3.CHASER―6
扉を開け、飛び出しても当然前方には扉があり、進行方向に邪魔な壁として立ちふさがる。路肩側である助手席から飛び出した流には尚更だ。が、二人ともそれは意図もしない。純也はすぐさま迂回をして扉を避けて前進した。そして流は、扉を飛び越えてその先の進路へと到達した。
その流の綺麗な動きに集まっていた野次馬から歓声に近い明るい声が上がった。
「動いたか」
そう呟いたのは恭司。同時、彼だって動く。車に突き刺していた手をすぐに引き抜き、走りだした。助手席側。車体の左側から迫ってきていた彼はそのまま前進する。目の前には流が閉める事なく飛び越えたためにそのままの状態で残っていた扉が邪魔にはいるが、彼にとって、それは邪魔にすらならない。
恭司は足を止める事なく全力疾走。扉まで手が届く位置に到達すると、単に左手を払った。それだけだった。それだけだったのだが、扉は車体から無理矢理に引き剥がされ、歩道へと跳ねる様に飛び出し、その先の壁に突き刺さった。
次は悲鳴が上がった。当然だ。今、恭司によって吹き飛ばされた車の助手席側の扉によって何人もの人間が一瞬にして犠牲となったのだ。肉片が飛び散るどころか、人によっては頭をそのまま吹き飛ばされ、転がったそれ以外が激しく痙攣し、異様な光景を一瞬にして作り上げた。
そんな悲鳴を背に、全く関する事なく、恭司は全力疾走で二人を追いかけた。
パニックは続いていない。野次馬は逃げ出す事も出来ずにあの場に留まっているのだから。
ただ、全力で逃げ切ろうと走る流と純也、そしてその二人を追いかける恭司の姿を見て、疑問に思う人間は沢山いたが、それでもその程度である。関心が少ない事は今の三人にとっては十二分に好都合だ。
新宿の町中を駆ける。二人は言葉を交わす事はなかったが、当然、人気の少ない方へと人混みに混じりながら向かっていた。
人混みの中で逃げ切る事が出来れば最良。だが、まだ恭司は目標を見失う事なく追ってきている。最悪なのは、当然逃げ切れない事だ。
(恭司さん足早すぎるよね……。人混みから出るまでに見失わせれば良いんだけど、大丈夫かな)
純也も、
(恭司とやら、運動神経良すぎだろ! 超握力使わないでも人混みの中スイスイ迫ってきてるッ!!)
流も、恭司の迫り来る、そして、徐々に近づいてきているその恐怖を感じ取っていた。例え人混みの中であろうが、あの手に首でも掴まれれば一瞬で終わってしまう。その光景を見ていた一般人は、その事実を理解出来ずに悲鳴を上げて終わりだろう。
故に、逃げ切らねばならない。人混みに紛れ、姿を恭司の視線からくらませなければならない。
そして、二人は駅前へと出た。ピーク時でもない時では姿をくらます事が出来る程の人混み新宿とはいえどない。だが、しかし、これは単純に運が良かった。
何かのイベントがあるのだろう。そうと推測出来る。駅前には溢れんばかりの人混みが出来上がっていた。警察による警備体制もしっかりとひかれていて、警察も気を抜けば路上へとその人混みが溢れでてしまいそうな程である。
二人は当然好機と睨んだ。飛び込まない理由はない。その二人から二○メートル程後方で二人を追従する恭司も、当然そうなるだろうな、と予測した。
二人は僅かに互いの距離を空けて、人混みの中へと突入した。その数秒後に恭司も人混みの中へと入って行った。
恭司が続いて突入したのは、当然、その人混みの中で超握力を発動し、一撃で目標を仕留めて人混みに紛れ颯爽と去ろう、と考えたからである。そもそも彼からすれば、流一人仕留めればそれだけで十分なのである。狙うは当然、流だ。
一方で流達は、この人混みの中へと入り、恭司が人混みの中へと入ってきた場合、彼をこの人混みの中で撒いて駅へと逃げ切るつもりでいた。入ってこなかった場合は当然恭司は出待ちをする。それの対処として僅かに距離を離して二人は突入した。純也には追跡者がある。流が見えなくともこの近距離であれば動きながらであっても正確な位置を把握する事が出来る。合流だって容易い。
そして恭司は突入してきた。その結果から恭司がこの人混みの中で仕掛けてくるのは分かる。
(駅に抜けて構内で撒ききるッ!!)
かかった、と純也は思った。そのまま足を遅めて人混みに混乱を産まない様に上手く移動し、そして、アーティストがライブしている仮設ステージの脇を抜けて、純也は駅の入口前へと飛び出す事が出来た。当然見える範囲に恭司の姿はない。振り返ってみても人混みのせいで恭司の確認はできないが、今の内に駅の構内へと入ってしまえば逃げ切れたたも同然だ。駅中の人混みはピーク時を避けてもそれなりに多く、超握力でのパニックの可能性も当然高まる。
駅構内へと入るために下りの階段となっている入り口の際まで来た純也は、流に早く出てこいと祈りつつ、流の居場所を目を見開いて警戒したまま、追跡する。
先程だった。純也はこの恐怖の鬼ごっこが始まった時点で、偶然にも残っていた余裕を『全て捨てた』。余っていた設定の内一つを流へと使ったのだ。
そして、見てしまう。
(流……ッ!!)
流のしようとしている事を、察する。
察して、すぐに協力体勢に入ろうと、人混みの中へと戻ったその機転のきく行動が出来るからこそ、流の無能力者という点を活かすこの隊に入れられたのだろう。
彼の見た流の姿は、ステージ上で歌っているアーティストに対して嬌声に似た声を上げ続けるファンによって作られた隙間のほとんど無い人混みの中で、立ち止まって体勢を僅かに低く保ち、『待っている』姿だった。
純也が見て察した通り、流はそこで待っていた。当然、恭司の接近を、だ。
戦わない事は前提だった。見つかれば逃げれば良いと思った。
だが、流は判断していた。この瞬間、人間が敷き詰められたと表現してもおかしくないほどに詰まった人混みという視界の良くないこの状況は奇襲をかける好機であると。
そして今回は収穫がほとんどない。追跡をかけようとした時点で『見つかった』。恭司が何故燐の側にいるのか、という理由もわからなければ、燐の正確な超能力の正体も分かっていない。数値で例えれば零の状態である。
流は思った。
(ここで仕掛ければ勝てる……、可能性があると、思う)
収穫零のまま帰る。それは確かに任務の結果としてはよろしくない。好ましくないのだ。だが、道中はそれでも命が残っていればそれが一番だ、と純也と確認していた。だが、それ以前に、流は結果を求めている。正確には、碌や奏のために動きたい、恩を返したいと思っている。燐の奇襲の時からそうであるが、流は彼、彼女のためであれば命を捨てても良いと思っている。
故に、ここで結果を得れる可能性のある選択肢を取った。最悪ミスをしてしまい、命を失う事になっても、純也を逃がすための時間稼ぎになると考えている。
当然、流は可能性である、とも想定している。恭司が流を探している、と判断出来る材料は流達にはない。純也を狙っている可能性だって十二分だと思える程である。だからこそ、流も恭司を探す。人混みに紛れている事を利用して、首やら視線やらを堂々と動かして接近する恭司を探す。仮に彼が駅へと出ようとしたら、背後からでも襲撃をかけるつもりだった。
だが、ミスがある。流の判断ミスだ。それは、純也の動き。
「流。後方五メートルの位置に恭司さん」
純也が、戻ってきた事こそが、流のミスだった。好機を更なる好機へと変貌させる、ミスである。