから。馬鹿。」
「うわぁ、殴りてぇ。」
「知力が足りない男はすぐに暴力に頼る。全く、お姉さん。やれやれだよ。」
「でも、殴られないと思ってるでしょ?」
「いやぁ、怖いわぁ。タスケテ、コロサレルゥ」
「あぁ、もう。くそっ。降参です。」
両手を挙げてお手上げのポーズを取ると、先輩は満足そうにケラケラと笑う。おかしいな。中学校の頃は、抜け目なくやって来たのに、こっちに越してきてから隙だらけだ。環境の変化について行けてないのだ。そうに違いない。
「じゃぁ、教えてしんぜよう。馬鹿。」
自信満々って表情で先輩が椅子から立ち上がって、僕の頭を軽く小突く。
「常識的に考えて、これから本棚を作るって言うのに意味も無く天板を真ん中から切る?」
「はい、切りませんね。」
「素直でよろしい。」
そう言って、またキャビネットから何かを出してきて、ゆらゆらと揺らし始めた。みょんみょんと金属質な音を立てる板状の物……、ノコギリだ。
「当然、採寸に合わせて切るとするわね。その時、ノコギリの幅を気にしなければいけないという事よ。」
「どういうことです?」
ノコギリの刃をこれ見よがしに見せる先輩。ノコギリと年上の女子高生。若干ホラーじみていると思う。
「ノコギリの刃には山と谷があるでしょ?だから採寸の時に引くペンの線ほど細くはない。ノコギリの刃をあてるのは線の真上にするか、真横にするか……。悩ましい問題よね?」
「どうして?」
「例えば…、この物理室に常備してあるノコギリの幅は大体1.5㎜ってところかしらね。と言う事は設計と現実に最大3㎜の差違が出来てしまう事になる訳。」
「ははは。気にしなければ良い。細かいですよ。」
「A型としては無視できない。つまり何が言いたいか分かる?」
「何回も失敗したら、その分包丁に引っ付いて食べられなくなる分がもったいない。」
「正解!」
「ははは。ばっかじゃねぇの。」
ケチ臭い!それに馬鹿臭い!
「馬鹿に馬鹿って言われた!」
「馬鹿じゃないですし。それについては的確な解決方法がありますよ。」
「えっ。ほんとに?」
「まったく、こんなことも思いつかない先輩にこっちがヤレヤレという気分ですよ。僕が馬鹿なら、先輩は間抜けですよ。」
肩をすくめて、あえて見下した様な目で見る。勝ち誇った瞬間という物はどんな状況でも嬉しいものだ。
「じゃぁ、まず馬鹿呼ばわりは止めて頂きましょう。間抜けに馬鹿と言われるのは心外です。」
「くっ…。ええぃ。分かったわよ。」
「ははは。まぁ、僕は優しいのでそのくらいで許してあげますよ。」
「ワァ、ウレシイナァ。」
「こういう時って、そう言う態度も面白く感じるものなんですね?」
「くっ…。言うわね。つまらない答えだったら承知しないわよ。」
「先輩は何でも難しく考えすぎなんですよ。もっとシンプルに考えたら自ずと答えは導き出されます。」
「へぇ。結構難しいのよ。シンプルな解答って。」
「つまり、なめれば良いんですよ?」
「へっ?」
「切った包丁をなめれば良いんですよ。」
「あぁ、なるほどねぇ。ははは。なるほどなるほど…。って、舐めるかぁボケェ!」
「えぇー。シンプルで完璧な解答じゃないですか。」
「やっぱりアンタなんて馬鹿で十分よ!」
「そんな!先輩は約束を破る人ではないと信じてたのに!」
「初対面がどんな信頼よ!」
そう言うとぶち切れた先輩はおもむろに、包丁を手にして振り上げた。
「暴力反対!」
そして、まるでスレッジハンマーを振り下ろす様に、まな板に包丁を振り下ろした。
やばい!殺される!
