高校一年の終わり(クロニクルオブブレイブ)
「はい、チョコレートよ。ふふ、本命かもね」
「ありがとう聖さん。ホワイトチョコなんだね。イメージ的に苦いのかと思ってた」
「ええ、前までの私ならそうだったでしょうね。けれど、私は堕天使から座天使になったのだから、当然チョコレートもカカオが9割以上を占めるようなものではなくて、甘く優しい白いチョコレートよ」
「何か昔に戻ってない……?」
稲穂が勇男や武蔵野と和解してすぐ、バレンタインデーがやってくる。産まれて初めて家族以外からチョコレートを貰った感動から、その場ですぐに中身を確認してバクバクと食べる。勇男がチョコレートを食べ終える頃には、もう一つの小さなチョコレートが差し出される。
「まあ、君には色々と借りがあるからね。でも許しておくれ、彼は非常に嫉妬深い性格で、こうして10円のチョコレートをあげることすら耐えられないみたいなんだ。だからこれで精一杯」
「勝手に人をそんな性格にしないでくれないか」
「あはは、10円でも受け取れないよ」
稲穂が勇男の手にチョコレートを握らせるが、勇男は笑いながらそれを送り返す。真面目だねえと稲穂はチョコレートの包みを剥し、無理矢理武蔵野の口に押し込んだ。
「おかえり兄貴、おう随分嬉しそうじゃないか、ついに家族以外にチョコレートを貰ったのか」
「ああ、バレンタインがこんなに素晴らしい日だったなんて……」
「で、どっちと付き合うことになったんだ?」
その日の夕方、勇男が家に帰るとリビングでいつものように勇美がテレビを見ていた。勇男の表情が嬉しそうだったのを感じ取り、にやけながら茶化す勇美。
「両方フっちゃったよ。聖さんは俺への借りを返すために恋人になってあげてもいいよって感じだったし、鈴峯さんは心にぽっかりと空いた穴を埋めるために、傷を舐め合う相手が欲しかっただけ。そんな子と結ばれたって、意味ないよ」
「ほーん、ようするに訳ありだったから、恋愛そっちのけで女の子を救ったってことかい、情けは人のためならずってか、お人好しだねえ。……ま、そんな兄貴だからこそ、思春期になっても嫌わずにこうしてチョコあげてんだけどな」
「えへへ」
結局恋人を作ることはできなかったことを報告するが、その顔は後悔の色一つない、清々しいものだった。勇美はやれやれと首を振ると、脇に置いてあったチョコレートの包みを投げて寄越し、少し照れながら自室へと逃げて行く。妹から貰ったチョコレートをパクつきながら、勇男は一年を思い返していた。高校生になったばかりの自分と今の自分を比べると、成長しているはずだという感触はあるが、本当にそうなのか、高校二年生になって新しいクラスで、同じ失敗を繰り返してしまうのではないかと不安になる。
「……後1ヶ月ちょっとで二年生かあ」
何かを決意した勇男は、ひとまずは目先のテストに備えてカバンから教科書とノートを取り出すのだった。
「……ふ、ふふふ、どうだ! 見たか! 全教科50点台!」
「すごい、鈴峯さんが赤点取ってないなんて!」
「え、褒めないといけないの? 微妙に中の下じゃない」
「これでも凄い進歩したんだよ、最初は全教科赤点でもおかしくないレベルだったからね……そして彼女の学力向上に努めた結果、僕の成績は落ちてしまった……」
そしてしばらくして、テスト週間も終わる。武蔵野にきっちりとしごかれたおかげで赤点を回避した稲穂がドヤ顔で微妙なテストを見せびらかすのを、心から祝福する勇男。彼もまた、前回のテストよりも良い結果を出すことができていた。そして数日後、上級生の卒業式やホワイトデーと行ったイベントも終わり、高校一年生として最後の日がやってくる。
「打ち上げいく人集合~」
「うぇ~い」
「行く行く~」
終業式が終わりクラスメイトの大半が教室を出て行った後も、勇男達は何をするでもなく、何を言うでもなくぼーっと教室に残っていた。
「……俺達も、打ち上げ行こうよ」
「……ああ、ごめんなさい。何だか一年あっという間だったわねって感傷に浸ってたわ。そうね、カラオケでも行きましょうか」
