10.休戦/帰還―5
NPC日本本部幹部格最強の女である零落希華でさえ、郁坂恭介には大きな期待を抱いている。
それ程の存在なのだ、彼は。
そんな彼が、後一週間もしない内に帰ってくる。帰ってくる事は大変好ましい。だが、しかし。彼が帰って来てから、今、一時的に止まっている現状が再度動きだすのは分かり切った事。ジェネシスも、最強候補ともいえる郁坂恭介の存在をただ野放しにはしないだろう。
「もうすぐ郁坂恭介が帰ってくる」
セツナは自身のオフィスで、霧島雅に対してそう言った。神妙な面持ちだった。
「それがどうかしたの?」
イマイチ事態を把握していないのか、霧島雅は大して興味がないように答えた。
霧島雅のその興味のなさそうな表情から胸中を察して、セツナは念を押すように言う。
「郁坂恭介は今、情報によればNPCの新リーダーのメイリア・アーキとやらの下で修業をしている。ロサンゼルスで、だ。メイリア・アーキだって強奪の重要性は分かっているはずだ。きっと成長、熟練させてくる。体術もそうだ。つまり、強くなってくる」
「それは分かるけど、何が言いたいの?」
まだ、この話に意味はあるのか、と不満げな霧島雅。更にセツナは説明を続ける。
「じゃあ訊こう。零落希美と、郁坂恭介、どちらが強いと思う?」
核心を着くための質問。霧島雅は数秒空けてから応える。
「郁坂恭介じゃないの? なんだかんだ複合超能力者なわけだし」
「応えとしては正しくないな。正しく言えば、現状はわからない、だ。少なくとも、ロスに飛ぶまでは間違いなく、零落希美の方が実力は上だったと言える」
「……もう一度言うけど、何が言いたいのよ?」
霧島雅が苛立っている。察して、セツナは答えを吐く。
「お前と郁坂恭介をぶつける。正直郁坂恭介を倒せなければ零落家の人間との戦闘は不可能だ」
言葉に、霧島雅は眉を潜めた。
「何? その意味深な言葉は?」
「事実だ」
セツナは言い切った。言い切ってから、説明を付加した。
「零落希美は超能力を暴走させてしまっている」
「それは知ってる」
「郁坂恭介にはその暴走を止める事の出来る可能性がある。それに、郁坂恭介を倒せないようでは、零落希美を倒す事なんて出来ない、という事だ」
これは、単に事実を伝えているようで、違う。これは、提案。強制的な提案だった。郁坂恭介と霧島雅をぶつけ、戦わせ、成長させて、零落希紀とぶつけて勝たせる。
セツナの目的はあくまで、自身では敵わないと分かっている零落希紀の殺害である。霧島雅にはその目的を言う必要はない、と考えていて、自然に戦う様に仕向けるつもりだ。
そして、今、セツナから見て、判断して、霧島雅は、郁坂恭介が強化されて帰ってこようが、勝てる水準まで育っている。あくまでその想定上の郁坂恭介の成長具合はセツナの予測でしかないが、高く見積もったつもりだった。
(ミヤビ。お前には絶対に零落希紀に勝ってもらわなければならない。でなければ、我々幹部格の人間も長くは持たないのだ)
セツナには先が見えている。そういう類の超能力は持っていないが、分かっている。どうして零落希紀という存在がいるのか、神威業火がどうして幹部格に指示を出さないでセツナに全てを一任しているのか、神威家の息子娘の現状に対して大きな動きを見せないのか、ありとあらゆる知りえる限りの情報を集約して考えれば、分かる事だった。
ジェネシス幹部格は、あくまで現時点でのNPCの相手でしかない、と。
幹部格が作られたばかりの頃は、確かに神威業火もその力に目を見張ったのだろう。だが、零落希紀を動かせるようになった。神威兄妹が人工超能力を得た。適合力も高かった。ジェネシス幹部格が薬漬けにされ、成長している間に、その必要性はどんどん失われていた。揚句、やっと動かせるタイミングになった時、その最初のタイミングからエンゴが、一人が捕まって殺された。その瞬間に、幹部格の価値は一気に暴落した。
