大事な妹(ラブリーマイシスター)
「……まだ6時か。折角だし、今日はこのまま起きよう」
ある朝、いつもは学校に行く10分前に妹に起こされる勇男であったがこの日は珍しく早起きする。
二度寝をする気分でも無かったので、シャワーを浴びてテレビでも見て時間を潰そうと部屋を出てリビングへの扉を開けようとすると、
「キルケゴールが、僕の人生に光を与えてくれたんだ。いわば、彼は僕の主かな」
中から聞きなれない、落ち着いた女性の声が聞こえてくる。テレビがついたままなのだろうと思った勇男が扉を開けると、
「死に至る病……ああ、なんて甘美な響きなんだろうか……んあ、おはよう兄貴」
そこには黒いローブを身にまとった勇美が、怪しげな事を呟きながら不思議な踊りを踊っていた。
「……勇美! 駄目だ、お前はそんなことしちゃ駄目だ!」
「うおおおおお?」
「せめてお前だけは、まともに育ってくれないと俺は……!」
稲穂とスローネの悪いところを両取りしたような妹の姿にショックを受けた勇男。顔をひきつらせながら勇美の肩を揺さぶり、必死で説得をしようとする。
「年頃の女の肩を触るんじゃねえよセクハラ野郎が!」
「ぐぼっ」
言い訳する暇も無くガクガクと揺さぶられていた勇美であったが、堪忍袋の緒が切れたのか勇男の鳩尾にニーキックをかましうずくまらせる。
「ああ、勇美が、勇美がとうとう反抗期に……」
「聞けや人の話を! 演劇だよえ! ん! げ! き! 今年から演劇部入って近々お披露目だから練習してんだよドアホ」
「……何だ、演劇かあ。てっきり勇美がグレて黒魔術とか変な宗教にハマったのかと思って、」
「兄貴じゃあるまいしそんなアホな事するかよ、さっさと顔洗って来いよ」
理由がわかって安心した勇男がシャワールームに入っていくのを見届けると、勇美は肩をすくめて微笑むのだった。
「……兄貴が私を心配するようになるとはなぁ」
「……ってことが朝あってさ、びっくりしたよ本当に」
学校についた勇男は既に教室で談笑していた稲穂とスローネの元へ向かうと、早速朝の出来事を話のネタにする。勇男からすれば笑い話だったのだが、
「……何かその言い方だと、妹さんが私や鈴峯さんみたいになるのが嫌だって受け取れるのだけど」
スローネは不満顔だ。実際のところ、我が道を進もうとしている稲穂とスローネを、まともになりたいけど自分一人では我が道を進んでしまうから皆で切磋琢磨しようとしていると勇男が勘違いしているからこんなことになるのだが、
「まあまあ聖さん。僕には四方山君の気持ちがわかるよ。僕達の道は修羅の道だもんね、資格を持たない人間が真似をしようとしたって火傷をする。そうだろう?」
「え、ああ……うん、そうだね。ところで二人は兄弟とかいるの?」
逆に選民思想で浮かれる稲穂。稲穂の言っていることがよくわからない勇男は適当にそれを受け流すと、話題を変えた方がいいと悟り兄弟の話に変えようとする。
「私は一人っ子よ。今世の血のつながりなんてどうでもいいわ、大事なのは魂のつながりよ」
「いやいや、今世の血のつながりも大事だと思うよ。俺も妹が可愛くて可愛くて、俺が引きこもらずに高校生になれたのは妹のおかげだと言ってもいいね」
「シスコンね、ドン引きだわ」
「うぐ……で、でも、聖さんがよく読んでる神話の登場人物は、近親婚とかそういうの多いじゃないか!」
「妹さんとそういう関係だったの? それを聞いて余計にドン引きなのだけど……変態ね」
兄弟に関して無関心なスローネに兄弟の素晴らしさを説こうとする勇男だったが、スローネは変態のレッテルを貼ると少し勇男から距離を取る。
「僕は年の離れた兄が3人いるよ、もう一緒には住んでないけどね。どいつもこいつも凡人でね、皆大学に入って会社に入って結婚して、つまらない連中だよ、本当に」
「駄目だよ鈴峯さん、実のお兄さんにそんなことを言ったら。素晴らしいじゃないか、就職して結婚して、それはきっと幸せなことだよ」
「凡人にとってはね。会社勤めなんて長いものに巻かれるような真似、僕のプライドが許さないよ。恋だってそうさ、気の迷いでしかないというのに、結婚は人生の墓場だってあれだけ言われているのに、馬鹿な連中だよ、本当に」
「こないだ映画見たとき号泣してなかったっけ?」
「……ふんふ~ん♪」
