9.襲撃―10
「ッあ、」
ついに三島が声を漏らした。連続してのナイフによる背後からの二撃。それは内臓にまで届きこそしていなかったが、確かなダメージを三島に与えていた。ついに、右足の力が完全に抜けてしまった。三島はそのまま膝と手を地面に落としてしまった。
(……くっそ。もう少しでも姿が見えてれば、こんな奴ナイフ持ってようが圧倒出来るってのに……畜生)
三島は振り返らなかった。次のイニスの攻撃に対応しきれない、間に合わないと理解していたからだ。無駄だと分かっていて足掻くタイプの人間ではなかった。諦めるタイプの人間でもなかったが、今、振り返っても心臓を貫かれるか首を掻き切られるだけだと思った。
だから、背中を向けたままだった。
つまり、こういう事だ。
「死ねぇええええ!」
恐ろしく嬉しそうに、イニスはそう叫んで三島の背中に再度、ナイフを落とした。が、その瞬間だった。三島は立ち上がっていた。イニスの振り下ろしたナイフの刃は、三島の背中の下の方に突き刺さった――が、浅い。骨盤に当たったようだ。その傷の浅さは感触でイニスも理解した。致命傷ではない、と。
つまり、こういう事。三島は死を覚悟したわけでも、敗北を認めたわけでもなく、ダメージを負う、という事を勝利までの道の中に組み込んだだけである。
三島は即座に振り返った。その表情は、鬼の様だ、と目の前で見たイニスは思った。これが、傷を覚悟した上で勝利を狙う男の顔だった。そんな男の顔は、見た事がなかった。思わずイニスは圧倒された。
その次の瞬間には、三島の右手が伸び、イニスの首を鷲掴みにしていた。その右手には、負傷しているのかと疑う程の力が込められていた。イニスも思わず右手に構えていたナイフを落とし、両腕で三島の右腕を引きはがそうと手を伸ばして対抗した。が、離れない。
「ぐっ……がっ、」
イニスがもがく。だが、まだ、離れない。
(なんて力なんだこいつうぅうううう!! あれだけ刺されてなんでまだ立ってられるのよっ!?)
首を絞める三島の右手の力が恐ろしい。後一分も経てば、イニスは敗北するだろう。それだけは阻止しなければならない。
(とにかく、解放されないと。解放されされれば、今はどう考えても私の方が有利! こいつムカつくし絶対殺す!)
イニスは三島の右手に両手で抵抗していたが、そこで右手だけ離した。そのせいで首を絞める力は一気に強くなったが、それには耐えるしかない。そのままイニスは苦しいのを我慢して、右手を腰の後ろに回し、まだまだ予備のあるナイフを取り出した。そして、そのまま三島の顔に切りかかった。
今、まだイニスは透明化を解いていない。つまり、今の一撃は見えないはずがない。イニスのイメージではそのままナイフの刃が三島の顔を切り付け、その隙に解放されるはずだった。
だが、三島は上を行った。抵抗が片手になった時点で、何かしらの攻撃を仕掛けてくると予想した。だから、次に移った。
(肌にも、服にも付着した俺の返り血さえ透明化の範疇なのか。こりゃ砂まみれにしても透明なままなんだろうな。って事は、やっぱり、腕の中にいる内に殺すしかないな)
三島は全身に激痛が走っている中でも、冷静だった。そもそも肉弾戦がメインとなる三島は、単純な話、
「怪我には慣れてんだよ」
三島はイニスのナイフが降りかかるよりも前に、空いた左手でイニスの顔面を叩き、同時、胸倉を掴んでいる右手でイニスを引き寄せ、拳でのダメ0ジを増大させつつ、続けて身を翻し、そのままイニスを一本背負いで先とは真逆の位置、地面に叩きつけた。
「がはっ……!!」
イニスの口から鮮血が漏れる。一瞬仰向けで地面にぶつかってバウンドしたイニスの姿が見えた。が、すぐに消えた。が、口から吐き出されて宙に噴き出された鮮血は確かに見えたが、落ちてきてイニスの肌に触れると、やはり見えなくなった。