セツナがそこまで推測出来ていたのかどうかは定かではない。だが、重要な部分は分かっている。
(存在価値がない事は分かっている。だが、最期の最期まで抗わせてもらうぞ。神威業火)
56
「セツナはあの零落希華……液体窒素の対象方は考えているのだろうか」
薄暗いどこかの部屋。そこで、マイトはキーナ、そしてエミリアに言った。零落希華と一戦交えていないエミリアは、
「そんなに強いの、その液体窒素とやらは?」
素直に問うた。
キーナが頷く。
「強い。NPC日本本部幹部格の中じゃ最強と言われてるらしい。それに、今のNPC日本本部のリーダーである海塚伊吹よりも強いなんて話も出てる」
「そうだ。それに今まで便りきっていたキーナの障壁も無駄だ。奴の前には意味をなさない。仮にNPCの連中を零落希華以外全滅させたとしても、我々の勝利の可能性は一ミリたりとも上がらないと思っていても良いだろう」
マイトとエミリアの言葉に、エミリアはやっと信じる。だが、想像は出来なかった。そんなに強い人間を見た事はなかった。経験していないからこそ、理解が及ばない。だが、想像は出来ない。
「確かに、零落一族。恐ろしい程に超能力を熟練させる一族。熟練に重点を置いた私達ジェネシス幹部格よりも上の暴走ギリギリまで熟練させるのが零落一族。でも、……チャンスはあるんじゃないか」
エミリアの突然の発言に、二人は目を丸くした。
エミリアは続ける。
「零落希華には姉がいる。零落希美。彼女は超能力を暴走させてNPCに隔離されている。記録があるから間違いない。零落希美が超能力を暴走させたのは、ジェネシスの研究者を殺した時だから」
そこまでの発言で、マイトが察した。
「零落希華の超能力を、暴走させる、と? ……確かに、結果だけ想定すれば、零落希華の無力化という形での決着はつくだろう」
だが、しかし、と続ける。
「超能力の暴走を誘発させる事なんて出来るのか。それに、それに。それに対しては犠牲が必要になるだろう。そもそも、相対する時点で死を覚悟した方が良い」
マイトの冷淡な言葉が二人に問いかける。本当にそんな事を出来るというのか、と。
それにはキーナが答える。
「超能力の暴走は、――あくまで推測だけど――許容量の問題だと想定出来る」
「どうしてだ」
マイトの言葉には感情がこもらない。ただ、答えを訊こうとしている。
まだ、ジェネシスの『科学の面での超能力』も推論でしか議論が出来ていない。当然だ。少なくとも天然超能力は科学に全くそぐわなかった。故に科学者も手を付けるのを諦めた。それが、人工超能力になろうが、その不可解な存在の意味は揺るがなかった。
だが、化学の力で一から作り上げる事で、それが天然超能力にも同様に言える事とは断言できないが、見えてきた事もある。
「個々の許容量の限界が分かった今、それを超えた場合を想定する……だけの事」
そう言い切って、キーナはそのまま押し黙った。
訊いたエミリアが答える。
「ま、あくまで推論という事……か。でも、それ以前に、その液体窒素が、二人の言う通りの力の通りだったなら、相手が許容量の限界を超えるまで私達が耐えられるのか、生きていられるのか、という問題が出てくる」
「そうだ。はっきり言って、この三人でかかっても、相手が本気を出せば数秒と持たない気もする」
マイトは、あの時の零落希華の攻撃が挑発だ、とわかっていた。既に殺す事が出来たと理解していた。
この三人の中で唯一、零落希華と正面から戦う事の出来る可能性があるのは、このマイトだけだ。彼は身に降りかかる超能力による攻撃を『変換』する事が出来る。
だが、それでも、それでさえも、そんなマイトでさえ、零落希華には慄いていた。
(……あの力事態が、そもそも俺達の許容範囲を超えているというのだ)