一方家族に対しても容赦のない稲穂。何度も肩をすくめながら就職や恋愛と言った兄達の行動を否定するが、勇男に先日の映画鑑賞の件を問われると都合が悪いのか教師が教室に入ってきてSHRが始まるまで余裕ぶって鼻歌を歌いながら黙秘を貫くのだった。
「それじゃあ二人とも、お先に失礼するよ」
「ええ、また明日。……今日の夜中なんだけど」
「ああ、ひょっとしてまた儀式? うん、俺でよければ付き合うよ」
放課後になり稲穂が教室を出ていくのを見送ったスローネは、勇男に前回同様に儀式の手伝いを頼む。断る理由などどこにもない、あったとしても友情の方が大事に決まっていると即答する勇男。
「話が早くて助かるわ、鈴峯さんを誘ったら『怖い』『規則は守らないと駄目』って簡潔に断ればいいのに、やたらと難しい言葉を大量に並べてね、録音しておけばよかったわ、ふふふ」
「あはは、その口上は聞きたかったな。何時に来ればいいの?」
「11時半頃に正門前に来て頂戴」
「了解、それじゃあまた夜に」
真夜中のデートの予定を取り付けた勇男はウキウキしながら家に帰り、リビングのソファーに座ってテレビを見ていた勇美の隣に座ると一緒にテレビを見始める。
「おかえり兄貴。嬉しそうだな」
「お兄ちゃんは今日夜の学校で女の子とアバンチュールするんだよ」
「アバンチュールの意味わかってんのか? また夜の学校侵入すんのかよ……」
実は意味がよくわかってないんだよねと心の中で苦笑いしつつ、学校でスローネに言われた言葉を勇男は脳内で反芻させる。
「(俺はシスコンなのかな……いやしかし、勇美は可愛い)」
シスコンと言われたことを気にしていた勇男は、隣で紙パックのジュースを飲みながら携帯電話を弄り、テレビを見ている勇美をまじまじと見る。兄に似たのか少し目つきが悪く、髪型は少し茶色の入っていて、ウェーブのかかっているセミロング。スタイルは可もなく不可もなく。割とどこにでもいるような容姿の勇美であったが、自分を邪険にしない妹に依存しがちな兄からすればスローネ並の美少女に見えてしまうのだった。
「(シスコンの何が悪いんだ、家族を大切にする、素晴らしいことじゃないか!」
そして勇男は、シスコンである自分を肯定し、尚且つ誇りに思うのだった。
「なあ勇美、学校生活はどうなんだ? うまくやってるのか?」
「藪からスティックだな。兄貴に心配される筋合いはねえよ」
「勇美は可愛いからな、嫉妬した女子なんかにいじめを受けてたりしないか心配で心配で」
シスコンを自覚した勇男は勇美の学校生活を心配し始める。友人と呼べる存在が出来て勇男の人生に余裕が出来た証でもあるのだが、勇美は大きなため息をつくと勇男を睨みつける。
「私の中学生活は平穏そのものだよ、中学校はな?」
「……勇美?」
「小学校入りたての頃は地獄だったぜ、兄貴がいつも奇行に走るせいで、どれだけ私が近所の子にからかわれたり、えんがちょ切られたことか」
「……」
「しかも肝心の兄貴は周りの男子と比べて体つきがでかかったし、キレると何するかわかんねーから手を出されずに、私だけが割を食うってわけだ。不公平だよなあ?」
過去を思い出してイライラしながら恨み辛みをぶちまける勇美だったが、
「うっ、ううっ、ごめん、ごめんよいざみいいいい」
「ば、馬鹿か! 泣くなよ、大の男が! 冗談だよ冗談、悪い事ばかりじゃないんだぜ? からかわれたりして悔しかったからよ、ナメられないように私も体鍛えたり色々したんだよ。そのおかげで今じゃクラスでもそこそこ人気者なんだ、あれだよあれ、塞翁が馬だよ。だからな? 泣くなって、私が悪かったよ。兄貴が私よりも遥かに辛い思いしてるのは知ってるからな?」
目の前の勇男がボロボロと泣きはじめると、一転して困った顔になり宥めはじめる。勇男が泣いたり情緒不安定になると、勇美がフォローをして慰める。二人が物心ついた時から、そんな構図が出来上がっていた。
「……ひく、ひっく、うう、ごめんよ、勇美、俺のせいで」
「気にしてないって、ちょっと意地悪しただけなんだって。な? ほら、ティッシュティッシュ。夜に学校行くんだろ? 晩飯まで少し寝ておけって」
涙に濡れる勇男の目をティッシュで拭う勇美。言われるがままに自分の部屋に寝に行く勇男を見送ると、大きなため息をつくのだった。
