4.希砂悠里―8
全力疾走していた小太刀からの合図。それなりの距離を既に稼げたという事なのだろう。
同時、希砂が即座に振り返り、かけ出した。更に同時、京、光輝、大一と意識を引き締め、全員でこの先に燐を通すまいと団結した。
が、燐は、希砂を追わず。
三人が見る燐は、焦って等いない。余裕を保ったままである。
やはり燐にとって希砂は、入れば良い、という程度なのだろう。
そして、後は全員が、時間を稼げば良い。希砂と小太刀が安全な場所にまで逃げ切る事が出来れば、この三人が逃げ出す事は容易い。単純な話し、この三人の強さは、人間を超越した速度でもあるのだから。
だが、猶予は目の前から迫ってくる。燐は留まる事なく歩いてくる。
限界まで粘る。
燐はこの有力者、幹部格の能力を知っているはずだ。知っていてなお、こうやって真正面から迫ってきている。既に、通常の相手であれば、殺すに容易い距離だったが、燐には、どうしてか、攻撃してはならない、と思い知らされる。
互いの距離が五メートル程度に近づいた。もはや、待っている猶予はない。
誰かが動かねばならなかった。
そこで、先に仕掛けたのは芹沢大一であった。彼が右手を、横から何かを投げる様に振るうと、強烈な風が、彼の横から燐に向かって吹き荒れた。轟音が鳴り、小さな民家程度ならそれだけで崩せてしまうのではと思える程の強烈な風の『流れ』が、燐を後退させようと吹き荒れた。
だが、しかし、燐が右手を持ち上げたと同時、それは、まるで、最初からなかったかの如く、消滅してしまった。
「!?」
全員が驚いた。まるで、超能力をかき消されたかと思う様なその光景に、やはり、燐に近づいてはいけない、と改めて確信した。
(今のって……、)
光輝が、気付いた。
彼の頭の中では、今まで燐が戦った、そして殺した超能力制御機関のメンバーの顔が、浮かんでいた。
(まるで……、対馬さんの……)
嫌な予感がした。同時、出発前に、希砂が聴かされ、そんな馬鹿な、と思ってしまっていた事を、思い出す。
――燐は、もしかすると複合超能力者になれる力を、手に入れているのかもしれない。
勘が良かった。良いからこそ、常人では見据える事の出来ない先を見据えてしまい、周りには理解されない事が多かった。希砂もきっと同じだった。だからこそ、信じて、その可能性を考慮しなければ、ならないと思い直す。
全員が、早く指示が飛んでこないか、と焦っていた。燐の歩みは今の一瞬以外で止まっていない。もう、目の前だ。
考える時間が欲しかった。
「大一!」
光輝が叫んだ。と、同時、光輝は一瞬の動きで五メートル程、正面を見据えたまま後退し、そして、大一が燐の前へと出た。京は彼の護衛をする様に、彼の斜め後ろ一歩分後退する位置に立った。
(……複合超能力者。『一部を除いて』天然的には存在しないと言われる、超能力を複数持つ超能力者……。それを、可能にしたって事なのか。いや、でも、燐だからこそ、ありえるし、考えられる……!!)
既に、分かっている。
報告で燐がどんな超能力を使っていたのか、全て聴いている。情報として、比較対象として存在している。そして、今、小太刀というより正確な状況把握出来るメンバーがいるのだ。だかこそ、分かる。
(周りで超能力による援護をしているヤツなんて一人もいない……ッ!! それに、現状からして、仮に超遠距離から何かしらの援護をしてても、意味なんて変わらない。神威燐は、複合超能力者か、それと同等だ……!)
