4.希砂悠里―10
恭司の言う通りである。希砂の記憶改変は確かに強力だが、生物にしか作用しない、という制限がかせられているのだ。それは、いくらステージが上がろうが、無意味である。ただの無機質、物質に、記憶なんてないのだから。
「……、殺すのか」
抵抗する意思はなくなっていた。希砂はこの状態で、立て直す方法すら思いつかない。無意味な抵抗は逆に苦痛を味わうだけだ、と自制して、ただ、そう問うた。
それに対して、恭司は頷いた。
「あぁ……『死体でも構わない』って指示が出ててね」
ミスを、犯した。
希砂は自身が殺される事は分かっていたが、それよりも、その、恭司が犯したミスを、誰かに伝えなければならない、と気付いた。
(くそ……ッ!! 助けなんていらないっていうんじゃなかった。まさか、こんな『すごい収穫』があるなんて……ッ!!)
希砂もまた、ミスを犯した。だが、そのミスがあってこその、恭司の漏らしたミスである。
恭司は深い溜息を吐いた後、しゃがみこんだ。眼下に希砂の冷や汗が滲んだ顔がある。片目は閉じかけている。肩に走る激痛と、今から殺されると分かっているその震える程の、強制的な覚悟に耐えているのだろう。
死を目前にすると、人間がどうなるか、恭司は知っている。
ついこの前も、それを感じたばかりだ。殺される事はなかったが。
ふと、思い出した。右手を希砂へと伸ばしつつ、思い出した。
あの日、燐が純也の追跡者の視線に気づいた。それよりも前に、見えてもいない純也と流の接近に気付いていた。二人が近づき、追跡者を発動した所で、燐は恭司を派遣した。純也の実力は予想通りだった。あの時はまだ、神流川村を出て日が浅かったのだから、尚更だ。だが、あの流という存在は、予想を超えていた。見えない位置からの攻撃を避ける無能力者。挙句の果てには、人混みの中で返り討ちにあい、そして、殺されずに放置された。
攻撃を受けたその時には、死を覚悟した。
思考が加速し、何倍もの行動の遅延を感じた。身体の感覚はなくなり、恐怖というものすら、かき消されるようだった。だが、それもすぐに消えた。
流は逃走した。純也と共に逃げてその場を生き残る事だけを考えた。あの状態であれば、流程動ける人間であれば、無能力者といえど殺す事は容易かっただろうに。
希砂に触れるまでの間で、そう思った。
だが、恭司の右手が、希砂に触れるその直前だった。
恭司の右手首に、風穴が空いた。
「――ッ!!」
激痛。関節が砕かれ、激痛と感覚が入れ替わる様に一瞬にして右手が制御不能に陥る、理解不能な激痛。
何が起きたのか、先程撃たれた希砂よりも、理解出来なかった。当然だ。スナイパーは、味方なのだから。
「狙撃手は何をしてるんだ!!」
恭司の部下の悲鳴が響き、その更に下に付く仲間が、急いで無線を取り出した。だが、その男は、吹き飛んだ。一瞬だった。ワイヤーアクションで予め決められていたのかと思うほど綺麗に、斜め上へと吹き飛んだ。彼は暫く宙を舞って、弧を描く様に、落ちた。落ちた後、動かないのは、当然なのだろう。
銃撃に、そして、襲撃。それに気付いたのは、恭司が手を抑え、顔を上げ、無線を取った男と入れ替わる様にして、そこに立っている男を見てからだった。
「ッ!! 大一か……ッ」
「お久しぶりでーす。恭司さん」
芹沢大一。彼である。彼はその超能力のせいで、京や光輝の様にほぼ一瞬で目的地へ、なんて移動は出来ない。だからこそ、小太刀から現状を聴き、希砂の居場所を聴き、そして、助けに向かった。
『既に到着して周りを制圧し始めている第四隊よりもまず先に』希砂を助けに来たのだ。
「いやー。びっくりした。希砂さん。大丈夫ですか? とりあえずこの裏切り者から離れないと。握力ゴリラ超えてますし」
しゃがみこんで自身の右手首を抑えている恭司の背中を極普通に蹴り飛ばして、希砂の左腕を勝手に取って、前のめりに倒れる恭司と入れ替える様に希砂を立たせた。
「……触るな、セクハラだ」
希砂がそう冗談めいて言って、彼の手から離れる。が大一はそれに対しては気にしていないようだ。彼も敵に余裕を見せるために敢えてそういう芝居をしたのだから。そもそも、普段こんな態度で希砂に接すれば、殴り飛ばされてしまう。
「さて、」
大一の声は大きく、良く響いていた。
「俺も驚いたが、今お前達の囲ってた狙撃手がいた位置にいるのは、新人だよ。いやー。いくら一キロ未満とはいえ、ここまで正確に撃ちぬくとは思わなかった」
大一が大袈裟に、そう演説の様に語ったと同時、また、敵の内の一人が、倒れた。頭に大袈裟な風穴が空いている。拳銃如きでは開けられない、入り口の穿たれた風穴が。倒れた死体の頭部から血溜まりが出来上がる。
恭司の仲間達はどよめき始めた。
この時、恭司は、驚愕していた。
(今、新人っつったな……!)
