15.窮地/襲撃―4
が、そこで桃が足を止める理由なんて、微塵も存在しなかった。当然だ。目の前にいるのは敵。そして、リベンジすべき相手。何がどうなって今の状況に陥ったのか、理解は及ばなかったが、十二分。
桃は、駆け出した。
数歩踏み出すだけで懐へと飛び込める位置にいた。殺し合いの最中でのその距離は、一秒とすら必要せず、一瞬にして、桃は星屑のガラ空きの懐へと潜り込んだ。その際に、手裏剣が襲いかかって来る事は、なかった。
そして、ただの破片による一撃が、星屑の喉元へと突き刺さった。
「がっ」
嫌な嗚咽が漏れた。当然それは、星屑の口から。真っ赤な鮮血が漏れた。それも当然、星屑の口の隙間と、喉にたった今作り出された傷口のそこからだ。
桃は相変わらず年相応とは言えない可愛らしい見た目とは恐ろしい程にギャップのある冷静過ぎる態度で、その破片を、横に引き裂く様に、振るった。
その破片の鋒を辿る様に、傷口から鮮血が溢れた。破片が完全に振り切られると、眼下にいた桃の真っ白な肌を真っ赤に塗り尽くす程の、鮮血が星屑の喉から吹き出した。まるで、血のシャワーの様だった。吹き出す音が、シャワーのソレとはまた違う聞きなれない生々しい音で、桃はこのタイミングでそれを、耳障りだと感じていた。
桃は破片を投げ捨てて、低く構えていた体勢を元に戻すと、目の前で喉を抑え、崩れ落ちて嗚咽めいた声を漏らして足元で足掻く星屑を見下ろした。
まだ残っていた意識をフルに生かして星屑は見下ろすべき相手だった桃を見上げた。氷を連想させる程の冷たい見下した目、視線が、星屑の最後に見た光景となった。
「……襲撃をしたいなら、俺の千里眼の届かない所から狙うべきだったな」
恭介は両手にポケットを突っ込んだまま、視線の先に見える男――罰に向かって、そう静かに吐いた。
臨時NPC支部吉祥寺中で一番の広さを誇る会議室。そこに避難している人間は十数名だった。百余名がいたNPC日本本部の人間を分散させたのだ。桃、鈴菜、一閃の三人が主戦力となるここで考えれば、妥当な数である。
星屑と二人でここに襲撃に来た罰は、桃を倒すと言って聞かない星屑をおいて、一閃と真正面から殺し合い、その後、鈴菜という目を倒し、その後、その他のメンバーを倒す予定だった。
だが、タイミングが本当に悪く、一閃は外へと任務に出ていて、その場で見つける事ができたのは、主戦力とは呼びきれないメンバーを導いて避難させた鈴菜と、彼女に引き連れられて来たメンバー達だけだった。
当然、罰は武器を構える前に鈴菜に問うた。一閃はいないのか、と。だが、鈴菜は応えなかった。そんな状況になっても助けにこない様子から、一閃がその場にいない事は予想できた。
だから、折角襲撃に来たのだから、という気分だけ、とも言える理由で、彼は鈴菜を含めた会議室にいる人間を全員、殺すと決めた。一閃はその後だと決めた。
が、そうやって考えた時間が、無駄だった。
超能力とは、人知を超えた人間の持つ力である。
例えば、火種も焼べる薪もなしに火を着ける事が出来る。例えば、筋肉を動かす際に発動する機微な生体電気とは言い切れない程の電気を操る事が出来る。例えば、幻覚を現実そのものの様に見せる事が出来る。そして、遥か先、離れた見えもしない場所から、敵のすぐ目の前にまで、移動する事も出来る。
罰がその気配と言葉に気づいて振り返ると、会議室の入り口に、背中を預けてそうやって寄りかかっている恭介の姿があった。
(千里眼の効果範囲なんて、知るわけがないだろう)
心中でそう吐き捨てて一人呆れた罰は、右掌を開き、握り直す。と、気づけばそこには、巨大な両刃の剣が、握られていた。討伐隊の専用武器、クレイモアだ。
