1.言い忘れ―3
「失礼しまーす」
恭介も続く。桃の背中に隠れる事など出来ないほどの身長差があるため、職員室にいた教員達の視線は二人を捉えた。
「お、桃ちゃん」
と立ち上がった数学教師安藤は恭介を見て、「あぁ、聴いてるよ」と言って、教室にあるモノとは違う大きく、白い線で様々な枠が敷かれている黒板へと向かった。桃が安藤の背中に続き、恭介も必然的にその後に続く事になる。
教員の数はそう多くなかった。が、気にはなる。皆、安藤が桃を引き連れたことを不思議に思わないし、恭介を見たその時の反応にも納得言っているようで、誰も触れやしなかった。恭介と桃が職員室前方に向かっても、何も言わない。実際、自分が安藤の立場に立っても同じ事をするだろうと、思える様な、そんな自然な流れ。
恭介は眉を顰める。
黒板の前まで来た恭介。桃についてゆくようにして移動していると、黒板の横に立つ形になった。安藤は恭介達とは反対側の黒板横に立つ。
「じゃあ、開けるね」
安藤が優しく笑んで、何か確認を取るように頷いた。桃が頷いて返す。恭介は間抜けな表情であんぐりと口を開けている事しか出来なかった。
安藤が黒板横の『隙間』に手を伸ばして、何かを『した』。恭介の立つ位置からではそれは全く分からず、何がどうなっているのか、と状況に追いつけないながら、アトラクションの順番待ちのようにワクワクしている自分がいると気付いた。
暫くする間もなく、――黒板が『持ち上がった』。
安物の乗用車のトランクを開ける時のように、上が中心になり、下から上へと、開くように持ち上がり始めた。
「お、おぉ!?」
その光景を目の当たりにして恭介も思わずそんな間抜けな声を漏らしてしまう。
黒板は大分ゆっくりと持ち上がったように見えたが、見えている以上には早かった。行きは遠く感じ、帰りは早く思うあの感覚と近いかもしれない。黒板が持ち上がり、開き、その先に何が、という好奇心が恭介の集中を黒板にだけ突き刺していた。
数秒の後に黒板が完全に開ききり、天井に沿うようにして、その内に隠していた『その先』を顕にした。
巨大な扉があった。鉄製の、網目が浮田っている重厚なイメージの両開きな扉。とっては扉にしてみれば小さい。恭介はすぐに扉の前に立った。が、触れようとはしなかった。
恭介は始めて他の生物を見た原始人のように、扉を舐めるように何度も何度も見て、各々のデスクで作業している教員、そして安藤、桃視線を送る。
「え、何なのコレ」
暫くしてやっと恭介の口から出てきたその言葉は、職員室を笑いに包んだ。
「きょうちゃん、この先が、NPCの本部だよ」
見かねた桃が柔らかく笑いながら恭介の隣に立つ。
「桃ちゃん。恭介の事頼んだぞ」
安藤の声が聞こえてくる。が、興奮している恭介の耳には桃が「はい」と返事した事も気づかなかった。
恭介の隣の桃が教員に軽い会釈をし、振り返って扉に触れると――自動扉かのように、両脇に吸い込まれるように開いて、その先の光景を恭介に見せた。取っ手が小さいのは、飾りだったからの様だ。どうしてそんな無駄なモノを付ける必要があったのかは置いといて、その先に見えてきた、先の見えない降り階段に足を踏み入れる。
幅はそう広くないが、天井は高い。足元に明かりがあるが、歩いていく度に先のモノが点いていく様だ。先の光景は確認しずらい。
幅はないが、二人程度なら並んで歩けるため、恭介と桃は二人並んで歩く。
下りながら、
「つーか桃。本部職員室にはねぇって言ってたじゃねぇか!」
少し声を上げただけで、この空間にはやたらと反響した。後方で入ってきた扉、そして黒板が降りる音も聞こえていたが、先に進む興奮が恭介にそれを無視させていた。
「職員室の下に、ね。きょうちゃんもこれから『通うこと』になるんだから、そんな興奮してたら持たないよ?」
くすくすと可愛らしく笑う桃は、どうみても普段の幼馴染としか見えない。昨日の戦闘、あの光景が嘘だったかのようにまで思えてきた。
