夏の思い出(ウンディーネパラダイス)
「兄貴、いくら楽しみだからって1時間も早く待ち合わせ場所に行くのはどうなんだ? このクソ暑い中兄貴の御守りのために参じた私の肌が黒くなっちまうよ」
「女の子より遅れたら失礼な気がするし……でも、逆に考えて女の子が待ち合わせ場所にいたら既に男がいたってのもなんか気まずい気がするなぁ……」
プール当日。勇男は少し変装した妹を引きつれて、待ち合わせの一時間も前から待機していた。水着だけでなく、私服でも好印象を与えようと精一杯オシャレをして駅前の駐輪場をうろつく勇男。
「兄貴が気を遣えるようになったのは嬉しいが、そこまで気を遣う程まだ進展してねえだろ……とりあえず徘徊癖はやめとけ、相手からしたらかなり待ってた感が出る。……ああもう暑い、私は喫茶店で時間潰してるから、合流したら連絡寄越せ。尾行しながらたまにアドバイスしてやるから」
麦わら帽子にサングラスをかけて待機していた勇美が喫茶店に消えて行った後も、勇男は直立不動でその場に待機する。気温は30度を超えていたが、汗1つかくことなく、銅像のように立つ勇男。
「いや、ここは俺も隠れておいて、鈴峯さんか聖さんが来たらひょいと登場して、今来たとこだよを演出するべきだ」
30分程そうしていた勇男だったが、偶然を装って出会うべきだと近くにあった茂みに隠れこむ。田舎ということもあり、誰にも見つかることなく更に20分が過ぎる。駅に電車がやってきて、現れたのは稲穂だった。
「おや、僕が一番乗りか。全く、二人とも待ち合わせの10分前には集合するのが常識だろう? 聖さんはともかく四方山君はこの僕の水着姿を拝めるのだからもっと歓喜して一時間くらい前には待機しておくべきだね」
「やあ鈴峯さん! 偶然だね、俺も今丁度来たところなんだ!」
「ひやあああ? や、やあ四方山君、うん、わかってるじゃないか、10分前集合は基本だよね」
待ち合わせ場所について悪態をつく稲穂の後の茂みから、ひょっこりと登場して偶然を装う勇男。明らかに不自然なのだが、びっくりした稲穂はそれに気づいていない。
「雨が降るか心配だったけど、無事に快晴で何よりだね。でも、少し暑すぎるかなあ」
「ははは、僕くらいの玄人になるとね、雨の中、過疎っているプールを独占するのもまた一興だと思うのだよ。それに、このくらい暑い方がプールで泳ぐ時に気持ちいいというものさ……ふぅ」
強がる稲穂だが、暑さには弱いのかその場でふらついてしまう。
「大丈夫? 飲み物買ってくるから、ちょっと待ってて」
「い、いや、ぼ、私は別に、だいじょ……ま、まあ、ここは君の顔を立ててやろうじゃないか」
度重なる奇行で常に危険な人間だと思われてきた勇男であったが、段々と彼の本来の優しさが発揮できるようになりつつあった。カバンから麦わら帽子を取り出すと彼女に被せ、少し離れた場所にある自動販売機までダッシュで向かう。
「鈴峯さん、はいこれ」
「ありがとう四方山君、貢物としてありがたく頂戴するよ……こ、これは……」
勇男が買ってきた飲み物を、照れながら受け取ろうとする稲穂であったが、缶のロゴを見て渋い顔になる。大人ぶって飲もうとしたはいいが、あまりの苦さに吐きだしてしまった過去を持つブラックコーヒーであった。
「鈴峯さんブラックのコーヒーが好きなんでしょ?」
「あ、ああ……うん。あー、何だか元気になっちゃったな。買ってきて貰って悪いけど、気持ちだけ受け取っておくよ。ああ、勿論お金は払うよ。僕の奢りということで、君が飲んでくれたまえ」
「そう? じゃあ俺が飲むよ。……うん、昔は苦いの駄目だったけど、年をとるにつれて味覚が変わったのかな、普通に飲めるようになってきた」
「ま、まあ僕は小学校の時から既にブラックだったけどね」
訝しがりながらも買ったブラックコーヒーの缶を開け、ゴクゴクとそれを飲む勇男。信じられないといった表情でそれを見ていた稲穂だったが、それでも強がるのだった。
そうこうしているうちに、前方から一台の原付が走ってくる。それに乗っていたのはスローネであった。
「お待たせ」
「あれ、聖さんいつのまにそんなものを」
「高校生だもの。原付くらいないとね。私は誕生日が夏休みだったから、すぐに免許を取ったわ」
「いつも思うけど、聖さんっておしとやかそうなのに意外とファンキーだよね。夜の校舎には忍び込むし、原付乗るし」
「私は混沌なる座天使であって、天使ではないの。おわかり?」
「?」
駐輪場に原付をとめるスローネを見て、呆れたような顔になる勇男。おしとやかそう、と言われたのが癪に障ったのか、スローネは不機嫌そうに自分の二つ名を語りはじめた。
「い、いいなあ原付。僕は誕生日が3月だから、うう……お小遣いもないけど」
「さて、それじゃあ皆揃ったことだしプールに行こうよ」
「ええ。今日はよろしく頼むわ」
「乳高プールなんて久々だよ」
「鈴峯さん、今は経営変わって厨極新聞がやってるんだよ」
集合した3人は、そのまま歩いてローカルな新聞社が経営するレジャー施設へ向かう。中に入って一旦別れ、更衣室で水着に着替える勇男。
『兄貴も男だ、純朴とはいえ女の子の水着見てると勃つこともあるだろうから、ばれにくいような水着を買うんだ』
