8.後天的超能力―10
その瞬間だった。半液体化していたエミリアの顔が、弾けた。まるでそこで何か爆発が起きたかの様に、飛散した。
爆発。そうだったが、違う。これは、また別の超能力であり、そして、衝撃砲に近い超能力。
エミリアの超能力強制酸化は恐ろしく強力だ。王水をも凌ぐモノを溶かす力。
だが、エミリアの強制酸化が霧島雅の足を溶かすよりも前に、それは、発動した。
一瞬だった。これが、超能力者同士の戦いである。
エミリアの首から上が吹き飛んだ。顔の半分は半液体化していたが、残りはそうではなかった。だが、そんな状態は関係なしに、霧島雅の足から放たれたその新たな衝撃はエミリアの顔から首、そして上半身の一部を派手に吹き飛ばした。
霧島雅は解放された足をゆっくりと引き、下ろした。
足が痛んだ。恐ろしい程に短い時間だったが、確かにダメージは負ってしまっていた。恐ろしい相手ではあった、と霧島雅は思った。
辺りに散ったエミリアの半液体化していた部分が地面に落ち、雑草を溶かして煙を上げていた。
目の前で、エミリアの上の方が吹き飛んでしまった体がなかなかバランスを崩さず、地面に落ちないのを適当な視線で見下ろした霧島雅は一度の嘆息の後、踵を返した。振り返った。
その、時だった。霧島雅はもう一度振り返った。
そこには、何事もなかったかの様な状態の、エミリアが立っていた。いや、僅かに変化があった。それは、距離。それに気付くのは容易かった。エミリアは霧島雅のすぐ目の前にまで迫っていたのだから。
「ッくそ!!」
流石の霧島雅もその光景には驚愕し、反応を遅らせてしまった。正確には、間に合わなかった。間に合うはずがなかった。霧島雅は、先の一撃でエミリアを倒したと思ったからだ。
エミリアの手が伸びた。
これは、再生の力ではない。治癒能力は超能力には存在しない。人工超能力であれば、それを再現する事が可能なのかもしれない。可能性はある。だが、ジェネシス幹部格は熟練度に焦点を当てて力を付けている。リーダーであるセツナでさえ、霧島雅を除いた全員が一人一つの超能力しか保持していない。
(……エミリアの超能力は強制酸化だけのはずじゃないの!? 複合超能力? いや、違う。そんな感じじゃなかった。液体化してたし、それでダメージにならなかったとか、なの!?)
考えは加速した。事態も加速した。エミリアの右手が霧島雅の首元に迫った。霧島雅はバックステップをする余裕がなかった。ほぼ条件反射で上体を逸らして、ほんの数センチという僅かな差でエミリアの手から逃れた。
だが、それだけで終わらない。エミリアの伸ばした手の先が、突如として液体化。その数センチを飛んだ液体が埋めた。
「ッ、がぁああああ!?」
喉をかきむしるような悲鳴が霧島雅の腹の奥から出た。霧島雅はよろめくように数歩下がり、焼けるような痛みに悶えた。
が、すぐに対策を取る。それまでの時間は一秒に満たなかった。霧島雅がその場で考え付いた対策は、やはり、この力。衝撃爆散。衝撃砲が攻撃を放つ超能力だが、これもまたそうである。体の一部分から、衝撃を放射状に放つ衝撃砲とはまた違う衝撃の超能力。正確には、空気を操る超能力の一種。
それが、霧島雅の喉に付着していた強酸性の液体を吹き飛ばした。
こういう使い方もあるのが、超能力だ。
「ッ、が、げほっ、げぇ、」
霧島雅は咳払いしつつ態勢を立て直し、やっと、衝撃砲を交えたバックステップで後方へと大きく引っ張られるように跳んでエミリアとの距離を取った。喉の皮膚がドロドロに落ちていた。見た目はひどい事になっていえるが、なんとか表面上のダメージで抑え込む事が出来たようだ。後一秒判断が遅ければ、喉に穴が空いていただろう。いや、結局焼かれ塞がれていたかもしれないが。
ここで、エミリアは距離を詰めなかった。そのままの距離で一歩も動かず、ただ、数メートル先に見える霧島雅を睨み、言った。
「何故裏切ろうと思ったのかは知らないし問いただす気もない。可能性として上から指示されている可能性も私は考えておいてあげる。でもね、裏切りは許されないの。あと、もうわかってるだろうけど、私には勝てないよ」
宣告。これは宣告だ。言葉こそ並べたが、これは殺すという一言。
エミリアだってセツナが霧島雅を買っている事は知っている。だが、セツナが何を考えているか、エミリアを強化している事を知らない。故の裏切り、という言葉。
つまりエミリアには、状況だけが事実であり、その対処をする権利がある。
エミリアには、霧島雅を殺す権利がある。
エミリアは霧島雅の返事を待ったが、一向に口を開く気配のない彼女を見て、結局、走り出した。
(来たッ!!)