が、嘘ではない。あれがあったからこそ、恭介は今、この階段を下っている。それは本人も自覚し、認めている。
昨日、帰宅した恭介は両親に問い詰めようとした。当然だ、あれだけの事があり、知っている素振りを見せた人間がいるのだ。問い詰めたくもなる。だが、父親は何か忙しいようで、帰ってこなかったし、母親も大介と愛の分の晩御飯を作ってすぐにどこかへと出て行ってしまった。恭介の晩御飯は自腹で買ったインスタントラーメンだった。
つまり、昨日の時点では何も、得る事ができていない。
階段を下りながら、下りきったその先でイロイロと知る事になるのだろうな、と思いつつ、恭介は桃に問う。
「つーかさ、昨日……桃の、超能力見たじゃん」
「ん? そうだね」
「あれ何なの?」
「うん? ……あぁ、何の超能力なのかってこと?」
「そうそう」
「私の超能力は『水』に関係するモノみたいだよ。きょうちゃんのはどんなのだろうねぇ」
桃が『水』と自分の超能力を示した事に疑問を抱き、追求したい気持ちが生まれたのだが、それよりも、『自分の超能力』について気になった。それこそ、今日、この先のNPC本部とやらに降り立てば分かるのだろうが、待ちきれない気持ちが生まれているのは確かだった。
自分の超能力。昨日まで普通の高校生をやっていた人間が、裸眼で、目の前でそれを見て、全く新しい、古い歴史に足を踏み入れる事になったのだ。そして、自分も知る前からその歴史に関係しているという。
自分の超能力が、どんなモノなのか気になっていた。そして、両親の超能力なんかも知りたいと思った。
暫く雑談を交わしながら階段を降りると、踊り場の様な小さなフロアに出た。が、そこは踊り場ではない。下に向かう新たな折り返しの階段はないし、正面にガラス張りの自動扉がある。縦に細長いその曇りガラスの扉は、見た目が何処か近未来的で恭介の興奮を煽った。周りには壁しかない。扉の脇にカードキーを通す機械があるわけでもなく、セキュリティ面が気になるような場所、だったが、そんなチンケな技術が飾りとして置いているはずがなかった。恭介が知らない、知りえないだけで、セキュリティ面はバッチリ配備されている。
桃が恭介の一歩前を歩く。ガラス張りの扉は上にしまわれるようにスライドして開き、その先に二人を導いた。
その扉を超えると、何か雰囲気が変わった気がしたが、触れている暇はない。
エントランスホール。まさにそんな場所だった。
奥に見えるカウンター。その両脇に扉が一つずつの計二つ。どちらも先の曇りガラスの扉に見えた。
病院の待ち合わせ室の様に、高そうなソファがホール入ってすぐの両脇に並んでいる。そこには今、誰も腰をかけていないが、カウンターの向こうには女性が一人いた。
綺麗な女性だった。見た目から推測するに二五、六歳か、と恭介は心中で溶かす。切れ長の目、後ろにまとめた艶めかしい黒髪。完全い恭介の好みだった、が。自制する。
桃に気付いたその女性が元気に手を振って二人を呼んだ。僅かに足を早める桃に恭介も付いて行く。
その女性を目の前にして、恭介は確信した。この人、どストライクだ、と。
襟詰の様な制服らしき服の胸元にネームプレートがついていて、見てみると大きな文字でエレナと書いてあった。エレナさんか、と恭介が確認する前に、
「きょうちゃん、こちらエレナさんだよ。NPCで事務的な事をとかやってくれてるの。で、エレナさん。彼が郁坂恭介。流さんの息子の」
桃が互を紹介すると、互が頭を下げた。その際に見せたエレナの笑顔に恭介は完全にやられていた。このクーラーがガンガン聞いた部屋で熱中症に掛かったかの様に頭がくらくらした様だった。
「話は聴いてるよ。恭介君。奥で流さんもだし、これから君の仲間になるNPCのメンバーがいるから、挨拶してみてね。皆いい人ばっかりだから」
「は、はい!」