妹のアドバイス通り比較的ダボダボとした水着を履いて鏡の前の自分を見る。だらしない体つきではないし、身長は同年代の平均よりも高く、太っても痩せてもいないが、特に運動をしているわけでもないので筋肉などはついていない。こんなことなら少し腹筋を鍛えておけばよかったな、とお腹を摘みながら外へ出てしばらく待っていると、白いワンピース姿の稲穂と黒いセパレートのスローネがやってくる。
「やあ。二人とも似合ってるね」
この日のために何冊か女性誌と男性誌を読みふけった結果、ワンピースを着てくる女は自分のスタイルを隠したがっているという情報を手に入れてしまった勇男だったが、今の勇男は最早そんなことを口走ってしまう程、デリカシーのない男ではない。代わりに無難な言葉を贈ることができるのだ。
「普通のプール以外にも、色々アトラクションがあるわね。どこに行きましょうか」
「ウォータースライダー……うわ、何だあの行列は。駄目駄目、僕達が凡人が好むようなアトラクションに行くなんてあってはならないことだよ。行列の全然ないところに行こう」
「任せてよ二人とも。事前に調べておいたから、人気のあるアトラクションとか、ないアトラクションとかは頭に入ってるよ。一番人気がないのは……釣り堀だね」
勇男が指差す方には、確かにガラガラの釣り堀。確かに並ばずに遊べるが、プールに来た高校生が水着姿で行うようなものではない。
「ま、まあたまには愚かな庶民がこぞって行くような場所に行くのもいいかもしれないね。うん、とりあえず波のプールに行こうじゃないか」
いくらマイナーなものを好む稲穂とは言えど、釣りは趣味ではなかったようで我先にと波のプールへと向かっていく。少し退屈そうなスローネもそれに続き、何とかなりそうだと安堵の笑みを浮かべながら、勇男もプールへと向かうのだった。
「あら、もう3時間も経ったのね」
「二人とも喉乾いてない? 飲み物買ってくるよ」
楽しい時間は何とやら、波のプールで泳いだり、流れるプールで泳いだり、気が付けば3時間が経過していた。特に刺激的なイベントは起こらなかったが、まあこんなもんだろうと二人のために飲み物を買いにいく勇男。ブラックコーヒーと紅茶の缶を手に戻ってくると、いかにもチャラチャラとした男達に話しかけられているスローネと、その横で少し苛々している稲穂がいた。ナンパされているのだろうと考え、止めるべきか、でも本人もまんざらでもなさそうな顔をしているし……と悩む勇男。稲穂は勇男を見つけると、顔を膨らませながら向かってくる。
「全く、男ってのはどうしようもない生き物だね。大体どうして僕を無視するんだい」
「ナンパされたかったの?」
「まさか!?」
地団駄を踏む稲穂を宥めつつ、さりげなくスローネを監視する勇男。最初こそまんざらでも無さそうに対応するスローネだったが、飽きて来たのか友人と来ているからと男達の誘いを断ろうとする。
「ごめんなさい、今日は友達と来ているの。そういうわけだから」
「え? いいじゃんいいじゃん、俺達と遊んだ方が楽しいよ」
「そうそう。君みたいな可愛い子ほっておけないって」
強引にスローネの手を掴んで連れて行こうとする男達。いい加減我慢の限界だなと勇男は憤りながら男達に声をかける。もしナンパされているのが妹か、感情をコントロールできない昔の勇男だったなら、すぐにでも暴力を振るっていたことだろう。
「この子は今俺達と遊んでるんだけど。本人嫌がってるじゃないですか」
「ああ? 何だお前、やんのか……って、お前は四方山じゃねえか!?」
臆することなく一人で立ち向かう勇男が気に食わないのか睨みつける男達だが、その中の一人が勇男を見て怯えだす。
「? あれ、君知り合い?」
「小学校の頃すぐにキレて暴れ出すお前に、どれだけのクラスメイトが被害に遭ったと思ってるんだよ、これ以上お前と関わるのはごめんだ!」
中学校の頃よりも酷かった小学校時代の勇男にトラウマがあるらしく、冷や汗をダラダラと流しながら逃げていく昔のクラスメイト。他の男達も、勇男が危険な人間だと認識したのか男を追うように逃げていく。
「ありがとう。助かったわ。外見だけの男はやっぱり駄目ね、話しているだけで不愉快になるわ」
「……謝りたかったなあ」
今の自分はかなりまともになってきていると自覚している勇男ではあるが、それでも過去の罪は消えることはない。謝ることもできずに逃げて行った男に申し訳なく思いながらも、再び彼女達とプールを満喫するのだった。
「今日はまあまあ楽しめたわ」
「まあ僕的には60点かな。いや、悪い意味では無いからね」
「それじゃ、夏休みが明けたら学校でね」
その後はトラブルも起こる事なく、いくつかのアトラクションを楽しんで無事にプールは終了。帰りながら及第点かなと自己採点をする勇男の横に、ひょいと勇美が現れる。
「おーおー、妹を忘れるくらい楽しんだようで何よりだ」
「! ごめん勇美、完全に忘れてた!」
「ったく……段々と妹離れしてきたってことなんだろうけど、複雑だなあ。ちょくちょく監視してたけど、ナンパ野郎共に平然と立ち向かえるなんて立派立派。はー、兄貴が女の子と遊んでるの見てたら、私も彼氏欲しくなってきちまったよ。こないだ告ってきた男にOK出しちゃうかなー」
「ええ!?」
おどおどする勇男と、鼻歌を歌いながら意味深な笑みを浮かべる勇美。夏休みはこうして無事に終了し、希望を胸に勇男は新学期に臨むのだった。