確定。
今の今まで、複合超能力者は存在しない、とされていた。されていたし、それになる手段は、『複製』の様な特異な超能力でないとならない、とされてきていた。挙句、そんな超能力を持つ超能力者は本当に少なく、報告されている例もほんの僅かである。だからこそ、誰もが、心の隅でその可能性を考えつつも、それはないと頭ごなしに否定していた。
だが、違う。
「撤退だッ!!」
合図は、待てなかった。待つ余裕がなかった。
だが、最大限粘った。
同時、街一帯を揺るがすのでは、と思う程の轟音が轟いた。かと思うと、光輝の視線の先で、燐が、そして、大一が、大きく、対照的な位置に真っ直ぐ吹き飛んだ。視線で追う事が敵わない速度で、互いとも吹き飛んだ。
燐はガラス張りの入り口を突き破って巨大なエントランスホールの最深にまで突き刺さり、そしてその対象に跳んだ大一は、歩道を超えてガードレールを壊し、車通りの少ない片側二車線の道路を超え、反対側のガードレールに衝突し、ガードレールを大きく曲げ、上へと僅かに打ち上げリ、そして、その向こうの歩道の上へと落ちた。
偶然通行していた歩行者も、停車していたタクシーの運転手も、その光景が見えた、聞こえた皆は、視線を歩道の上に落ちた大一へと突き刺した。
驚愕。だが、見て、判断出来る。
「京、離脱だ。俺は大一を回収した後についていく。集合地点で全員合流して、帰る」
「わかりました」
光輝が我を取り戻して、冷静に指示を出す。京は頷き、そして、その場から『消えた』。彼はこの時点で既に、ここから五キロ以上離れた集合地点に到着しているだろう。
そして、次の瞬間には、光輝も消えていた。一瞬だが、計四車線の道路を超える様な黄金に輝く何かの軌跡の様なモノが見えたが、すぐに消失した。
「大一、大丈夫か」
「あ、あぁ……いってぇ……」
光輝は、気付けばそこにいた。四車線分離れていた反対側の歩道の上へと立っていた。光輝を抱え上げてやる。まだ、自立出来る状態ではなさそうだったし、そもそも、今の状態を見れば歩かせる気にもならなかった。
だが、十分。思わず光輝は、秘匿に笑んだ。
大一が、相打ちの状態ではあるが、燐を吹き飛ばす一撃を喰らわせたのだ。戦えない、相手ではない。
「離脱するぞ。能力は使えるか?」
だが、今は戦うべきではない。故に、逃げる。
「だ、大丈夫です……ッ!! 離れましょう」
攻めるのは、本当の意味で奇襲が掛けられる様になってからである。まだ今は、引くタイミングなのだ。
勝利の可能性が見えただけでも、大きな収穫である。
(幹部格が揃ったら、襲撃しなおしだ。勝てない相手ではない)
光輝から離れてふらふらと覚束ないが自立した光輝は、周りを見て、人目がある事を確認した後、ビルとビルの隙間の路地裏へと入った。光輝も続けて入り、そして、集合地点へと向かった。
「希砂さん」
耳の中の小型のスピーカーから小太刀の心配する声が聴こえる。小太刀はタクシーを拾ったようで、離れた集合地点へと着々と向かっているようだった。
だが、希砂は、
「大丈夫。集合地点に向かって。他の皆も大丈夫なんでしょ?」
「はい。京さんは既についてます。あ、隊長もつきましたね。能力的な差で分かってるでしょうけど、兄貴は遅れてます」
「なるほどね。助けはいらないから」
「でもッ!!」
「いいから、四人揃ったら先に帰ってなね」
そう一方的に言って、無線は無視する事にした。小太刀が何かを言っているのは分かったが、意識しないとここまで何を言っているかもわからない。
「お互い、触れたら終わり。相打ちか、発動の瞬間がより速い方が勝つ。だからこそ、援軍は必要だと思うんだが、何故呼ばない……?」
希砂の視線の先にいるのは、恭司だった。
おかしな話しだった。付近にはいないはずの恭司が、何故か、いる。まるで、希砂を捉えるためにここにいるかの如く。
「やられたね……」
そう頭を抱えるのは、純也だった。新宿区へと急いで向かう車の中。流の運転する車の助手席で、眉を顰めていた。
彼等の車を先頭に、後続には三台の車が並ぶ。第四隊だ。