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浸透圧とジャージ女  作者: Coo...
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第六話  「噛みつぶされた苦虫」

「そんなんじゃ、私には勝てないわよ?」

 そう言って、勝ち誇ったように先輩は微笑んだ。

「真実というのはね、それ以上の説得力がある説明があれば、覆い隠せる物なのよ?」

「いや、真実は一つしかない。当事者の視点によって若干、差違は生まれてもそれは揺るぎない。」

「シャーロックホームズはその昔、こう言ったわ。『資料も無いのに、理論的な説明をしようとするのは間違いだ。人は事実に合う論理的な説明を求めず、理論的な説明に合うように事実の方を知らず知らず曲げがちになる』ってね。」

 文字どおり鼻で笑ってから、先輩は言い放った。

「つまり……、どういう事ですか?」

「今回の暴力事件において、貴方と私はカードを持っている。」

「あっ、暴力事件という事は認めるんだ。」

「無視します。」

 僕のツッコミは想定内であったらしく、先輩の自信満々の表情は揺るがない。

「まず、貴方には私に太ももをちょっと蹴られたという真実のカード。でも、このカードを証明する術は貴方には無い。」

「太ももにアザが残っている。」

 アザが残るほど強烈には蹴られていないけど、とにかく反論する。詭弁に飲まれてはダメだ。

「まさか!それに貴方先刻転んだわよね?それに、アザが付いていたとしても、その程度の事で大騒ぎするなんて男の子として、如何なものかしらねぇ?いや、否定はしないわよ?付いているかもしれないわね?確かめる?この場でズボンを脱いで。」

「ぐっ!いや、待って先輩。じゃぁ、ここで確かめると言ったらどうするんですか?」

 しかし、この人には目の前で異性がズボンを下ろし始めたからと言って、赤面して逃げ出していくようなシチュエーションは求められそうに無い。

「もちろん思いっきり、顔を引っぱたいてから……、ちゃんと顔に平手打ちの跡が残るように強めにね。それから、大声を出して助けを呼ぶわ。」

 やっぱり求められなかった。

「なんで引っぱたくんですか?」

「その方が、説得力がでるでしょ?私が大声を上げて助けを呼んだ事に対する、まさに論理的な説明よ。」

「つまり……。」

「たすけて、変質者よぉぉぉおおおって事。事実は簡単に覆い隠せるわね。」

「きたねぇ!」

 ニヤリと先輩が笑う。これはあれだ。悪人が自身の勝利を確信して犯行の一部始終を告白する場面と一緒だ。

「つまりは本件についても同じ事が言えるわね。ほとんど面識の無い男女。そして男の子が、女の子に暴力を振るわれたと訴える事案……。これは特殊な状況よね?普通、男の子がか弱い女の子を殴るものよ。」

「男に対する偏見甚だしいですね。」

「世間の認識はそうなってるわよぉ?真実は一つ。そのとおり。で、男の子はその真実のカードを握っている。しかし、それを証明する術は無い。」

 不味い押され気味だ。

 気をしっかり持たなければ飲み込まれる。

「でもっ!それでも真実は揺るがない!」

「そうね。だから、包み込んで覆い隠すのよ。私の持ってるカードで。」

「先輩のカードって?」

「私が『か弱い女の子』だってことよ。」


 完敗だった。

 飲み込まれるなんて考えは甘かったのだ。初めから飲み込まれていたんだ。

 あの状況で僕が何を訴えても、少し服を乱れさせて……、シャツの裾でもスカートから出して涙目になれば誰も僕の事を信じない。

 この場で決着させずに、後で教師に訴えたところで、涙の一つでも浮かべて後ろから抱きつかれたとでもいえば、僕に味方はいなくなる。

 全く人間関係が構築されていない状況では、僕に勝ち目は初めから無いんだ……。


「きたねぇ!」

 こんなチンピラみたいな訴えは聞き入れられそうに無い事は、十分理解したつもりだ。

 ならば、相手から最大限の譲歩を引き出す方に舵を取り直すのが賢い選択だ。多分。

「まぁ、ちょっと考えさせて下さい。コイツは大事な昼食なんでね。」

 この前、平和堂に行った時に、売り物の値段を見て回った時、正確には覚えてないけれど、確か1本200円前後だったはずだ。となると、牛乳のパックが110円。財布の中には200円。

