第二話 「湖畔の小さな観光館」
「なかなか、綺麗なところだね。」
お世辞ではなくそう思った。
ところで、僕が生まれた県は日本でも有数のやたらに大きな湖があって、その周辺にもいくつかそこそこ大きい湖がある。
その、やたらに大きな湖に沿って前に住んでいた街は都市計画が進められていて、湖岸は大体公園になっていた。時々散歩やバス釣りに行っていたが、中々雄大でなかなか見応えがあった。
ここの湖は小さくて粗野な感じだけど、管理が行き届いているようだ。
そして、湖畔には如何にも第三セクターって感じの建物が建てられていた。今回の目的地である湖畔観光館だ。
駐車場には車がまばらに駐まっていて、一大観光名所とは言いがたい客の入り。エントランスにはのぼり旗が立てられていて、赤く大きく「営業中」と書かれている。
なるほど、営業中の様だ。
「おい、営業中ってのぼり旗があるから営業中の様だぞ。」
「まぁ、営業中の様だろうねぇ。」
「これって、夜中に来ても、何食わぬ顔してこののぼり旗が立っていそうな感じがするな!」
声に出して言いやがった。
そう言うことは言っちゃいけない事になってる筈だ。
「知らねぇよ。」
入り口の扉から中に入ると、廊下右手が事務所。そのまま奧に行くと、食堂になっている。一瞬、事務所を奥西他方が良いんじゃないかと思ったが、どうやら受け付けを兼ねているみたいなので、この方が効率的なのだろう。
廊下を進むと、食堂の手前には商品陳列用の冷蔵庫があった。
なんと鮒寿司が売っていた。2千円となかなか良い値段。
「父さん、鮒寿司が売ってる。この辺でも作るんだ。」
「そうみたいだな。食べたいが、酒がほしくなるからなぁ。」
「アル中め。」
「酒飲んだらアル中扱いかよ、ひっでぇな。」
「なんかあったら、酒飲みたいって感情がすでにアル中。」
「そんな訳あるかよ!まぁ、お前も、酒が飲める様になれば分かるさ。」
「飲みたいとは思わないな、今のところ。」
「それは残念。まぁ、男の夢としてさ。息子と酒を酌み交わしたいもんなんだよ。」
「残念だね。全く残念だ。父さんの飲んで帰った時の痴態を見て、僕は酒は絶対酒は飲まないって心に来見ているんだ。」
「大学行っても同じ事言えるかな?お前みたいな奴に限ってウェーイとかいって泥酔して痴態をさらすんだよ。」
ご自分の経験則から来る言葉だろう。他山の石として拝聴しておこう。
そう思ってから、ふと、僕は立ち止まる。
父さんはこんなに感情表現豊かなタイプだったんだな。
この前まで、僕の知っている父さんは、大体仕事で遅く帰って来て、どことなく不機嫌な感じで、口数も少なかった。口癖すら思い出せない。仕事から帰ってきた時には大体寝る前か寝た後だったし、試験前で遅くまで起きていると、「早く寝ろよ」くらいしか言われた記憶が無い。
何故だろう何というか、申し訳ない気分になってきた。
そんな僕の気分に気付かないのか、父さんは物品売り場に売られている鮒寿司を見て、やたらテンションを上げていた。
「おい高志。お前鮒寿司食える?」
「当然。じいちゃんのしか食べたことないけど。」
「よし、帰りに買って帰ろう。オレ好きなんだ。」
母さんは鮒寿司が食べられない人だった。腐っている様な臭いにしか感じられなくて、臭くて仕方がなかったらしい。
僕は子供の頃にじいちゃんが食べさせてくれたから、問題なく食べられる。酸味のきいた臭いは食欲をそそるものがあるし、腐敗臭とは明確に違うと思う。何というか酸っぱい臭い。
父さんは鮒寿司の値札を見て、急に難しい顔をする。
苦しそうな、しかしそれを購入する事による悦楽に期待する様な…。何というか、母が新しい冷蔵庫を買う時にしていた表情に似ている。プライスタグは10倍以上違うけど。
しかしそんな事より、僕は食堂の壁に張られたカレーうどんの方が今は気になる。
カレーうどん。
食べた事がないけど、美味しそうだ。もちろんカレーうどんぐらい知っている。でも、飛び跳ねた汁が服に付くと落ちないからという理由で母はカレーうどんが食卓に並ぶ事を許してくれなかった。
父さんは許してくれるだろうか?