霧島雅には余裕がなかった。腕と足、喉にダメージを負ってはいるが、どれも戦闘に支障が出るレベルには陥っていない。溶かすという特性から見た目は酷い事になってはいるが、実際のダメージは見た目以下だ。
態勢は立て直した。現状を確認出来るのはエミリアが近づいてきているこの瞬間のみ。接触が始まれば考えは纏めきれない。
(どうする……? 他の超能力が有効に使えるのか? いや、そもそも、半液体化していなかった顔も上半身の一部の吹き飛ばしたのに完全に元通り。衣服も完璧な状態で戻っている所を見ると、かなり熟練度が高い。幹部格だから当然なんだろうけど……。接触が可能なのはせいぜい一秒未満。それでも負傷はする)
考えはまとまらない。エミリアがすぐ目の前に迫ってきていた。ここにきて、霧島雅の表情が引きつった。
つい先程その能力をみたばかりだった。そもそも、それがしっかりと頭に入っていれば、霧島雅はまず、エミリアの接近を許しはしなかっただろう。 液体化。一瞬だった。一瞬にしてエミリアは全身を液状化し、霧島雅に覆いかぶさるように宙に広がり、舞った。
これが、圧倒的な戦闘用超能力強制酸化の熟練された形である。
確かに、この状態になってしまえば霧島雅の衝撃砲で吹き飛ばす事が出来るかもしれない(今回の場合は間に合わないが)。だが、吹き飛ばした所で死にはしない。そして、触れたその瞬間で皮膚を溶かし切る様なその液体が、人間の身を包むという事は、つまり、一撃必殺。
衝撃爆散だ、と判断したその時だった。
霧島雅の判断は遅かった。間違いなく、『この人物』がいなければ死んでいた。
霧島雅に触れる直前で、液体状の壁になって迫っていたエミリアの動きが、まるで時間が止められたかの様に止まった。当然、霧島雅はその光景を目の当たりにして、動けなかった。
動けない霧島雅を置いてゆくように、液体化したエミリアはそのまま、後方へとレールで運ばれるようにスライドして下がった。下がり切って、霧島雅との距離を数メートル開けた所で、液状化が解かれ、エミリアは元の姿に戻った。とてもバツの悪そうな表情をしていたエミリアは、肩で呼吸をしている霧島雅を一瞥して、『その隣に立つ男』にすぐに視線を移した。
「セツナ。あなたの差し金だったの?」
エミリアはすぐに気付いていた。強制的に動きを抑えられ、位置移動をさせる超能力を受けて、すぐにセツナの顔を思い出していた。
「その通り。とりあえず落ち着いてくれ」
セツナは言って、エミリアに向かって何かを投げた。エミリアがそれを受け取ってみてみると、それはどこにでも売ってそうな缶コーヒーだった。エミリアがどういうつもり、と顔を上げると、セツナが霧島雅の肩を一回軽く手を乗せる様に叩いて、説明した。
「これは、実験だ。お前のような強い人間とミヤビをぶつけたかったんだ」