2.神の存在理由―3
窓の外に視線を投げて、流は相槌代わりの空返事をしてから考える。自分は一体何者なのか。自身の体中に犇めく程の戦いの痕とは一体何なのか。
(碌さんは俺の身体の傷は、戦いによるモノだって考えてるみたいだ……。正直、そんな気もしてるんだよな)
そんな気もしている。そうだ、あの日、流が巻き込まれたあの日、戦闘の渦中に身を置いて、初めてそんな感想を抱いた。自分でも、後になって冷静さを取り戻してから、気付いた。何故、あんなに冷静でいられたのか、何故、あんなにしっかりと身体を動かす事が出来たのか、と。
記憶はなくとも、身体は戦いを記憶している、と考えたのは、いくつも考えだした内の一つだが、可能性は感じていた。
それからも時折流と戸守が会話するだけで、後部席の恵夢は特別話しはせず、時間が過ぎていった。
そうして、
「そろそろ府中かな」
後部席に落ち着いていた恵夢がそう呟いた頃、気づけば見知らぬ場所にいた。初めて見る景色――ではない、と流は思ったが、気のせいかもしれない、と少しばかり弱気でもあった。
「久々にこっちまで来たな。……さて、駅へと向かうか」
駅へと向かう。その理由は単純。そもそも希砂は、碌の敵ではない。その気になれば、碌は希砂と連絡を取る事も難しくないのである。
確かに面倒だと吐き捨てたくなる程の手数を要して、時には時間を無駄にして、だが、確実に、そして早急に、碌は希砂の正確な居場所を把握し、既に、連絡を取る事に成功していた。
この三人は、希砂の迎え、そして、護衛に来ているのである。
待ち合わせは府中の駅。東側の階段を登り切った先にある駅ビルの扉に背を向けて、真っ直ぐ左側の道を進んだ先にある本屋の少年誌コーナー。
数年経過して顔が写真と変わっている可能性もあるが、互いに特徴、合言葉を決めている。相手も燐とは敵対関係にある。燐に拉致される事は好ましくないと判断しているのだろう。素直に指示に従ってもらえたようだ。
車を近場のコインパーキングを見つけて停車させた後、三人は僅かに足を早めて駅へと向かった。無駄に長い信号の関係で駅までは数分かかったが、仕方のない事だ。これで、先を越されていればまず最初から追いつきやしない。相手が移動系の超能力を使用する事も考慮した上で、場所を指定して集合形式にして、合流を狙うのだ。
連絡を取った所を何かしらの方法で盗聴でもされていたとして、そして重ねて、相手が移動系能力を使用してきていたら、もはや勝ち目はないと思える。記憶を書き換える力『記憶改変』のステージ6の超能力者である希砂だが、燐だって狙う以上は何かしらの記憶改変に対する対策を練っているはずである。それを考えた上での、護衛。
流は車での移動にどうしても時間を要するため、その道中で会話ができれば、とついてきている状態で、彼は、戦闘には参加しない。させない。
そのための、強者二人である。
二人が先導。流が二人の後へと続いて、指定の場所まで素早く、且つ、目立たない様に移動する。人の数は多くなかった。どこを見てみても人混みと呼べる程の団体はない。相手が姿さえ知っていれば、すぐに見つかってしまう様な状態だ。
(一応、相手には神威燐がいる。……燐なら俺達でも気づけるが、誰か違うのを派遣していた場合でも、特徴なりを伝えられている可能性も、あるな)
戸守も、そして、
(……怪しい人影はない。こっちを警戒している影もない。でも、相手は長年超能力を隠してた様な人間……か、その仲間。油断は出来ない)
恵夢も、油断等していない。絶対にする事はない。
強者であればあるからこそ、油断は敵だと理解している。油断は命取りとなる。それが、戦火の渦中であれば尚更、今こそ探りあい、もしくは一方的な警戒であるが、それでも、だ。
駅へと登る階段を登りきり、少しだけ進んですぐにUターン。そのまま階段の左に見える道へと突き進み、その先にある本屋へと入る。本屋の中も人混みはない。人数はそこそこ。夜。サラリーマンの帰宅ラッシュはすぎたのだろう。今からこの駅へと戻ってくる人間も足早に駅を降りるため、本屋へと留まる人間は少ない。
そして、すぐに、
「見つけた」
戸守が目を細め、呟く。言葉に反応したのは二人共だが、視線を動かしたのは流だけだった。そして、流も気付いた。確かに、いた。少年誌のコーナーの奥。単行本の試し読みを熱心に呼んでいるその姿。
流はそれを見て、思った。
(思ってたより、全然若い印象だ……)
「視線は適当に流しなさいよ」
不意に、恵夢からそう言われて、流は思考を一時的に中断し、慌てて視線を反対側へと投げた。意味は理解している。どこに敵が潜んでいるかわからない。敵がこちらの容姿から何からを把握している可能性はあるが、そうでない可能性もある。だから、極力警戒されない様にしろ、という事。
(確か、合言葉は、すいません、に対して、ごめんなさい)
これに関しては、当然の如く、恵夢が動く。理由は単純だ。恵の容姿はただの少女のそれでしかない。彼女こそが、他人に話しかける事に対して、一番自然に振る舞う事が出来る。
同時、二人と一人に三人は別れる。
恵夢は急に態度を変えた。それを初めて見る流は驚いたが、彼は戸守が上手く誘導した。
「お、あっちにあんじゃん」
そんな事を吐きながら、戸守は流を少年誌コーナーから少しは慣れた位置に移動させた。そこから少年誌はコーナー、そして、恵夢の姿、希砂の姿が確認出来る。
二人して紐で縛られていない本を適当に取り、時折自然な会話を演じながらそこで待機する事になる。
その一報で恵夢は、わざとらしく人差し指を顎まで持って行き、きょとんとした様子で辺りを見回しながら、ふらふらと歩き始めた。あっちへと数歩歩けば、すぐに足を止め、辺りをみまわしなおし、そして再度方向を変えて、数歩歩いてまた止まる。そんな不自然だが、自然な動きで、着実に、希砂との距離を詰めていた。
その様子は、あまりに自然、そして、不自然。
(なんだアレ……さっきまでの生意気な態度はどこに……)
覗き見る流は本に視線を配るのを忘れる程に、呆気に取られていた。
そんな流の様子に気付いたのだろう。あるいは、推測していたか。あくまで本を読んで、笑っている様な演出を混ぜた上で、戸守が流に呟く。
「アレが彼女のすごい所だよ。普段は生意気な女の子程度な印象だろうけど、恵夢ちゃんは全てに置いてすごい。俺の知る限り頭も良いし、運動の能力も高い。挙句の果てには超能力も強力で、ステージも高い。それに、見れば分かるだろうけど、将来美人になるだろうね。姉がアレだしね」
聴いて、流は本に視線を戻して、文字なんて読む事は出来ずに、恵夢の姉である恵のその姿を思い出していた。愛浦商店で出会った、あの美女のその姿を。
(ま、まぁ。そうだな、確かに)
里子などでなければ血は繋がっているはずだ、と思い直して、そこで考える事は止めて、流は一度本に書かれている普段読む事のない様な、記憶を失う前でも読んでいなかっただろう文字列を少しだけ流して読み、再度恵夢の監視に戻る。
気づけば既に、恵夢は希砂と接触していた。
「すいません」
「ごめんなさい」
(ビンゴ……!!)
「行きましょう」
恵夢はそう言う。名前は呼ばない。だが、確信に迫る一言。
――と、同時だった。
(いた……ッ!!)
敵の動きを、察知する。
察知したのは、
(戸守さん、気付いてないのか!?)
流である。