かけうどんから比べると、倍くらいの値段がする。
これから節約生活を余儀なくされる我が家としては、大きな出費になるに違いない。
しかし、気になる。
カレーは美味しい。うどんもまた、美味しい。
その二つが合体しているんだ。美味しくないわけが無い。絶対美味しい。
生ハムメロンのは大して美味しくなかったが、これは美味しい事間違いなし。問題は飛び跳ねた汁による服の汚れだけだ。あと、値段。500円。果たしてこれを許容する経済的余裕が我が家にあるか…。分からない。ここは遠慮して素うどんにするべきではないかと思う。
それはそれとして、鮒寿司も気にならないと言えば嘘になる。正直な話、鮒寿司。好きだ。
「臭い分かる?」
「真空パックだから分からないな。」
「あぁうぅ。それは残念。」
私見だけど、鮒寿司のおいしさは、その臭いである程度判断できる。熟成具合とかだけじゃなく、酸味を含めた全体的な味とかも。
「まぁ、いいじゃないか。売るほど自信があるんだから、不味いわけがない。」
屈託なく笑う父さんを見て、そう言う判断基準もあるのかと、素直に感心する。
「取りあえず、先に飯だな。」
そう言って、父さんは観光館の一番奥にある食堂に入る。食堂は別に壁に仕切られているわけではなく、シームレスだから入るというか、移動するというのが正しい。僕もそれに続く。
食堂は観光館の一番奥にあって、以外と広い。入り口に入ってすぐにある事務所とかを見ても、多分、ここで一番広いスペースを与えられている。
背もたれのない椅子と、丁度良い高さのテーブル。お昼時だから、他に何人かいるけれど、混雑しているというわけじゃなく、かといって閑散としているわけじゃない。
店の店員さんは、どう見ても近所のおばちゃんって感じで、威勢が良く、明らかに観光客の人…、つまり何か垢抜けた感じの人にどこから来たのかとか、そう言う話をしている。
「あんたらはどちらから?」
「あぁ、住人ですよ。息子と一緒に、先刻、引っ越してきました。」
「ほぅ。そりぇあ珍しい。お仕事?」
「そそ。男所帯でね。また食べに来ると思うんで、よろしく。」
「ふむん。野暮な事は聞かないよ。それはそうと何にするか決まった?」
「オレはうどん、素うどんを。お前は決まったか?」
迷わず素うどんを注文するあたり、我が家の経済状況は相当逼迫していると判断して間違いないだろう。素うどんは300円か…。プラス200円。大きいな。あまりわがままも言えないし…、子供は親に従うべきだ。特に…、こういう状況の場合。
「じゃぁ、僕はカレーうどんで。」
しかしながら、自分の小遣いから出す訳では無い。
父さんの財布が当てにならない事については、父さんが悩む事だ。お金の事は気にせず、食べたいものを食べよう。
「あぁ、支払いなら気にするなよ。当然、オレが払う。」
「うん。だからカレーうどん。」
「ほら、ハンバーグステーキとかでも良いんだぞ。」
「いや、ないし。」
「…マジだ。」
そりゃ、こんな観光案内所の食堂でハンバーグステーキはないだろう。いや、逆に偏食の子供向けにありそうな気もする。しかし、壁に張られたカレーうどんの張り紙を見てからと言うもの、僕はカレーうどんの虜なのだ。
「カレーうどんと素うどんね。」
注文を取り終えると、おばちゃんはキッチンの別のおばちゃんに注文を通す。一人でやっているわけじゃないみたい。やる事もないし少しあたりを見渡す。桜の時期にはまだ速いし、それにお客さんもそんなにいなくて開放感がある。のんびりした時間。
「2時くらいになると一人でやってるんだけどねぇ。はい、先に素うどん。」
僕の表情から、考えを察したのかおばちゃんが説明する。
「へぇ、そうなんですか。父さん、先に食べててよ。」
不意を突かれて思わずドギマギして、無理矢理話を変える。
「いや、折角だから待ってるよ。おっ、ところでそこにおいてあるパン。同じ種類ばかりですね。」
「あぁ、これ?隣町の名物パン。息子さん、待ってる間にどう?」
「おばちゃん。営業上手いですねぇ。自分も見習わなくちゃ。じゃぁ折角だから、二つ下さい。」
「まいどあり。じゃぁ、持ってくるね。」
そう言っておばちゃんがパンを二つ持ってきてくれた。
「カレーうどん、出来たよー。」
厨房の方でおばちゃんが呼ばれて、すぐにカレーうどんを持ってきてくれた。テーブルの上に注文した商品が全て並んだ。
惣菜パンと描かれた、なんとなく昭和の香りがするデザインの袋に入ったパン。見た目は単なるコッペパンだ。
袋から取り出してみると、真ん中に切り込みが入っている。つまり、ホットドッグとかそう言った感じで、惣菜的な何かが挟んであるんだろう。名物と言うには何の変哲も無い感じ。
「これ、有名なんですよね。オレ初めて食います。」
そう言って父さんがすぐにパクついている。有名なのか…。
団塊ジュニア世代の父さんと違って、僕は食べ物に困った事が無いのですぐにパクつく様なまねはしない。すこし考える。
この何の変哲も無いパンが何故有名なのか?
