鈴峯稲穂は大人ぶる
「ふっ……やはり朝は、ブラックに限るね」
高校一年生、鈴峯稲穂は、俗に言う中二病であった。
「子供にはわからない、この香り……ぐほっ、げほっ、おえっ……」
朝の台所、母親の作った朝食を食べながら自分で淹れたブラックコーヒーを口にするが、苦さと熱さでむせ返ってしまう。
「稲穂、あんた子供舌で猫舌なんだからブラックなんて早いわよ」
「そんなことはない、母さんは僕のことをわかってないよ」
「はいはい、そろそろ学校行かないと遅れるわよ」
母親に急かされるも稲穂は動じることなく、手でタバコを吸うフリをしながら時計を見る。
「大丈夫だよ母さん。まだ8時じゃないか。学校までは歩いて15分。朝のSHRは20分に始まるから、後5分は余裕があるよ」
「何言ってんの稲穂。昨日言ったでしょ、台所の時計10分遅れてるから、今8時10分よ」
「……え? さ、先に言ってよ母さん、私皆勤賞狙ってるのに」
「あんた僕っ娘じゃなかったの?」
遅刻の危機に、稲穂は母親の用意したお弁当をカバンに入れると、ダッシュで家を出て学校へと走る。
「走りながら聞く音楽は、これかな……」
イヤホンを耳につけて、今では滅多に見なくなったMDプレイヤーの電源をつける。
稲穂の耳に、少しアップテンポな洋楽が流れる。
「うんうん、やっぱり洋楽だね。レベルの低い邦楽とは、クオリティが違うよ。これを聞きながらなら、何時間だって走れる」
歌詞もわからない洋楽を聞きながら、気分よく学校に向かって走る稲穂。しかし、何時間どころか数分も稲穂の体力は持たなかった。
「はぁ……はぁ……どうして神は、僕の身体を貧弱にしてしまったんだ。身体がいつまで経っても心に追いつかないじゃないか……とにかく、後は早歩きで十分間に合うな」
時間を気にしながら気持ち早く歩き、何とか学校に到着する稲穂。
「こら! そこのお前、きちんとシャツはスカートの中に入れろ!」
正門で稲穂の服装を咎める生活指導の教師の言葉に耳を傾けず、急いで靴を履きかえて急いで教室に向かう稲穂。
「(まったく、校則なんてもので僕を縛れるはずがないというのに)」
校則には拘束されるもんかと決意しながらも、この日も遅刻することなく教室へ到着するのであった。
「(それにしても、高校は小中学校とは違って義務教育ではないから、もう少し高度な事を学ぶのかと思っていたけど、つまらないなあ)」
授業中、一番後ろの席という地の利を活かして、イヤホンを片耳につけ音楽鑑賞に勤しむ稲穂。授業はほとんど聞いておらず、ノートもほとんどとっていない。
「それじゃあこの数式を……鈴峯、xは何だ」
「……!? え、あ」
しかし一番後ろの席とはいえ、内職というのは教師からすれば案外ばれるものだ。
この日も稲穂のYシャツのポケットにMDプレイヤーが入っているのを見つけた数学教師が、無慈悲な鉄槌を稲穂に下す。
「(お願い! 答え教えて!)」
「……はぁ」
慌てた稲穂が隣に座っている、仲がいいわけでもないメガネの男子に手を合わせて申し訳なさそうな顔をする。またかよ、と呆れた顔をしながらも、その男子は快く自分のノートを見せてくれた。
「x=e^2です」
「……正解だ」
数学教師もこっそり稲穂が隣の男子のノートを見たのは察することができなかったのか、不満そうにそう言って授業を続ける。稲穂は授業を真面目に聞かない問題児ではあったが、隣の男子が成績優秀なこともあり、授業で当てられても運よく今まで正解し続けていたため、教師も叱りづらいのだ。
午前の授業を終え、お昼休憩がやってくる。
高校生となって数日が経つが、稲穂は他人と昼食をとることなく、自分の席で食堂で買ってきたブラックコーヒー片手にお弁当を食べる。
「(群れないと食事もとれないなんて、皆なんて弱いんだろうか)……げふっ」
集まって食事をする女子勢を冷ややかな目で見ながらコーヒーを飲むが、やはりむせてしまうのだった。そんな彼女を、彼女が冷ややかな目で見ていた女子勢もまた冷ややかな、嘲笑するような目で見ていた。小声で、『あいつ中二病ってやつ? ダサいよね』『勘違いしてんじゃないの?』などと彼女をネタに食事を楽しんでいた。
「……俗物が」
女子勢の声は稲穂に聞こえていたようで、不機嫌そうにそう漏らした。
「(体育か……マラソンなんて、ただただ疲れるだけだよ、何の生産性もない)はぁ……はぁ……」
午後の体育の授業。汗だくになり、ぜーぜーはーはーと息切れをしてマラソンを批判しながらも、一応はきちんと走りきる稲穂。根の真面目さと、アウトローぶりたい彼女の性格が合わさった結果であった。
「(今日も学校つまらなかったな……帰ってアングラ系雑誌でも読みふけるか……あ! 犬だ!) こんにちは、可愛いワンちゃんですね」
「こんにちは! お姉さんも、ワンちゃん飼ってるんですか?」
「私の家はね、トイプードル飼ってるんだよ。室内犬だから散歩とかはしないけどね」
放課後、退屈そうに家に帰る途中、散歩中の少女と犬をみつけて嬉々として話しかける稲穂。
一人称すら統一できないところに、彼女の意思の弱さがあった。
とにかく彼女は中二病であった。
自分は周りの人間より遥かに大人びているんだと周りの人間を見下してはいるが、勉強面でも運動面でも特に長けるものはない上に、精神面では周りの人間より脆い、そんな人間であった。
世間に迎合することを嫌い、マイナーな物を好んだり悪ぶったりするも、根が真面目すぎて中途半端に校則違反をするくらいしかできない、そんな人間であった。
一人称も普段は『僕』と名乗っているが、テンパったりすると『私』になってしまう、そんな人間であった。
「ただいま母さん」
「おかえり稲穂。あんたいつも学校終わってすぐ帰ってくるけど、友達とかちゃんといるの?」
「当たり前じゃないか、僕のカリスマを持ってすれば友達100人なんて余裕だよ」
家に帰り、お弁当の空箱を母親に手渡すとさっさと自分の部屋に戻る稲穂。
「嘘おっしゃい……まったく、どうして急にあんな変な子になっちゃったのかしら」
稲穂の母親は、少しおかしな娘のことで今日も悩むのだった。
「まったく、友達なんて弱者が慣れあうためのもの。僕には必要ないのに」
自室でヘッドホンで洋楽を聞きながらインターネットをする稲穂。
友達いない奴は負け組であるという論調のスレッドを見て、腹立たしい気分になる。
自分は周りの人間より優れているから、同級生とは馴れ合いなんてしたくないと友達を作る努力をしなかった彼女。
「……いや、そういえばクラスに2人程、見どころのある人間がいたな。なんだかんだ言って一人で学園生活を乗り切るのは大変だ、強者同士、結束を固めることにしよう」
しかしやはり内心寂しかったようで、自分の認めた人間となら仲良くしてやってもいいと傲慢ながら友達を作ろうと決意するのだった。
「ねえ、ちょっといいかな」
そして翌日。有言実行、彼女は自分と同じくらい大人びていると認識している2人のクラスメイトの1人に声をかける。その人物とは……