背中から盛大に地面に叩きつけられたイニスは大きなダメージを負っていた。当然、これが競技であれば受け身がダメージを圧倒的に減らす。そもそも相手も実践を知らない場合が多い。故に、多少の怪我や時折の死人が出る程度である。
だが、これは殺し合いの最中であり、更に、体術、肉弾戦で殺しを経験してきた三島の、仕留めるという意思が込められた一撃である。そして地面はただの地面、イニスは受け身を取らされないように投げられた。
全身の感覚が数秒、吹き飛んだ。その瞬間を、三島は見逃さないし、姿が見えていずとも、その瞬間を確信していた。透明なイニスが背中から落ちると、地面い大きな跡ができ、砂塵が僅かに舞った。
三島はそのまま、左足でイニスの頭部があると思われる位置を蹴った。やはりその蹴りはイニスの頭を吹き飛ばした。イニスはそのまま転がって、三島から二メートル程離れる事になった。うつ伏せで止まったイニス。
(いったぁ……。頭ガンガンする……切れたかな。血も出てる気がする。っていうかティーシャツ脱いだせいで肌までボロボロな気がする……)
何にせよ、距離は取れた、そう思ったイニスはそのまま立ち上がろうとした。今の一撃で立ち上がろうとした際に立ちくらみの様に眩暈が襲ってきて、思わずふらついたがすぐに態勢は立て直した。
が、しかし。立ち上がって顔を上げたその目の前に、三島の右拳が迫っていた。
「!?」
当然、反応は追いつかなかった。だが、思考は恐ろしい程に加速していた。いや、正確には、自然と本能が、三島に対する何かを感じ取っていた。
(一体何なのこいつは……ッ!! 血も沢山流して、全身に激痛が走ってて、足の関節も貫かれてて、それに、確かに私の姿が見えてないはずなのにッ! どうして、こんなに『強い』のよッ!!)
理不尽だ、とまで思った。
これが、三島幸平。NPC日本本部幹部格に選ばれた男の実力である。倒すではなく、殺す。これが、今の三島のただ唯一の狙い。
三島の拳が、イニスの顔面に突き刺さった。正面衝突。まさにそんな、必殺の拳。骨が砕ける感触が三島の右拳に振動で伝わった。そのまま三島は拳を振り切ると、イニスの体は当然吹き飛んだ。
まだ、イニスの透明化は解かれなかった。だが、しかし、三島は追撃をかけなかった。それどころか、イザムと殴り合っていた笹中の動きも、イザムの動きもが止まった。全員の視線は、この施設の入り口に集まっていた。
転がった透明化したままのイニスに足を片足を乗せて三島達を見回す影が一つ、あった。その影を見て、イザムはイニスが登場した時の様な不満げな表情を再度見せた。
――『後、「あいつら」も痺れを切らして手を出してくる可能性があっからな』
イザムの様子を伺っていたのは、イニスだけではなかった。
「セツナの命令だけど、来て良かったわねーアタシが」
そう言って得意げに笑ったのは、霧島雅である。
彼女は自身が言った通り、セツナの命令でこの場に来ていた。目的は二つ。一つは、霧島雅の実践。イザムとイニスは同じ派閥にいるにしろ、霧島雅は中立だ。イザムが菜奈に攻撃すると聞いた時、セツナは、イザムとともに菜奈と戦い経験を積ませ、最悪イザムとぶつけて霧島雅を成長させようと考えた。
そして、二つ目は、幹部格の中にできた派閥を揺るがす役割。単純な話だ。中立の霧島雅が入る事で、何かが変わるだろうという希望的観測を含んだ行動である。これが結果を出すかどうかは、わかりはしないが。
霧島雅は派閥になど興味はない。故に、イニスにも容赦はしなかった。今、霧島雅はイニスは自身より格下である、と判断した。
その瞬間だった。霧島雅のイニスを踏みつける足から、衝撃爆散が放たれた。
「っぎゃああああああああああああああああ!!」
イニスの耳を劈くばかりの悲鳴が響いた。イニスの透明化は一瞬にして解かれ、大暴れしてイニスは霧島雅の足から抜け出した。
「みっともな」
霧島雅は不適に笑みながらそう言って、数歩下がってイニスを嘲笑した。