12.新たな敵と目的違いの敵―3
廊下から声は聞こえなかった。聞こえてきたのは廊下が崩壊する聞きなれない音と、廊下の方から微かに聞こえる撤退の合図。相手も、まさか海塚がここまでの攻撃を隠していたとは思っていなかっただろう。
「すごいな。自由格納の中に、どれだけの武器を隠しているのか」
そう言って辺りは滅茶苦茶になったが、落ち着いたやっと所に、意識が朦朧としている男を引きずった一閃が戻ってきた。一閃は男を投げる様に海塚の前に転がすと、海塚の手から離れたばかりの佐々波が表情をこわばらせた。
大丈夫だ、と諭して、海塚が足元の男を一瞥し、そして一閃に視線をやると、一閃が応えた。
「俺は海塚、お前が想定している通り、ジェネシスの人間だ。が、この男は、俺達共通の的だ。『俺の邪魔』もした。情報は共有しておこうと思う。信じる信じないは任せるが」
そう言って一閃はベランダから回収した海塚の日本刀を男の足に突き刺し、床にまで刃を落として男が動けない様にした。
「いや、正確にはお前が誰かは分かっていない……が、今のお前は立場的は当然そうだが、敵とは思っていない。聞かせてくれ」
海塚はそう言うと、自由格納を発動させ、剣を男の上に数本出現させ、全てを落とした。剣それぞれが男の手足と床を縫い付けた。男の表情が歪むが、声は大して上がらなかった。身体の言う事が効いていないのだろう。
佐々波はそれらの光景に再度驚愕し、恐怖するが、この場で口を挟むべきではないと冷静に判断し、敢えてそこでは押しとどまって様子を見守った。
海塚の真摯な態度を受けて、一閃は一度頷いてから、彼等に対する説明を始めた。
「この男達は、リアルだ。NPCも存在は知っているだろう。今まで活動をしていなかったが、それはリアルのトップが我々ジェネシスを超える力を求めて海外に出ていたためだ。が、帰ってきたらしい。そして、最近になって活動を再開した。そして、この状況だ」
「……リアル、か」
言われてみれば、という感じで海塚は理解した。そもそも彼等がジェネシスであれば、自分がジェネシスだと宣言した一閃と敵対する理由はないだろう。
「リアルの連中は、やはり、俺の力をどうにかするために、凛を狙ったのか」
一閃は頷く。
「そう考えるのが妥当だろう。正確な情報は俺も知らないから何とも言えないが」
そして、本題だが、と一閃が続ける。
「俺は、海塚伊吹、お前を倒すために超能力を与えられた存在だ。だが、今の様な、お前の興味が他に削がれている状況だったり、お前の不意打ちをついたり、という戦いをしたいとは思っていない。俺がお前と戦いたいのは、やはり、正々堂々と、真正面からぶつかりたいと願っている。だから、俺は佐々波凛を助けると決めたし、今戦う気もない。挑むにしても日を改めるし、この問題を片付けてからだ」
この問題、という発現が、海塚には引っかかった。
「……また、凛が狙われる可能性がある、か」
「そうだな。海塚、お前の超能力はジェネシス内でも特異且つ強力なモノだという話になっている。お前の弱点は、身の周りの人間を大事に思い、頑なに被害者にしないと考えている所だ」
言われて、海塚は表情に僅かに変化を見せた。
言われて、確かにそうかもしれないな、と自負した。
「俺の予想でしかないが、海塚、お前をどうにかしないといけない以上は、お前の弱点、つまりは佐々波凛を使ってくるだろう。あくまで予想だがな」
「それは……なんとなくだが、想像が付く。安心しろ……いや、お前にこの台詞を言うべきではないか。凛は、我々が保護する。NPCは民間人を巻き込まないのが前提だからな」