 となると、自分の現在の総資産は400円。

 先輩の申し出を蹴った場合、消費される資産は自分で買う牛乳パック110円プラス丁稚羊羹200円。残った総資産は90円となる。

 ここで先輩の申し出を受けた場合、消費される資産は、丁稚羊羹200円は変わらないのだが、うち半分を先輩に牛乳パック110円で譲渡する事になるから、400円−(200円)+110円で310円になるが、牛乳は譲渡と同時に消費されるから、さらに110円を引いて200円になる。つまり、現金資産は守られる。

 数字だけ見ると先輩の誘いを断る理由はない。

 しかし、丁稚羊羹の取り分が半分になるという事は、丁稚羊羹分200円を消費して、そこから半分を譲渡するのだから、実質、丁稚羊羹を譲渡する分100円の帳簿に載らないマイナスになる。

 問題は育ち盛りの腹が、それを認めるかという事だ。もちろん、守られた現金資産でパンでも買うという選択肢はあるだろう。しかし、学校にはパンの自販機もなければ、購買もない。

 最寄りのコンビニは隣り町まで行かないといけないから自転車で約20分。そこからうちに帰るのに約45分。これだと消費カロリー的に割に合わないので却下。

 人は数字だけでは生きていないのだ。

 そんな哲学的思考をしている僕の胸を先輩がポンと肩で小突く。

「どうしたの?なんか、私に羊羹を半分渡すと、手物のお金が残るけどお腹が減るかもしれない。でも、残ったお金でコンビニに行けば良いけど、遠いしなぁ。とか思っている様な顔をして。」

 コイツ、エスパーか!

 先輩は上目遣いで、口元に勝ち誇った笑みをたたえてそう言った。

 思考が口に出ていたか?いや、漫画じゃあるまいし、それはない。普通の人間は意図しない限り思考を口に出したりしないものだ。

「何を言ってるのか、理解しかねますね。ぱいせん。」

「その割には苦虫を噛みつぶしてから咀嚼したものを、無理矢理飲み込まされた様な顔をしているけど?」

「どんな状況だよ!いや、それ以前に噛みつぶすのも、咀嚼するのも大体一緒じゃないか。」

「そうね。言われてみれば、そうよね……。苦虫ってどんな虫なのかな?」

「そんな事言ってませんよ。」

「まぁ、噛みつぶせるくらいの虫なんだから、それなりの大きさと仮定出来るんじゃない?」

「強引に話を進め始めた!」

「ノミとかアリくらいの大きさじゃ、噛みつぶすまでもなく飲み込んでしまうじゃない?」

「いや、同意したくないです。」

 少し想像して、嫌な気分になった。

「でも、カブトムシクラスじゃ、噛みつぶすというよりか、丸かじりって感じじゃない?そう言えばあなた、ナチュラルにカブトムシを丸かじってそうな顔してるわね?」

「どんな顔ですかっ!?」

「えー。」

「なんでそんな拒絶されて、意外だなぁと言わんばかりの顔してるんですか!」

「まぁ、取りあえず丸かじり疑惑は置いておくとして、噛みつぶすって言う言葉は多分一口で口に入れてかみ砕けるって感じだと思うのよね?」

「まぁ、確かに。そう言われてみればそんな感じですかね。基本的に料理でも一口サイズってありますし。」

「そこから推測するに、コガネムシ位の大きさになると思うの。つまりね。あなたは誰かがコガネムシをバリバリと噛みつぶした後、口内でさらにかみ砕かれて唾液と混ざってペースト状になった物を無理矢理口に入れられて、なおかつそれを口の中でクチャクチャとしている様な顔をしてたってこと……。えっと、若干。引くわ。」

「こっちが引くわ!」

 ケラケラと先輩が笑う。ここまでむちゃくちゃ言っている割に、本気で腹が立つわけでもないのは不思議だ。

「まったく。少し返事に迷ったくらいでヒドい言われ様だ。」

「決断力のない男って、モテないわよ。」

 パックの自販機をコツコツと小突きながら、ニヤリとする。がさつなタイプってこういう時ズルいと思う。

「で、どうするの?」

「そこまで言われて、申し出を断るのも怖いですしね。断ったら丸かじり男というあらぬ噂を流されそうだ。」

「えっ、ホントに丸かじりするんだ。」

「しませんよ!」

「じゃぁ、仲良く半分こね!牛乳は独り占めに出来るんだから、感謝しなさい。」

「よく言いますよ。」

 ケラケラと笑う先輩を見て、この人には口では勝てそうにないと思った。

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