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NO,THANK YOU!!  作者: 伍代ダイチ
THANXX!!
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1.青年の名―1

 と、青年が視線を動かして部屋の奥を見ると、畳の上に堂々と陣取る食卓の側に腰をかける碌と奏が見えた。二人ともお茶と茶菓子を前にくつろいでいた。見れば青年用の位置もあり、青年は歓迎する二人に軽く頭を下げてから、その場所へとついた。

「遠慮せずに飲んで、食べてね?」

 奏が微笑み、そう言う。その微笑みはやけに柔らかく、優しく見えて、青年には安心感を与えていた。

 差し出された手を見て、頷き、お茶をすすり、茶菓子に手をつけた。

 つけて、から、青年は頭を下げた。

「えと、あの。助けてくれて、ありがとうございます。……俺、記憶なくて、何がどうなってるのかもわかってないんだけど、とにかく、助かりました」

 そう言ったところで、碌が、顔を上げるんだ、と指示を出した。その通りに青年は顔を上げる。碌は青年の上がった顔を見た。見て、当然、そこに不安という感情を感じ取る。

 当然だ、そう思った。奏も同様に感じ取っていた。二人とも記憶をなくした経験なんてした事はなかったが、その不安には共感が持てた。

「えっと、あのね」

 と、奏が言う。

「とりあえず、名前がないと呼びづらいから、思い出せないなら、適当に一時的な名前をつけちゃおうかなって思ったんだけど」

 碌もそれには深く頷いた。青年も確かにそうだ、と思った。

「じゃあ、お願いして、いいかな? 思いだせそうにないから」

 そう言って苦笑する青年。いや、自嘲だったかもしれない。名前、と言われて当然思い出そうとしてみたが、自身のそのパーソナルな情報すら、全く覚えていないのだ。記憶に関してはまっさらな状態というよりは、記憶自体はあるが、どうしても思い出す事が出来ない、といった感覚だったが、どちらにせよ、今思い出せない、という事だけが青年にとっては重要だった。

 本当の名前が思い出せるならば、その時はその時だ、と考え、青年は奏にそう伝えた。

 伝えると、答えはすぐに帰ってきた。

「あのね、考えてみたんだけど、私達は君について何も知らないから、とりあえず、とりあえずね。砂浜に流れついてきた、から、『(ながれ)』でどうかな? 苗字は必要な時は私達の郁坂を名乗れば良いよ」

「流、か」

 悪くないんじゃないだろうか、と青年は思った。変な名前を付けられるか、なんて不安も一応に抱いていたが、必要なかったようだ。この二人は、本気で青年の事を、心配していろいろと考えてくれている。そう、実感する事が出来た。

「ど、どうかな……? 嫌だったら別のでも」

 自信がない様に、もじもじとしながら奏が言う。が、当然、青年は首を横に振って否定する。

「いや、嬉しいよ。流、いいじゃん。そう呼んでください。とりあえず、俺の記憶が戻るまでは」

 そう言って、青年は、流は微笑んだ。心からの笑みだった。とりあえず、記憶がなくとも、記憶に関係しない事であっても、何かに向かって一歩前進出来た気がしたからである。

「……っ」

 その笑みに、少し特殊な気持ちを浮かべた奏だったが、そんな素振りは一瞬の内に消し去った。

「良かったぁ! じゃあ君は今日から、記憶が戻るまでは郁坂流ね!」

 嬉しそうにそう言う奏を見て、流も、碌も、二人共、自然と穏やかな気持ちになっていた。単純に、可愛い子が、娘が、嬉しそうにしているという光景に、そんな気持ちを抱いたのだろう。

 そこまで決まったところで、碌が、さて流、と話を進める。

「俺達は当然、君がどこから来たのか気になっている。村のみんなもそうだ。君の全身にある傷痕。どう見ても、ただの傷痕じゃない。俺達神流川村の住人の多くはそういう類、形の傷痕がどんな状況で出来るか知っている。だからこそ、皆不安に思ってる。だからまずは、皆を安心させるために、この話が落ち着いたら、村の案内をしようと思う。いいかな? 落ち着いてからで十分なんだけど」

