1.言い忘れ―2
「ッ!」
恭介は男のそのあまりの迫力に思わず辟易してしまった。
注意は引けた。だが、余りに恐ろしすぎた。そうだ、相手は『超能力者』でなくとも『そういう』男なのだ。そんじょそこらにいるただの一般高校生郁坂恭介が相対するには、有り余る程立場に差がある人間。
だが、恭介もここで身を引くわけにはいかない。桃が謎の力を持っている事も分かっている。だが、焦りが恭介の思考を駆り立てていた。理解が追いついていなかった。今この状況で、桃が恭介を守る立場にあるという事まで、考えが追いつかなかった。恭介は、桃を守らなきゃいけない、そう思い込んでいた。
(ッ!! 引いている場合じゃない! 男を桃から引き剥がさないと!)
恭介は田んぼから這い出て、水を吸い込んだ重い身体に鞭打って、
「お、おぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
男に向かって駆け出した。男に体当たりして、押し倒して、その隙に桃を逃がせれば、そう思った。
だが、
「きょうちゃん。ちょっと下がってて。危ないから」
桃の蹴りが、向かって来た恭介の腹に突き刺さる。
激痛。鳩尾を確実に捉えた桃の蹴りは恭介を再び、田んぼの泥水の中へと戻した。
噴水の様な水しぶきが上がる。恭介がその中心にいる。仰向けに倒れて、青々とした稲を潰していた。背中に走る痛みに耐えながら恭介は、「もうどうとでもなってくれよ」と呟いたが、舞い上がって落ちてくる水の音にかき消されて誰にもその声は届かなかった。
そんな恭介を無視して、桃達は再度戦いを始めた。
桃の手に装備された氷の剣が、大きさを増した。そしてその姿をただの剣から桃のその身体と同じ程度の大剣へと変貌させる。
対する男も、纏う稲妻の数を増やしたように見えた。が、その稲妻が、――消失した。
「は? え? なんで!?」
突如として消失した稲妻。やはり、男の意識したモノではなかったようで、男は敵を目の前にしているというのに、間抜けな表情で自身の身体を見下ろし、手で何かを探すかのようにして身体を叩いている。
その隙を、桃が逃すはずがない。
桃が大剣片手に一気に男との距離を詰める。大剣はどう見ても桃の扱える大きさではなかったが、それでも桃は軽そうに振っていた。
桃が男に斬りかかる直前――事は動いた。
桃の大剣を握る手を後ろから掴んで止める巨漢が、突如としてそこに現れた。
桃は即座に振り返る。掴まれた手が震えているのは、恐れているからではない。その手から逃れようとしているからだ。だが、逃れられそうにない。それに桃は、背後のその巨漢の正体を知って、手を抜けようとする事もやめた。
田んぼの端に水浸しで突っ立つ恭介も、その光景には驚いた。
「親父!?」
恭介が間抜けな声でそう言う。
そう。桃の背後に突如として出現し、桃を止めたその巨漢は、郁坂流。恭介の実の父親だった。どうしてか、それともこの状況を把握してなおなのか、桃を見下ろす流は微笑ましげに笑んでいた。
「桃ちゃん。こいつは使うんだ。殺さないでおいてくれな」
そう言った流は、桃の手を離す。解放された桃は右手の中の氷の大剣を離す、と、桃の意図するそのまま、空気中に弾けるようにして、バキバキと音を立てながらその大剣は綺麗さっぱり消え去った。
桃と恭介がそうだ、と男へと視線をやる、と、そこには、無様に組み伏せられる男と、男の手を捻り、組み伏せて男の上に乗って男を固定している――郁坂奏のその姿があった。
「母さん!?」
恭介が間抜けな声で叫ぶと、男を抑えたまま顔だけ上げた奏が、恭介に笑顔を向け、
「あらあら、桃ちゃんに蹴り飛ばされて稲と化した恭介じゃないの。無様だったわね。一部始終見てたわぁ」