そもそも有名というのは県内レベルで有名なのか、全国レベルなのか。いや、市内で有名なのか。そのあたりから、考察したい。
袋のデザインを見る。
正直、昭和からのデザインと言われれば、昭和っぽい。しかし、平成10年くらいのデザインと言われれば、あぁ確かに…。と思えるデザインだ。つまり、今風のデザインではないけれど、かといって絶望的に古めかしいわけでもない。判断がつかない。
じゃぁ、見た目が派手かというと袋の中に入っている姿はただのコッペパンだ。袋に入っている限り、本当にただのコッペパン。
となると、味が奇抜なんだろうか?
「どうした?食わないなら貰うぞ?」
「たべるよ。がっついてないだけだよ。これだから団塊ジュニア世代は。」
「学生時代は極貧だったんでな。食えよ。見てるだけじゃなく。要らないなら貰うぞ?」
「二回言うほど大事な事じゃないだろ。」
奪われるくらいなら、今すぐ食べてしまおう。
袋を破って半分出してパクつく。
まず舌に触るのはいつもの給食のコッペパンの舌触り。でも、このコッペパンからは消毒液の様な臭いがしない。給食のコッペパンはアルコール消毒液みたいな臭いがしていた。アレは発酵に使う菌がイースト菌で、中学校の頃、担任の先生が、おおざっぱに言うとイースト菌の発酵臭であり、イースト菌が糖を分解してエタノールと二酸化炭素を生成するので、つまり、消毒液そのものの臭いだと言っていた。
アルコールなら焼いたら気化して臭いもなくなるだろうと思ったけど、理屈ではそうでも、現実では違うようだ。それは給食用に大量生産する必要性から出てくるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
パン屋さんではない僕には分からないが、とにかく、このパンにはそう言った臭いは感じない。
じゃぁ、美味しいのだろうと持って一気に噛み砕く。ぽりぽり…。
中身がコールスローか薄いハムだと思っていたのに、予想外にクリスピーな歯ごたえがする。次にマヨネーズの酸味。でも、ほのかにマヨネーズ以外の酸味を感じる。これは何だろう?
一旦咀嚼する。
歯ごたえが心地よい。
ぽりぽりぽり。
なんだか、食後にたくわんでも食べている様なそんな心地よさがある。
ぽりぽりぽり。
パンの頼りない歯ごたえの後にこのクリスピー感。癖になる…。
気が付いたら全部食べていた。
「ふぅ。」
一息ついて、中身を考察する。
惣菜パンと言うからには、中身は惣菜にふさわしいメジャーな食材だろう。酸味はマヨネーズであるのは間違いない。そこにプラスなにか別の酸味が乗っている。ここの追求はまた後にするとして、クリスピーな食感の本は何か?舌触りから言って細長く切った何かだ。
ごぼうサラダ?
いや、ごぼうにあの食感は出せない。何らかの製法で歯ごたえが追加されているのかもしれないが、少なくとも今まで食べてきたごぼうの歯ごたえじゃない。だから、ごぼうというのは保留。
歯ごたえと味から察するに沢庵のマヨネーズ和えをコッペパンで挟んだ様な味だ。しかしそれだと、惣菜というネーミングが引っかかる。
惣菜…。
「ふむ。うまい。ごちそうさまでした。では、素うどん。いただきます!」
そう言って父さんは、目の前に置かれたどんぶりを持って、流れる様な動作出口元まで運び、勢いよくうどんをすする。
ずるずる盛大な音をたてて。
ずるずる、ずぞぞ。
本来、音を鳴らして食べるという事は汚い食べ方であり、決して褒められた行為ではない。少なくとも母さんからはそう教わった。
でも父さんときたら、妙にリズミカルで、妙に大きな音を立てて。
それは不愉快に感じるはずの食べ方の筈だ。
でも、不思議と嫌悪感を感じない。
多分。父さんはうどんを食べ慣れているのだ。
あまり外食した事がない僕ですらそう感じるのだから、となりの観光客と思われる初老の男性は手に持ったお茶を飲むのを忘れて見入っていた。
かきこむ。
そう一言で言ってしまえば、それだけの行為なのだけど、それだけの行為だけに僕も、隣の男性も見入ってしまった。なんというか…、なんて美味しそうに食べるんだろう。
「汚い食べ方する人ね!」
そんな僕たちの感覚をよそに、店のおばちゃんが、事も無げに言い放った。
「あはは。美味しかったです。ありがとう。」
いいわけないね。やっぱり。ふと、我に返って思う。危ない危ない。やっぱ、そんな訳ないな。
「良い食べっぷりだったのは嬉しいけどね。まぁ、ゆっくりしていって。息子さんも、伸びる前に食べてね。」
「あっ、すいません。どうも。」
慌てて、箸を割ってどんぶりを手に持つ。ふと、カレーの臭いが花をくすぐる。
そうだ。僕も父さんのまねをしてみよう。
服が汚れたってかまうもんか。どうせ洗うのは僕だ。汚れたら汚れたで、染み抜きの練習が出来るじゃないか。
「よし…。いただきます。」
そう言って、僕は一気にうどんを口にかき込んだ。