恭介はその姿勢のままクレイモアを一瞥するが、視線はすぐに罰へと戻した。警戒している、というよりは、ただ、気になって視線を向けた程度に見えた。
それが、罰にとって不快だった。
専用武器を持つ事と使用する事を前提に作り出され、団体として組まれた討伐隊が、武器を出す、という事は、本気で殺し合う、という意思表示でもある。
が、しかし。目の前の郁坂恭介という未知の存在は、そんな意思を受け止めすらしない。
考え方の違いだった。そして、今までの経験、行動による人格形成の違いだった。
罰は少なくとも、恭介と『戦う』という覚悟を今、決めていた。一方で恭介は、罰を『殺す』という考えのみを、頭に入れていた。
刃を交えるではなく、始末する。この差だ。
生理現象で、罰が瞬きをしたその瞬間だった。確かに視界のど真ん中にあったはずの、恭介のその姿がなくなっていた。
が、
(後ろ)
罰はその戦闘センスの高さから、気配と推測のみで恭介の動きを把握した。
攻撃意思がないと決め、罰がクレイモアを肩に乗せてゆっくりと振り返ると、会議室の奥に固まっていた鈴菜達を守ると言わんばかりの立ち位置に、恭介はいた。相変わらず、両手はズボンのポケットに突っ込まれたままだったが、その位置に移動した事が、罰に不快感を抱かせた。
(何を考えているかわからない)
罰は、だとすればその舐め腐った態度を打ち砕いてやろう、と、一瞬にして恭介の眼下まで接近し、左手を沿え、両手で握り締めたクレイモアを、右下から左上に、切り上げる様に恭介に向けて斬撃を放った。
一瞬だった。それを目で追えたのは、当然罪と、――恭介だけだった。
恭介は、やはり、ポケットから手を出してはいなかった。動いていたのは、足。
左下から斜めに上がってくる斬撃を見切って、その速度に負けない反応速度と反射で、恭介の左足が持ち上がり、下から迫ってきていたクレイモアの刃を、踏みつけていた。
下から恐ろしい程の重さを乗せ、迫っていたクレイモアの一撃と、恭介のもはや何が負荷しているのかわからない足が衝突すると、当然の如く、クレイモアが打ち負けた。恭介の足に踏み抜かれたクレイモアの刀身は、真ん中から真っ二つに砕け、その上半分を吹き飛ばし、それは天井に突き刺さって僅かな破片を飛び散らして、終わった。
「なっ……、」
罰は当然驚愕した。まさか、『この』、クレイモアが、叩きおられるなんて、と絶望した。
罰は知らないが、恭介は超能力を封じられたも同然の状態で、素手で、否定石の分厚すぎる予定を、打ち砕いた男だ。クレイモア程度『今更』で片付ける事が出来る。
クレイモアを振り切った勢い、そして、それがいとも容易く砕かれたという驚異的な現実を目の前にして生み出してしまった十二分過ぎる隙に、恭介はさっさと終わらせる。
その場で、僅かな跳躍。浮いた所で回転し、そして、回し蹴り。
恭介の右足の甲が、隙だらけの罪の頬を思いっきり、叩いた。
まるで、高速で走る硬すぎる何かに、突っ込まれたかの如く。そして、誰もが、その光景には一瞬遅れて気付く。
恭介の蹴りは、相手を吹き飛ばすなんて勢いには留まらず、その蹴りが触れた瞬間、罰の首は、勢いづきすぎた頭から、引き剥がされた。
楕円形とは言い切る事は出来ないが、それに近い形をしていた顔が、恭介の蹴りが当たったその瞬間には、首から引きちぎられ、体から完全に離れた時点で頭蓋が全て粉砕され、それらが脳髄に突き刺さり、肌に突き刺さり、そして衝撃で顔全てが砕け、壁にぶつかり形を歪め、天井に衝突して三つに分裂し、床に落ちた頃には、原型をとどめて等、いなかった。
完熟したトマトを床に叩きつける様な、様子、光景、音。人が死ぬ事には慣れているNPCメンバーではあるが、この短すぎる時間の中で起きた、初めて見た光景には、思わず嗚咽する者まで、出てきていた。




