14.沈黙からの解放―10
恭介の状況説明に全員が、思わず沈黙した。霧島雅ただ一人を回収しようとしたが、こんな面倒な状況に陥ってしまった。今更だが、今更になってこそ、皆は、少し、急ぎすぎていたか、と思い始めていた。
「……ともかく、ここから退避しよう」
海塚が沈黙を破った。
(……メディアはどうあっても神威業火の味方だろう。例え真実を証明する物証が出てこようが、誰もがそうだと認めようが、神威業火の事前の根回しと実力さえあれば、事実にしてしまう事は容易いだろう)
一度引いて体勢を立て直す、とは言ったが、実際に、体勢を立て直してどうするのか、その未来は明確にはならなかった。
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NPC日本本部は未だ、無事だった。聴いた話によると、典明が暴走する事もなく、皆、静かに海塚達の帰還を待っていたらしい。
が、目に余る変化が一つあった。
それぞれが自室や緊急で用意された控え室に戻った時だった。自室のオフィスへと戻った海塚は、佐々波が見覚えのある影にお茶を出している光景が見えた。
「行平か。お前超能力者だったのか」
接待用のソファに腰を下ろして佐々波から出してもらった緑茶をすすりながら、行平はふんと鼻で笑った。
「超能力でなくとも、人を騙す等すれば人は操れるモノよ」
「笑えないな」
海塚は佐々波にただいまと一言だけ言って、行平と向かい合う様に腰を下ろした。佐々波はその間に海塚の分の茶まで準備をして、すぐに出して、その二人の雰囲気から場を察して身を部屋の隅に引いた。会話を聴くつもりもなかったが、聞こえてきた分は記憶しておいた。
「その様子だと、失敗したらしいな」
行平がまず、切り出した。海塚は頷く。悪びれた様子はないが、申し訳ない、という言葉は吐露した。
「神威業火は、強かった。と、言い訳だけはさせてくれ」
ここで海塚は敢えて、あのジャミング装置の事には触れないでおいた。
返事は、予想外であって、予想通りなモノだった。
「何、失敗の可能性もあるとはわかっていた。相手は何しろ、科学如きでは測れない男、神威業火だ。……、次、成功させれば良い」
次、という言葉を口にした。海塚はその言葉に機微な反応を見せたが、特別突っ込むような事はせずに、そのまま、流れに従う様に話を続けた。
「そうだな。が、神威業火と霧島雅の現在の所在が分からない。千里眼で確認はさせたが、効果の及ばない範囲にいる、と言っていた」
「そこについては、手を打てる。問題はその先だろう」
「あぁ、」海塚は頷く。「結局の所、神威業火が壁になってしまう」
「だとすれば、海塚と霧島雅が別の場所にいる瞬間を狙うか、神威業火を無力化しなければならないだろう」
「分かっているとは思うが、どちらもほぼ不可能だ」
「だとすれば、」
ここで、今まですらすらと言葉を並べていた行平の言葉が一瞬、ほんの一瞬だけ、止まった。その一瞬の間には海塚だけでなく佐々波も違和感を覚えた。その、違和感を覚えた次の瞬間には、行平は言葉を落としていた。
「神威業火を、倒すしかない」
「最初から、霧島雅だけを目的とするのではなく、神威業火という壁を倒す事から、と」
行平は頷く。
「その通りだ。……私の目的は霧島雅の奪還で、そして、その先の目指すモノを手にするためだ。そして、お前達の目的は、人工超能力の商品化の阻止等の、神威業火の野望を止める事。……これは、所謂奥の手、だと思っていたが、実行せざるを得ないだろう」
そう言った行平は、海塚に分かる様に、佐々波を一瞥した。その合図の意味にすぐに気付いた海塚は、佐々波を部屋から出し、二人切りになった所で、こう続けた。
「報酬を先払いしよう。全て、だ」
畜生が、と恭介が心臓を鷲掴みにされたような苦しみを感じたのは、神威業火に逃げられたからではなく、神威業火を目前にしながら何もできなかったからでもなく、自身の、幹部格一人につき一つ用意されたオフィスに戻って、目覚めた桃と、彼女を必死に励ましていた琴の姿を見たからだった。