「……もう少し大人にならないとなあ」
勇男がシスコンであると同時に、勇美もまたブラコンであった。兄のせいで迷惑を被り続け、両親も手のかかる兄ばかり構うために、甘えたりわがままを言う事の許されなかった勇美。しかしそれが良い方向に働いたのか、結果的に達観したような性格になり、良き理解者として勇男を支え続けてきた。当人は勇男を大きな弟のように思っていたが、勇男が今まで何とかやってこれた理由として、彼女の存在がとても大きかったのだ。
「……しかし、夜の学校で黒魔術の儀式する女って、大丈夫なのか?」
そんな兄想いの勇美が、兄の怪しげな交友関係を心配するのは至極当然のことだった。
「それじゃ勇美、行ってくるよ。親にはマラソンの練習してるって言っておいて」
「あいよ、5月とはいえ夜は寒いし暗いから気をつけろよ」
約束通り学校に行くため家を出る勇男。しばらくすると、正門の前で警官と揉めているスローネの姿を見つけた。ローブは着ておらず普通の洋服を着ているが、それでもこの時間に少女が一人でいれば、補導されるのは当たり前だった。
「だから私は……ああ、いたいた。彼が私の兄よ、塾からの帰り道、危ないから迎えに来てもらっていたの。ね、お兄様?」
「??? うん、そうだよ」
突然同意を求められて訳もわからずに頷く勇男。警官は勇男を怪しげに見るが、スローネの兄だと信じてくれたのか二人を解放して気をつけて帰るようにと忠告すると去って行った。
「やれやれ、やっぱりローブを着たようがいいわね」
「ローブ着たら余計怪しまれて補導されちゃうよ」
「そうでもないわよ。私は見た目外国人だから、あまり外国人に慣れていない日本人が一目見ただけじゃ子供か大人か区別つかないことがあるの、ローブを着て露出を控えれば尚更ね」
「ふうん。で、今日は何するの?」
「ダンタリアン召喚の儀式を試してみようと思うの。ダンタリアンは知識の豊富な悪魔で、私達の質問に全て答えてくれるらしいわ」
そして二人は今回も学校に侵入すると、図書室で大量の本を積み重ねて儀式の準備をする。
その後スローネが召喚のための呪文を唱えるが、当然何も起こりはしなかった。
「今回も駄目ね。流石に虚しくなってきたわ、前世は前世、今世は今世を全うせよということなのかしらね」
「うん……そうかもしれないね。もうこんなことやめない?」
「……あら、嫌になったの? あなたに触発されて私は行動したのよ。私が諦めるまで、責任とるべきじゃない? ……なんてね、冗談よ。嫌なら嫌って言えばいいのよ、別にそれくらいで貴方を捨てたりはしないわ」
「……いやいや、これからも積極的に手伝わせてもらうよ」
本を元に戻しながらため息をつくスローネに苦笑いする勇男。スローネとこうして二人で夜の学校で何かをするというシチュエーションを役得とは思っていたが、それでもこんなことはやめて欲しかったため、一応諦めるように進言する。しかしすぐに折れる勇男だった。
「それじゃあまた明日学校で。……そうそう。貴方、優しい守護霊に見守られているようね。兄弟も、いいものなのかもしれないわね」
「? またね、聖さん」
正門前でスローネと別れて家に戻る勇男。別れ際のスローネの発言の意図がわからず混乱しながらリビングに向かうと、
「ただいま勇美。なんでコート着てるの?」
「げっ……さ、さっきコンビニ行ってきた帰りなんだよ」
「こんな遅くにコンビニなんて危ないよ、言ってくれれば俺が帰りに買ってきたのに。とにかく俺はもう寝るよ、おやすみ」
「おう、おやすみ」
コートを着てカバンを肩に提げ、たった今帰ってきたばかりと見られる勇美。深夜に出歩く妹を心配しながらも寝るために部屋に向かう勇男。そんな勇男を見届けた勇美は、ほっとため息をつく。
「危ねえ危ねえ、でもばれてないよな? しっかし、予想以上に美人だったなああの金髪。電波っぽいけど、あんだけ可愛ければそりゃ兄貴もコロッと落ちるよなあ。ま、少しくらい痛い目見た方がいいのかもな……例え電波でも、兄貴に出来た友達を奪うような真似、私にはできそうにねえや」
心配性の勇美は、こっそり勇男をストーキングして先程の一連の出来事を見ていたのだ。スローネを危険な人間として認識する一方で、兄が幸せそうならそれでいいのかもしれないと、複雑な心境になる勇美であった。




