10.休戦/帰還―13
見えてきた長谷琴の表情は恐ろしい程に険しかった。自分達を見て、危機を感じているのだ、とすぐに分かった。
好機、そう感じるのは一瞬。そして、次の瞬間にはどうしてやろうか、と考え始める。圧倒的有利な立場にいるからだ。こちら側が一方的に好きにしてやろうと考えているのだ。当然だ。事実なのだから。
木々を避けながら進み、長谷琴の視界内にその姿を晒した香宮達は思わず笑みを漏らした。圧倒的有利な立場を、琴の表情を見直して改めて実感したからだ。
「……三人しっかりとお揃いで」
琴が冷たく言う。冷静さを保っているつもりだろう。だが、完全に表情に出てしまっている。琴は冷静ではない。冷静さを保とうとはしているが、決してそうではない。少しでも油断してしまえば、足が震えてしまいそうだった。
琴は千里眼によって恭介が今、戦いに興じている事を把握している。そして携帯電話が圏外のために使用出来ず、応援も呼べなかった。呼べたとて、こんな場所にはすぐにこれまい。
(……ほんっと、どうするかな)
琴の全身から冷や汗が噴き出す。この時点で、逃げ出すという選択肢はあった。が、考えて逃げ切れる可能性を見いだせなかった。結局残るのは、戦うという選択肢。だがそれは、正確には戦う、ではなく、抵抗して時間を稼ぐ、を指す。
琴が構える。抵抗する意思は見せる。
勝敗は香宮達にも見えている。そして、琴が抵抗する意思を見せた時点で、嘲笑する。その笑みに、琴は尚更冷や汗を流す。この時点で、琴は相手が、自分を殺す、よりもまず、という事実を察していた。最終的には殺されるだろうが、その前に『遊ばれる』と思い始めていた。
(こうなると、戦闘用超能力だったら良かったと思うな。本当に……)
琴を見る視線が三つ。真ん中の香宮が、言う。
「久しぶりですね、琴ちゃん。早速で悪いんですけど、貴方の身柄を拘束させてもらいますので」
語り口調は明星高校で見た時のそのまま。だが、その表情に張り付く笑顔と、腹の裏に見えている真っ黒な顔は全くの別人だ。
(三人……、香宮さん、典明君、そして蜜柑のお母さんか。……警戒すべきはやっぱり――典明君だね)
極力時間を稼ぐ。恭介が応援に来てくれれば倒せる、最悪逃げ出す事も出来るかもしれない。だが、恭介は未だ戦闘中。恭介が勝負を勝利で終わらせるまで時間を稼ぐ事が出来ればベスト。だが、それ以外であれば、最悪。
典明が香宮の兵士だと言わんばかりに、不気味な笑みを浮かべたまま、一歩前へと出た。そして、琴の全身を眺める様に見る。
(隙がない。やっぱり戦闘スキルは高いのか。千里眼)
典明はそのまま、続けて、数歩歩き、そして、駆けた。当然琴目掛けて全力で駆けた。
(来た……!!)
琴は予想通り、と思った。この中で――恐らく――一番戦闘スキルの高い典明で一気に畳みかけて、その後弄ぶために無力化を急ぐだろうと予想がついていた。
典明が琴に到達するまでに発動した超能力はただ一つ。雷撃である。
その光景をみた琴は更に眉を潜めた。
視る、という超能力しか持たない琴には、触れる事の出来ない状態になった典明。触れる事が出来なければ、ダメージを与える事が出来ない。
「くっそっ!」
思わず口から漏れた。琴に勝機はやはり存在しなかった。
一撃目。典明は琴に迫った時点で首を掴む様に雷撃を宿した右手を伸ばした。足は止めない。常に前進する。体の一部でも触れた時点で典明の勝ちだからだ。
琴は典明の行動を読み、即座に構えを解き、前に出していた手を引いた。触れる事が出来ないのならば、触れる理由はない。典明の前進の足取りまで全て先読みした琴は典明のそれに合わせて足を引く。そして、一撃目を避け、次を予想する。
典明は琴に足を引かされたために、そこで足を止めた。止め、留め、そこで蹴りを放つ。
蹴りの有利性はやはりリーチだ。距離を詰めていた段階で、次の攻撃は蹴りだ、と本能が反応した。
左側面から音速の如き速さで向かってくる蹴りを琴は見切る。瞬間、地に伏せるように体をかがめ、琴は典明の増したに位置し、頭上に典明の蹴りを通り過ぎさせた。
即座に態勢を立て直す琴。それに一歩分遅れるのが典明だ。蹴りはやはり、リーチが長い分、いくら鍛えようが遠心力を利用し、威力を加えた分だけ『余韻』を残してしまう。
その一歩分の遅れに、琴は仕掛けた。
(典明君は後……ッ!! 先に触れる連中から相手して数を減らす!)