帰還した恭介の砂塵等で汚れこそしているが、傷の一つもない恭介の姿を見た桃は、すぐに琴に恭介は無傷だよ、という耳打ちをしていた。恭介には桃が琴に何を言ったのかはわからなかったが、大凡の想像は容易く出来ていた。
恭介は部屋に入るとすぐに琴と桃の側にある椅子に腰を下ろした。
そして、まず一言落とす。
「ただいま」
言葉は琴、桃と続く。両者共言葉は一緒だった。「おかえり」
ふぅ、と深くも浅くもない溜息を吐き出した恭介は、一度表情を下げて、そして、上げて、二人に言う。
「どうせ後で海塚さんから聴くだろうけど、一応言っておくわ。任務は、失敗した」
恭介のその報告を聴いた二人は、大した反応は見せなかった。どちらとも、そうなんだぁ、と大して興味のなさそうな適当な返事をして、桃から、話を変えた。
「まぁ、無事に帰ってきた事がなによりだよ。きょうちゃん。任務の事は、……さておき、どうせ海塚さんが立案してからじゃないと今の現状だと、動けないだろうしね」そこで、桃の表情が僅かに歪んだ。言葉を少し並べただけで、まだ、傷が疼くのだろう。が、恭介が心配の言葉をかける前に、桃は続けた。「それより、何。きょうちゃん。いつからそんな冷たい男になったの? 私見てないから抱きしめてでもあげなさいよ?」
桃の口調はNPCに所属する前から何も変わらない、非常に速度の遅い、まったりとしたモノ。だが、言う事は何か変化があった様に感じた。桃が指を控えめに指す先にいるのは、当是、琴。全盲となってしまった彼女には桃が指差している光景は見えていないだろうが、その遅い言葉が自分を指している事は理解しているようで、小っ恥ずかしそうに口下を歪めて頬を赤らめ、照れている様だった。
恭介は桃の指をなぞる様に視線を移動させて、琴を見る。包帯で目を隠したその姿も見慣れた。その見慣れた姿を見てもなお、未だ、綺麗な顔してんな、と恭介は思う。
「あぁ、そうだな」
恭介も少し照れくさそうにそう呟いて、琴の隣に座る。腰を下ろしたその僅かな、普段誰もが気にしないような衝撃も、視界を持たない琴には情報を得るための手段の一つであり、恭介が腰を下ろしきった時には琴は恭介に、先に、自ら抱きついていた。すぐに恭介も抱きしめ返した。ぎゅう、と音が鳴るかと思う程に強く、だが、相手に痛みを感じさせない最適の力で互い共抱きしめあった。
NPCの任務とは、そんじょそこらに蔓延るサラリーマンがどこどこの営業に迎え、と指示されるソレと形こそ変わらないが、内容は全く違う。一度任務に出れば、その推定された難易度関係なしに、命の応酬がある。例外なく、存在する。挙句、つい先ほどまで恭介達が足を運んでいた任務は、難易度が推定される暇もなかったが、非常に面倒で、危険であったというのは誰もが容易く想像出来る。いくら恭介が恐ろしいばかりの、バケモノと揶揄されるだけの超能力を保持していようが、その帰りを待つ人間は、その帰りをその目で実際に見るまで、安心等できやしない。
口で信じているから、と吐いて、実際に信じていても、条件反射で心配を無意識にしてしまう。これが、人間だ。琴達も例外のない、人間だ。
数秒間、二人は動かず抱き合った。その数秒がすぎると、惜しげもない様に二人は離れた。桃がまだ良かったのに、と呟いたが、それを確かに聴いていたのは琴だけだった。
最愛の人間との意思の確認を終えた恭介は、再度場を切り直して、口を開く。
「まだ、速いのはわかってるが……桃、戦える様になるまで回復するには、どれくらいかかりそうだ?」
超能力は万能ではない。それは、治癒能力と時間に影響する能力がないという事実が、証明している。桃の傷も、一般人と同様の手法で治療されている。時間が掛かってしまうのはどうしようもない。
そして、恭介がこの質問をした意味。それは、当然、最大の戦力が必要になる、という事実。桃も察した。