「あぁ、そうしてもらえると俺も、お前との戦いが近くなって嬉しい。……が、時間は暫くおこう。俺は嘘はつかない。信じてくれとは言わないがな。これを言って良いのかはわからないが、お前との戦いを先延ばしにした俺は、恐らくリアルの対処の方に回される。また、戦わない立場で会うかもな」
そう言って、一閃は男を置いたまま、踵を返してベランダへと出た。挨拶代わりか手をひらひらと背中を向けたまま振って、そして、ベランダから飛び降りて行った。高さはあるが、一閃だ。心配はないだろう。
そこでやっと、海塚は佐々波を離し、椅子に腰を下ろせと指示を出した。状況を飲み込めていない人間程、指示に従い易い人間もいない。佐々波は近くの壁に寄りかかるようにして、地面に腰を下ろした。背中にも足にも尻にも血が付着するが、一瞬気にするだけでとにかく、海塚に集中した。
そんな海塚はまず、言う。
「巻き込んでしまって悪かった。……説明は、全て移動してからする」
NPC日本本部は勝手に、パニック状態に陥っていた。
まず初めが、垣根が「海塚が女を連れ込んだぞー!」と騒いだ。そして、その次にその言葉に反応して様子を見に来た連中が血まみれの佐々波の姿を見て察して身を引いた事。
海塚は何の説明もせずに佐々波と二人、自分のオフィスに篭ってしまったため、海塚の周りの人間が勝手に騒ぎ出したのだった。
「……そういう事だ。仕事の方は心配するな。安全が確立するまでここに身を隠してもらうだけだ。それに、仕事をそれで首になるという事はないように圧力はかかる。心配はいらない」
海塚は普段通りの口調で言う。何度か説明は繰り返した。が、佐々波は理解こそしていれど、納得出来ていないという表情。それは、不満等ではなく、恐ろしく日常からかけ離れた世界に来てしまった、という困惑の現れである。
「……あはは。何か頭こんがらがって来た……。超能力とか、ジェネシスとか、なんだろう。日本って全然平和じゃなかったんだ。っていうか私、ジェネシスの薬使った事ある。なんかすごい騙された様な気分」
「ジェネシスの薬なんて誰もが使った事くらいあるだろう。気にするな。で、大丈夫か? 部屋はしっかりしたモノを用意するし、衣食住の心配もない。それに、ここにいる連中は確かに超能力者という少し特殊な人間だが、皆、気の良い連中ばかりだ。そして、強い。つまらない事もないだろうし、命の心配もないだろう」
海塚の態度が、佐々波の不安を煽っていた。慣れているわけではない。だが、どうにも、事務的だ。そんな海塚の態度に悪気を感じたわけではない。ただ、佐々波は見たことのない海塚伊吹のその態度に違和感を覚えながら、たどたどしく、応える。
「……うん。うん、分かった。命は惜しいよ……流石に。正直、まだ理解しきれてないし、状況が飲み込みきれてないけど、……まだ、死にたくないよ。だから、」
良かった、と海塚は思った。佐々波は海塚にとって、巻き込みたくない一般人であり、大切な人間である。
が、
「伊吹と、一緒になら過ごす」
「……ん?」
海塚の表情が、固まった。
そして、もう一度。
「ん?」
「ん? じゃないでしょ。生活を共にしようって言ってるの」
海塚は、本当に凛は初めて見る世界を前に混乱しているのか、と思った。普段、プライベートとして会う時に、聴く冗談の様な口調、内容に海塚は思わず面食らった。
「いいでしょ? 別に。衣食住伊吹と一緒にするの。私、もともとそうしたかったし。伊吹が守ってくれる。それでいいでしょ?」
「…………、」
海塚は考えなかった。ただ、思った。
(……何を言っているんだ、凛)
こんな状況だぞ、と、そう言おうとした時、佐々波が先に言う。
「じゃなきゃ私、普通に生活するから。って言っても、流石にあの血まみれで殺人のあったボロボロの部屋に戻る気はないけど」
佐々波凛は、チャンスだ、と咄嗟に思っていた。感じ取っていた。