と、楽しそうに言った。そう言われた恭介は思わずうなだれてしまう。が、そんな場合じゃないとすぐに立て直す。
「って、それより何が起こってるのか……、」
説明してくれよ! と泥だらけの恭介は叫ぼうとしたが、
「恭介、言い忘れてたけど、『あんたにも超能力』あるから」
奏の不意をついたその、理解不能の言葉によって強制的に遮られ、恭介は再度、今日何度目かわからない、口をあんぐりと開け、目を見開かせて固まるという間抜けな表情に支配されてしまった。
そして長すぎる数秒が経過し、やって恭介の口から漏れた音が、「は?」というこれまた間抜けな嗚咽地味たそれだった。
そんな恭介は置いて、話は先へ先へと進みだす。
奏は立ち上がると、足で俯せに倒れる男を踏みつけ、動けないようにしていると、流が桃を追い越して男の下まで来て、いつの間にか気絶させられていた男を担いで肩に乗せると、桃に振り返り、桃に言う。
「桃ちゃん。明日の放課後、恭介を連れて『本部』に来てね。そこで、恭介の『超能力』も見れると思うよ」
言い終えた流はがははと笑いながら、奏を連れて、恭介には特に触れる事もなく、自宅の方へと向かって行った。
まるで、嵐が過ぎ去った後かの様だった。恭介は桃に手招かれてやっと、田んぼの中から出る事が出来た。潰してしまった稲の跡は、人間の形をかたどっていたかもしれない。
泥だらけの身体は帰ってシャワーでも浴びれば良い。その前に、と、恭介は桃に詰め寄る。
「なぁ。……なんだったんだ?」
詰め寄りはするが、触れる事はない。泥だらけのこの状態で触れば桃を汚す。一旦型が付いて落ち着きを取り戻していた恭介は、そこまで考える余裕を取り戻していた。
桃は恭介を見上げ、静かな、いつもどおりの声で応える。
「詳しい事はまた明日、『本部』で話があると思うけど……、」
桃は歩き出す。恭介も横に並ぶ。普段より、桃の歩みは早いような気がした。
「私『達』は、見ての通り超能力者なの」
「そりゃ、見たから分かるさ。理解しがたいが……っつーか大分軽く言うのね」
歩きながら、二人は話す。桃が自然と音声を抑えているのを察し、恭介の声も自然と小さくなる。辺りに人がいる気配も光景もないが、それでも、他人に知られたくない情報なのだろう。警戒は当然だ。
「きょうちゃんだからね」
「俺だからって……やっぱり親父も、母さんも、ちょうのう、超能力者、なのか?」
桃は頷く。
「そうだよ。私達は、『NPC』のメンバー」
「NPCィ?」
恭介の訝しげな表情が桃に向けられた。
ふてくされた恭介がいた。放課後、普段から桃と二人で帰っている恭介。桃と二人で教室を出る事は、誰にも怪しまれやしない。が、恭介本人が一番その行為に怪しんでいた。
桃に引き連れられて向かったのは、どうしてか、職員室。
職員室を前にして、
「あのさ、今日って今から、その、あの、NPCとやらの本部にいくんじゃ……?」
恭介は辺りを確認した後、桃に耳打ちした。
が、
「そうだよ」
返事はいつもどおりの声色の、いつもどおりの頷き。首肯。きょとんとした表情が緊張感を失わせていた。
「まさかとは思うが、職員室が本部なんて言わないよな」
冷や汗を垂らしながら恭介が再度耳打ちをすると、
「流石にそれはないよね。きょうちゃん。漫画じゃないんだから」
と、期待を裏切る冷たい返事が返される。が、恭介は聞いて一安心した。きっと、ここに今いる理由は、桃が職員室に用があり、その用を先に済ませてからNPCとやらの本部に向かうのだろうと推測出来たからだ。
だが――、
「失礼します」
桃がそう言うと同時、扉をノックして職員室へと進入する。