「ふふ、僕の美声に畏れ慄くがいいよ。彼も一緒でいいだろう?」
「カラオケか。実は行ったことがほとんどないんだよね、部活でも付き合いの悪い人だったし。でも、僕も変わらないとね。喜んで参加させて貰うよ」
やがて意を決して勇男が口を開くと、スローネに稲穂、武蔵野がコクリと頷く。高校の近くにあるカラオケ屋に四人は向かうが、考えることは皆一緒なのか既に満室。
「……駄目ね、さっき確認して来たけど、皆学校終わってすぐに駆け込んだからしばらく空きそうにないわ」
「ふふ、僕のマイナー店探しの趣味が役に立つとはね。近くにあるんだよ、定年後の老夫婦が道楽でやってる隠れ家的なカラオケ店がね」
「行ったら潰れてたりしてね」
ここぞとばかりにない胸を叩いて先導する稲穂に続くと、こじんまりとしたカラオケ店に到着する。高校からそれなりに近い割には誰も客のいない、稲穂の言うとおり隠れ家的なお店で、四人は時間制限に悩まされることなく、たっぷりと思い思いに歌う。
「ふぅ、たまにはロックンロールで大声を出すのもいいものね」
「ふふふ、もう洋楽の歌詞がわからない僕とは違うよ。英語の点数も52点だからね」
「あはは……あ、もうこんな時間か」
「あっという間だったね」
6時間後、満足気な顔でカラオケ店を出て、流れでファミレスに行く四人。一年の思い出だとか、来年度の抱負だとか、そんな会話をして、日を跨ぐ頃にファミレスを出る。
「さて、僕はそろそろ帰らないと親に心配されるよ、さらばだ」
「そうね、そろそろ解散ね。それじゃあね」
「……短い間だったけど、楽しかったよ」
各々の家に帰ろうとするスローネ達。ファミレスの前で無言でうつむいていた勇男だったが、
「……俺達、ずっと友達だよね!?」
寂しさからか、上ずった声で叫ぶ。三人は勇男の方を振り返り、にこやかな顔でコクリと頷く。それを確認した勇男は、振り返ることなく自分の家へと戻るのだった。
「おかえり兄貴。何だそりゃ、何冊も本を買って」
「自己啓発の本だよ」
帰る途中、何冊かの本を買って自宅に戻る勇男。『変われる自分』だとか『他人を思いやる方法』だとか、そんな本を積み上げて熱心に読み始める。
「自己啓発ぅ? 随分と大量に買いこんだんだな、全部理解できたら相当凄そうだ」
「……俺、この一年で大分成長した気がするけど、まだまだ勇美達のようにうまくはいかないからさ。高校二年生になる前に、せめて勉強しておこうと思って。……俺、変わるよ。俺は、根っからの異端者なのかもしれない。生きる才能がないのかもしれない」
「……」
「けれど、俺はこの一年で、変われる自信を持ったよ。聖さんも、鈴峯さんも変わることができたんだ。だから俺も変わるんだ。本だって読むし、怖がらずに色んな人と喋ったり、チャレンジしたり……行けって言うなら、心の病院にだって行く。自分の現状を受け止めるし、薬だって飲むよ。高校二年生になって、皆とバラバラになっても、しっかりと前に歩けるように。そうでないと、友達に心配されちゃうからさ」
彼女達が自分自身と向き合い前に進むのを手伝い、見届けた彼もまた、前に進む方法も、意欲も十分に持っていた。そんな勇男を、勇美はよしよしと撫でる。
「……兄貴は十分過ぎる程変わったよ。そこらの連中より、私なんかよりずっと立派になった。声だっておかしくないし、状況を分析する力もついた、他人を気遣う心だって持ってる。後は、勇気だけだと思うんだよね。兄貴が過去のトラウマに負けさえしなければ、卑屈になりすぎたりしなければ。……謝っておくよ、兄貴は絶対にまともな人間にはなれないって思ってたんだ。両親も、心のどこかでは諦めてたのかもしれない。けど、今の兄貴ときちんと向き合えば、きちんと話をすれば、協力してくれるはずさ、明日辺り家族会議しようぜ。……いい友達を持ったな、兄貴」
「……うん」
買ったばかりの本を湿らせながら、勇男はコクリと頷く。高校二年生という名の新たなステージが、勇男にとっての新たな戦いが、刻一刻と迫るのだった。