「アンタの分は、これで十分よ!」
「……?」
思わず目を背けていた顔を正面に戻すと、先輩が指でまな板を指していた。
あれっと思って、机の上を見ると1/3サイズになった丁稚羊羹が置かれていた。
「えぇえ?えぇぇえええええ!?」
「ふふふ。ごちそうさま。大きい方は私が貰っておくわね。」
「信じられない。最低だ。公平って言葉は何処に行ったんですか!?」
「先輩権限で消え去りました。後輩は先輩を無条件で敬うものよ?」
「ヒドい!ヒドすぎる!!」
「うるさいわね。昔から、兄より優れた弟なんて存在しないって言うでしょ?それに、もう口付けたから返さないわよ。牛乳おごってあげたんだから、男なら黙って現実を受け入れなさい。あれ、要らないなら、そっちも貰うわよ。」
そう言うや否や、残った羊羹にまで手を伸ばしてきたので、慌てて自分の分をぶんどる。
「あんた、ホントにヒドいな!はぁ…、もう良いですよ。現実とやらを受け入れます。」
この人には何を訴えても無駄そうだしね。
ぬるくなってしまった牛乳は意外にも丁稚羊羹との相性が良く。上品な甘さの羊羹を美味く包み込んでくれていた。
気取ってないし、余所行きでもない。なんか、ホッとする味。
もう少し量があれば…。この強欲先輩の提案を飲むという間違った人生の選択をしたことが悔やまれる。
「そう言えば先輩。」
「なによ。私は今、この丁稚羊羹に夢中なのよ。」
「その丁稚羊羹。どうやって半分にするつもりだったんですか?まさか最初から、適当に怒ったふりして強奪するつもりだったんですか?」
この人ならやりかねない。
「ふん。全く失礼な男ね。そんな事するわけないじゃない。」
「『ない』を二回続けましたね。」
「細かい男ね。簡単よ。」
机から立ち上がって、黒板に向かう先輩。当然、羊羹は手放さない。
「食べ物を持って歩くのはお行儀が悪いですよ?」
「そんな事したら、ここぞとばかりに盗み取られるじゃない?」
「隙の無い女の子ってモテないと思いますよ?」
瞬時に防衛に回ったと言う事は、自分も同じ事を思っているという事だ。やはりこの先輩、隙が無い。
少し感心していると、おもむろに先輩は黒板にやたら大きく長方形を描く。
「丁稚羊羹は長方形でしょ?」
それはかなり歪な長方形。この先輩。隙は無くても絵は壊滅的に下手なようだ。
「長方形?それは菱形じゃないですか?平行線って知ってます?」
「うるさいわね。黙って聞きなさい。その羊羹の上に黒板消し落とすわよ?」
「スイマセンデシタ。」
「羊羹に対角線を引くと交差する点が中心。」
先輩は菱形の上にバッテンを描く。対角線?
「で、この長方形の底辺から中心点に向かって垂直の線を引くと…」
底辺から明らかに70度くらいの線、しかも弧を描いた曲線を引く先輩。垂直?はは、笑える。
「ここが半分の線になります。」
「明らかに、半分じゃないですから!先輩!明らかにそれ、片方3/5位だって!」
「幾何学的に完璧な半分こね。」
構台を拳で小刻みに叩いている。よし、いらついている。
「なるほど、幾何学と言うほどではないですが、合理的なやり方ですね。」
「でしょ?あなたみたいな考えなしと一緒にしないで欲しいわ。この、ケ、ダ、モ、ノ。」
いらっ☆。
「そうですね。失礼しました。お見それいたしましたよ。」
「ははは、くるしゅうない。くるしゅうない。丁寧語に丁寧語を重ねると馬鹿っぽい…。あぁ、ごめんなさい。馬鹿だったわね。」
いらいらっ☆。
「いやぁ。お見逸れいたしましたは、その一言で完成されている言葉なんですが、さすがのあほっぽさです。先輩。」
「えへへ。あなたにレベルを合わせてあげたのぉ。」
完璧にマウントポジションを取っていると確信しているのか、皮肉にも乗ってこない。猫なで声がとてもイラつく。
「そりゃどうも。気を遣わせてしまって申し訳ない。ところで先輩。」
「なにぃ?」
「絵。下手ですね。」
マジギレされた。
割と本気で気にしたみたいだ。