2.神の存在理由―10
女の細められた目から放たれる視線は未だ疑い深く、流の顔へと向いているが、突き刺した指は流の左足に向けられている。この街頭すらない暗闇の中で、既に乾いてズボンの色に同化した血の跡。それに、気付いた。歩き方だと女は言ったが、それこそ普通、分かるモノではない。
「なんで分かったんだ?」
流はそこで、素直に問うた。相手は強い。見た目以上に動けるし、戦い慣れている感覚がある。正直、ぶつかって、殴りあって勝てるなんていう保証はないし、そもそも、そんな事をする理由なんてない。
だが、気にはなった。この女こそ、どう考えたって常人ではない。
疑った。もしかすると、偶然に偶然が重なって、この女も、超能力者なんじゃないか、と。当然、超能力者がそんなに存在しない事も、大っぴらな活動を見せない事も、分かっている。だが、最悪の場合、というのを考えている。それが、流。
「だから言ったじゃない。歩き方」
「あ、そうだったね……」
そして、沈黙。疲れもあった。考える事が面倒に思えてきている程に、疲弊していた。だからこそ、面倒だ、と思って、考える事も結局やめた。そんな流の頭の中に残るは当然、早く帰って休みたい、だった。
「質問に答えなさいよ」
流は適当な事を吐いて逃げ出そうとするが、女はそれを許さない。流が女に何かを感じ取ったと同様、女も、流に何かを感じ取ったのだろう。女は視線を一切流からはずさない。瞬きでさえ数を減らしている様に見える。
それに気付くと、理解は及ぶ。自分と同じ感覚を得ていると理解すれば、速い。
「えーっと、」気だるそうに、「転んで、そこに偶然あったパイプが突き刺さってね。路地裏だったしさ。んで、慌てて飛び出したらサイフも偶然落としちゃって、家茨城でさ、どうしようもなく呆然と歩いてて、公園で休憩を……」
辻褄を適当に合わせて、咄嗟に作り上げた説明。だが、当然そんなモノ、常識として通用するはずがない。足に穴が空いた時点でまず、おかしいのだ。そこを覆せる程の理由がなければまず、女が納得するはずがなかった。
「あーはいはい。分かりました分かりました。で、本当の所は?」
やたらとサバサバとしている女。何かを払いのけるように手を軽く振った後、今度はわざとらしく笑って言う。敵意は消えたのだろう。それか、流に敵意はないと気付いたのだろう。女は大分気楽になった様に見えた。
だが、逃しては貰えそうにはなかった。
どうする、と流は考える。そもそも、女が超能力者でもない限りは、本当の話しをした所で信じてもらえやしない。そういう経験だった。
だが、女は逃さない。では、どうするか。
「…………、」
「黙ってないで話さないと分からないでしょうが」
「……いや、言っても信じてもらえないと思ってる」
「はぁ? そんなの言ってみないと分からないでしょう?」
「うーん。でも、言っちゃいけない話しでもあるんだよね」
「何よそれ? っていうかもどかしい」
はぁああああ、と深い溜息を吐いて呆れる様な素振りを見せた。かと、思うと、相変わらずの態度に戻って、ズバズバと、まくし立てる様な早口で言った。
「あのね、私は心配してあげてるの。君の事。君が私を助けようと勇気を振り絞って飛び出してくれたのと同じで、善意ね、善意。その怪我だって普通じゃないって分かってるし、何か訳ありっぽいから聴いてるの。助けられる事があるなら助けてあげようって思ってるの。だから、グダグダ言ってないでとっとと説明しなさい。それに、さっきの話しの一部でも正しいなら、電車賃くらい渡して上げるわよ。だから、全部話して」
優しい言葉。声色には当然の如く、刺があったが。
その言葉を聴いて、流はこの女性の優しさを感じ取った。そうだ、そもそも、超能力者なんて、そこら辺にいるわけがない。女がやたらと戦闘慣れしている事は不思議だが、きっと生い立ちや何かしらで理由があるのだろう、と推測は出来る。
言われて、考えて、そこでやっと、流は発言する。
「……事情は詳しく言えないけど、刺されたんだ」
そうとだけ、落とした。
詳細は話せない。当然だ。話せば、この世界に巻き込むのはハッキリしている。彼女がほんの僅かでも超能力者である可能性があるとしても、極力そうする判断で間違いはない。
だからこその言葉。そして、それを聴いた女は、不満気に眉を潜めた。
「……やっぱりそうか」
そう、流に聞こえない程に小さく呟いた後、女は顔を上げ、手を差し出し、そして、笑み、言う。
「ま、詳しい事情は『今』はとりあえずいいよ。ウチで手当してあげる。応急処置だけど。近いからおいで」
予想外の、言葉。
「え?」
そこからは、速かった。
怪我をしている人間を放っておけない。女はそれだけだった。そして、純粋に、性格として、強気だった。神流川村の恵のよりも、濃く、強気だと流は思った。
流がそこから近いと言う距離一駅分東に移動して、女の住むアパートに到達するまでの道中、流は引きずられたという感覚しか残っていなかった。
6
「はい」
業火は頷いた。隣に恋人の玲奈がいるから、ではない。それ以前から、もっと前から、決めていた事だったからだ。しがらみにも近い事だったが、彼の意思である事は間違いない。
「では決定だ。玲奈ちゃんも、良いかな?」
碌は業火の隣に腰を下ろす玲奈に問う。
「業火がそう言うなら、私は否定せず、首肯するまでです」
頷いた。首肯した。言葉の通り、強い意思を持っている、と碌はそれを見て思った。
超能力制御機構本部の会議室。碌の前に業火と玲奈。二人とも、既に超能力制御機構のメンバー、職員であり、碌の部下であった。が、しかし、今回の燐による一件により、一部の村民や職員から業火に対しての疑いの目が向けられている。当然と言えば当然だった。『あの当時』、燐の考え、やる事、やろうとしている事に気付いた燐は恋人である玲奈を守る事を再優先にして、二人で避難してしまったのだから。玲奈は何も聴かされていなかったというのが事実で、皆も聴いていた事だが、それにすら疑いを掛ける者もいない事はない。
だからこその、確認。意思の、確認をしていた。
対神威燐用の作戦を考案。そして、実の息子である業火の参加意思の確認。
超能力制御機構は、今回の事態を重く見ている。そのため、すぐに手を打つ。今までのそこらで暴れている超能力者や、小さいが組織化した超能力集団に対抗する、潰すために動く、という任務ではなく、もっと、大きな、世界を賭けた戦いになると皆、分かっている。
目標は神だ。神である。
言葉一つで想像を実現化させてしまう化け物染みた人間。それが、神。燐は彼を狙っている。記憶操作系の超能力を狙うのも当然。神を操ろうとするのだから、当然である。
だからこそ、碌達は阻止しなければならない。
「まずは部隊の編成だ。戸守と恵夢ちゃんの帰宅までに、ある程度、第一の部隊を作り上げておきたい。それに関しては俺が選ぶが、業火、お前もそのメンバーに入れる。覚悟はいいか?」
「当然です」
こうやって碌が業火をここまでの位に引き上げているのには、理由がある。そもそも、業火は強いが、特別強力な超能力を所持しているわけではない。ステージも3と超能力界隈では中の下、良くても中の中と言った所だ。格闘技術がそこそこあるが、それでも並の戦士としか評価は出来ない。
だが、彼は神威家の息子で、そして、今、今までの評価を疑われている様な状態である。彼の信用を失墜させないためにも、彼の手で敵となった実の父親を撃たせる、姿勢だけでも見せなければならない、と碌は判断していた。
彼なりの、業火に対する優しさだった。