敢えて、言った。そう、敢えて、新人だと、宣言し、大っぴらに公表した。それはつまり、作戦。大一がにやりと不敵な笑みを恭司へと向けた様だった。恭司はそれを聴いて尚更、目を見開き、歯を食いしばり、驚愕の色を濃くする。
敢えて新人と言った意味は、単純だ。神流川村に住んでいた人間ならば、住んでいる人間ならば、人の出入りが恐ろしく少ない事を痛感している。そして、最近、出入りした新人と言えば、一人しか思い浮かばない。
(あの――流とかいうガキ。銃まで扱えるっていうのかッ!!)
これが、全く別なモノの話しになれば、流はただの才能の塊だ、で済んだはずだ。極希に存在する、天才の一人だ、と思われ、一部から評価されていただろう。
だが、殺人が当然のこの世界だ。
それは、やはり、経験の話しにもなりえる。
この世界にいる人間であれば、そのほとんどが痛感している。初めて人を殺す時の、その躊躇というモノを。一部の、生まれ持ってその躊躇を意ともしない人間は確かにいる。だが、彼の、流は、行動を見れば分かる。今まで、殺しをしてきた人間だ、と。
この時、希砂も、大一も、恭司も、確信した。
流はやはり、超能力の世界に関わっていた人間だ、と。
恭司は、そこまで理解した所で、叫ぶ。
「撤退ィ!!」
その言葉に、動きを止めて戸惑ってしまっていた恭司の仲間達が、一斉に動き出した。それぞれが狙撃手の配置を思い出し、まず、建物の影へとずれた。そして、逃げ出した。
「…………、」
大一は恭司を見はりつつ、辺りを見回して、散り散りに逃げ出した恭司の仲間達を見た。皆が、ただ逃げている。体勢を立てなおして仕掛けなおしてくる様子は一切ない。
ならば、放置する。
今、恭司も負傷しているし、希砂も負傷している。そして、第四隊のメンバーと純也、そして狙撃手の位置の流がいる。散り散りに逃げた恭司の仲間達も、すぐに捕まるか、殺されるだろう。
何の問題もない。第一隊は既に集合地点に集まっていて、それをカバーするような形で第四隊が来ている。
後は、目の前の恭司を拘束し、連行して神流川村へと連れ帰るだけである。
恭司は何故裏切ったか、どのタイミングから裏切ったか、それ以外にも、燐の近くにいたのだ。聞き出せる事はいくらでもある。
「さて、お前の超能力は面倒だからな。腕を切り落とさせてもらう」
大一が、彼を見下ろした。その表情は、恐ろしく暗く、冷たい。
恭司の表情は歪んだままだった。それを言われて、宣告されて、それでも、分かっていた、覚悟は出来ていた。だが、まだ、可能性を見失ってはいない。
恭司は考える。
(恐らく、部下達は流達が引き連れてきた応援に狩られるだろう。だが、それが応援の気を引きつけられる最後のチャンスだ。今の内に、そのタイミングで、逃げ出さねばならない……。腕を落とされれば、俺に存在価値なんてないんだからな……)




