5.一般人―1
そこで、料理が運ばれてきた。随分と手際の良い店だな、とその早さに感心しつつ、そこで一旦会話は途切れて、二人とも食事に集中した。周りもそこまで声を上げて会話をしている様子はなく、もともと静かな雰囲気を演出し、客もそれを楽しむ店なのだろう、と察した。
時折食事を進める手を止めて、会話を少しずつ進める。
「流君ってでも、見た目からして二○代か一○代後半だよね」
「ん。多分ね」
暫くして、
「私より年下だよね、多分」
「そうだな」
更に間を空けて、
「なんだろうね。これで年上とかだったら面白いかも」
「……確かに」
食事が進み、他愛のない会話を二人は重ねる。メインを終えてデザートまで出してもらい、食べ終えた二人が外に出て時計に目をやると、既に十二分な時間になっていた。
夜の街になっていた。街頭や立ち並ぶ店舗の明かりのせいで昼間と大して変わらない雰囲気が醸しだされている。二人が歩く駅前に出ている居酒屋のキャッチ達が夜という雰囲気を彩っている様に思えた。
駅までの道のりはそう長くない。駅近くのレストランで食事をしていたのだ。遠いはずがない。一キロは当然なかったし、五○○メートルもあるとは思えないのだ。たかが、そんな距離。
そんな距離で、事は動いた。
油断なんてしていなかった。だからこそ、流は気付いた。気付いたからこそ、足を止めた。流がそうやって足を止めたからこそ、数歩分勢いで前に出ていた住良木も足を止めて、不思議そうに振り返った。そうやって振り返った住良木は駅へと続く居酒屋が多く並ぶその道のど真ん中で立ち止まって振り返っている流の姿が見えた。人が多く行き交っている。そうやって立ち止まる流に気を留める人間なんていなかった。皆が早く帰ろうと帰路を進んでいた。
「どうした?」
不思議そうに住良木が問うが、反応は、
「住良木さん。先に帰ってください。今日はありがと」
突然そんな事を言われ、住良木が納得出来るはずがなかった。だが、そうやって、すぐにでも求める結果を伝えなければならない程、事は進んでいたのだ。
住良木が小走りで流へと掛けより、先を見ている流の顔を覗きこもうとして、流が見ているモノが分かった。
「知り合い……じゃ、ないよねぇ」
流の顔の横から顔を出した住良木は流が見ているモノを見て、そう呟いた。複雑な面持ちではあるが、アルコールが入っているためか、本能でそれが何か危険な存在だとは感じていても、思考が上手く回っていなかった。
「いいから、早く帰ってくれ」
流も、そこまで来て焦った。その焦りは確かに、すぐ隣の住良木に伝わっていた。彼女の心地よい酔が引く程には、だ。だが、だからこそ、彼女は、尚更帰るわけにはいかない。彼女からすれば、流は守るべき対象なのだから。
「流君、あいつすごい嫌な感じがする」
「だから逃げろって言ってるんだよ!」
ここでやっと、流は声を上げた。大音声を上げてしまったからか、周りを作っていた行き交う人々が一瞬足を止めて流を見たが、その状態でも、流が見ているモノは動きを止める事なく、真っ直ぐ流へと向かって歩いてきていた。
景色は何事もなかったかの如く動く。
世界は常に動いていると実感させられる。
気付けば、流の見ていた者は、流の視線の先一○メートル程の場所にまで接近していた。
(この空気、雰囲気……。間違いなく超能力者だ)
この季節ならではの半袖の薄いフーディパーカーのフードで鼻先までを隠した、若い雰囲気の人間。流と同年代程度に見えたが、定かではない。はっきりとしているのは、その人間は味方ではない、という事。
「やぁ、君が流君だよね。いや、聴くまでもないか。見れば分かるよ、君は流君だ」