 そう問う碌。不安はないが、単純に、流の体調を心配しているようだった。可能なら今日この後、まだ目覚めたばかりで不調なら明日以降にでも、という問いであった。

 それに対して、流は当然、頷く。

 理解していた。目覚めて気付いていた。自身の身体が古い傷痕だらけだという事に。それも切創から火傷の様な痕まで様々なモノが存在している。だが、記憶がなく、それを見ると、自身でさえ不安を抱く程だった。

「はい。当然だと思います。この話の後にすぐでも」

 強く、頷いた。皆の不安がわかるから、尚更急いだ方が良いと流も思っていた。

「じゃあ、後で奏に案内させるよ。その前に、確認したい事がある。答えてくれ」

 流は首肯する。と、質問が始まった。だが、記憶がない流に対する質問だ、そう長くは続かない。記憶の話になり、ないと答え、大体の質問は終わった。そこから流れて談笑になり、案内の前に軽い村に関する説明をされた流は、それら全てを忘れない様に意図的に集中して聴いて、覚えようと努力した。

 が、だからこそ、感じ取ってしまう、違和感。

 碌は流に対して懇切丁寧に神流川村の説明をしてくれていた、のだが、その言葉の節々から、何かを隠している様な違和感を、流は感じ取っていた。だが、当然、それに関して突っ込んで話を聞ける立場ではない。敢えて、顔にも出さずに、その違和感は覚えつつも、胸中にしまっておいた。

 その後、昼食を取り、昼を過ぎた辺りで奏が流を連れて、村へと出た。

 郁坂家を出て、振り返り、流はその大きさを改めて実感して、驚嘆した。

「へぇ……すごい豪邸だな」

「あはは。娘の私が言うのもなんだけど、一応村長ってやつだからね」

 隣でくすくすと上品に笑う奏を見て、違和感を覚える流だったが、その違和感は、単純に、田舎村の娘という印象と、その上品さがズレていたから、という勝手なモノである。

 村はそんなに大きくなかった。人口一○○人程度で、三○世帯強程度しかない。当然全部の家を回り切る事はなく、それも夕暮れの前には終わった。

 郁坂家へと戻る道中で、流は印象に残る家族、人物を思い返していた。

 最初に思い浮かぶのは当然、現在隣を歩く奏だったが、次に浮かんだのは、この村で郁坂家とは比べ物にならない普通の家に住んでいた人間だった。

 奏達がさん付けで呼ぶ相手だった。

(神威とか言ったか……。なんか気に触る人だったな)

 息子もいる、と言う話を思い出したが、その息子にも進んで会いたいとは思わない程度に、流の神威家に対する印象はあまり良くなかった。

 威圧感、という印象が強かった。相手も疎ましげにしているわけではなかったし、それを流も分かっていたのだが、どうにも、正対する事にさえ、嫌悪感を感じる相手であった。

 単純に気が合わない、人間として合いにくいのだろう、悪い相手じゃない、と自身に言い聞かせつつ、自身は村の中で最低の立場にいる人間なのだから、皆と仲良くしなければいけないという戒めも確認しつつ、流は記憶を辿って考えを進めた。

「どうだった? この村は? お店も一件しかないし、品物もあんまりないけど?」

「俺は好きだよ。この雰囲気」

 次に思い浮かんだのが、零落、という苗字の家の事だった。

 ザ和風と言った感じのそれなりに大きな平屋に住んでいる家族で、小さな娘が一人いた。母親は身ごもっていて二人目ももうすぐ出来るという。

 ただそれだけ考えれば普通の家族だったが、何か、神威とは違う威圧感が、あったと流は感じていた。対応してくれた祖母と身ごもっている母親、それに娘の印象は、とても良かった。だが、何かを秘めているのでは、と思うほどの、何かを流は感じ取っていた。

「もう、田舎だからってそう言えば良いと思ってるんでしょ?」

「そんな事ないよ。っていうか正直、あんまり街とかの光景も覚えてないから、今の俺にとっては生まれた地みたいなモンだしな」

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