勝ち目がなかろうが、数を減らす可能性は持つ。それが琴だ。
典明が蹴り、振り回した足を地面に下ろしたその瞬間、琴は既に典明の脇を抜けていた。横を抜ける瞬間、典明の腕が反射的に琴の頭上に迫ったが、避けられた。
琴はそのまま、振り返らずに全力で余裕を見せていた香宮と近藤林檎の下へと駆けた。すぐに態勢を立て直した典明が後を追う。
この時点で、琴はある程度の時間稼ぎの算段をしていた。香宮と近藤林檎、この二人と絡み合いになった時点で、典明は正確で繊細な攻撃で琴単体を狙う事を出来ない。そう踏んだ。琴も極力そうなる様に、典明に攻撃させずらい様に動くつもりだ。
琴は跳んだ。そして、一気に距離を詰めた。その最中で、香宮を守る様に近藤林檎が香宮の前へと出た。そして、即座に衝突。
琴の跳び蹴りを、近藤林檎は顔の前に両手をクロスさせて防御した。蹴りの威力が足りない。琴は近藤林檎のその両手を足場にし、跳び、近藤林檎、そして香宮を越えて、香宮の背後に着地した。
香宮が即座に振り返る。目の前には、長身の琴。近づいて初めて気付く。
(身長、見た目より高いね、琴ちゃん)
だが、余裕。振り返ったその瞬間に琴の拳が鼻面に触れていても、彼女は気にしない。
琴の拳が振り切られた。琴の拳には確かな感触が残り、そして、目の前で不気味に笑んでいた香宮の顔を血を吹き出しながら大きく揺れた。
確かに、殴った、琴の目の前で香宮が膝を着いた。だが、ダメージはそんなに大きくないはずだ。
事実、膝をついたのはその背後にいる近藤林檎に琴の姿を晒すためである。
香宮の上から、近藤林檎の不気味な笑みが覗いた。
当然、警戒。と、同時に隙を探す。
だが、それよりも前に近藤林檎が僅かに跳躍、そして香宮を越えて、琴の目の前に迫った。
「ッ!!」
琴は攻撃を仕掛ける事を諦め、バックステップで距離を取った。好ましくない展開だ。視界の奥で、典明が接近しているのが確認出来る。
バックステップで距離を取った琴だが、それまで見切っていたのか、近藤林檎が跳躍の後に着地したのは琴の目の前だった。
この勝敗が分かり切った状況で、近藤林檎は攻めに来ている。そして、香宮は負傷をも許している。圧倒的有利な立場とは、これだ。どんな被害が出ようが、勝つのだからそれすらも楽しんでやる。
当然、最初は典明の力で畳みかけるつもりだった。その一撃がかわされたその『直後の一瞬』。そのくらいは遊んでやろう、と。
(この女の超能力は何だ!? 何で、どうやって、攻めてくる……!?)
琴は思い出す。フレギオール教会内での戦闘を。桃が対処した時の、この女の動きを。
そして、思い出す。全てを見ていたわけではない。だが、一部は覚えているし、レポートを隊長としてしっかりと確認している。そして、覚えている。
驚異的な反射神経。
だが、違和感。
(さっきの攻撃は両手で受けたよね。霧絵ちゃんを守るため? でも霧絵ちゃんは先の一撃を避ける素振りも見せずに自ら進んで受けてた。さっきの一連の流れも、最初からやれば良いよね――)
そして気付く。
超能力が増えているだろう、と。
(そうだよね。ジェネシスの人間なんだもんね。人工超能力が増えてる可能性なんて大いにあるよね)