距離があっても、確かに耳に届く声。それが超能力によるモノではないと分かる。集中していたからだ。相手が危険な存在であると分かっているのだ。だからこそ、敵を注視していた。五感のほとんどはその敵へと使用していたのだ。
が、すぐに切り替えなければいけないと流が気付く。
「ッ、」
仕方がない、と吐き出したい気持ちは溢れんばかりにあったが、それすら時間の無駄だと思った。そう思うのも本能的な思考でしかなく、結局、すぐに動いていた。
「逃げるよ!」
そう叫んで、流は振り返り、住良木の手を取って、周りの目なんて気にせずに、駆け出した。
景色が騒いでいる。時折ぶつかった人々は不満を口にするが、全力で駆けている運動の出来る二人に追いつくはずがなく、誰も彼、彼女に不満をぶつける事は出来なかった。それに、その二人を追う一つの影が、一般人でも感じ取れる程に異質であり、誰も、騒ごうとはしなかった。周りの無関係の景色からすれば、ただの――何かあっただろうと思いつつも――追いかけっこでしかなく、警察に通報する人間はいなかった。
駆けた。通常の場合の、敵超能力者に追われている状況であれば、人気の少ない所で迎撃すれば良い。だが、今は、一般人である住良木がいる。そして、この状況だ。敵が、いくら流の名を語ろうが、住良木をこうやって逃している姿を見れば、住良木を超能力者だと勘違いしていなくとも、住良木を一人にすれば、そちらを追う可能性だってある。何故ならば、そうなれば流が住良木を助けに結局敵へと近づかねばならないのだから。
だからこそ一緒に逃げる。手を引いて、無理矢理にでも一緒に逃げる。
無理矢理にしなければならない理由は当然住良木である。
彼女は超能力を知らない。超能力の世界の住人ではない。そして、強い。だからこそ、逃げねばならない。繋いでいる手を離せば、彼女は立ち止まり、振り返り、そして「お姉さんに任せなさい」とでも言って追ってくる敵に立ち向かってしまうだろう。
流は覆したが、それでも一般人が、無能力者が超能力者に勝てないという理由は良く理解している。
(どうする……。逃げ切れる――自信がない。めっちゃ速い速度で追っかけてくる。足はえぇ……。闇夜に紛れて住良木さんだけでも逃がすか……?)
吉祥寺駅から、南下し始める三人。信号が多く、どれも切り替えまでの時間が恐ろしい程に長いのだが、タイミング良く向かいたい方向への青信号が光っていて、流は目的地へとすんなりと向かう事が出来ていた。
その道中で、敵も、流の目的に気付く。
(……井の頭公園だね。広いし、視界も悪い。挙句に夜だし。そりゃそうだ。明るい所じゃ逃げ切れないと判断したんだろうね。でも、無駄だよ)
敵も馬鹿ではない。考えはすぐに及ぶ。脚力で逃げ切れないと判断した流が、壁と視界で距離を離そうとした。それだけだ。
(いくら二人も倒したって言っても、所詮は無能力者。躱す力が高いって事だろ。でも、それは所詮一撃入れれば殺せるって事だってね。双刃も、恭司も馬鹿なんだよ。なぁんで燐さんはそれを理解出来ないかなぁ。僕の方が圧倒的に強くて賢いのに)
だが、流も、馬鹿ではない。
流の目的はただ一つ。
(……住良木さんに超能力の存在を悟らせちゃ、知らせちゃ、理解させちゃダメだ。彼女はあくまで一般人。巻き込んじゃいけない。だから、申し訳ないけど)
公園へと突入した。あちこちに雑木林があり、飛び込めばすぐに視界は悪くなる。当然、流は飛び込んだ。その瞬間、敵の視界には立ち並ぶ木々しか映らなくなる。だが、すぐに敵も飛び込んだ。
敵が圧倒的に有利だ。流という目標と、住良木という好条件の付属品がある。最高の条件だ。
いくら流が無能力者ながらも超能力者を倒したとしても、人質がいれば、大人しく従うしかない。
(超能力者制御機関なんかに入ったのが間違いだ。無関係な無能力者ならば、僕達でも『今は』手を出さないってのにね)