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すぺしゃる

作者: 桜姫

「ヒロコブタじゃん」

 からかうような声が耳に届いた。

 私をこう呼ぶヤツは、この世に一人しかいない。


「うっさい、カズイヌ」

 声の主を振り向きざま、負けじと言い返した。

 学校帰りのファストフード店内、カズイヌこと高橋和已(かずい)が片手をズボンのポケットに突っ込み、反対の手に緑のトレイを持って立っていた。

「一人かよ」

 店内を見回した和已は、見知った顔がないことを確認したあと、窓際のカウンター席で辞書を開いていた私の隣に、当たり前のように腰を下ろした。

「邪魔しないでよね。このプリントを片付けて帰るんだから」

 辞書を捲る私の手元を無遠慮に覗く視線に和已をにらんだ。

 けれど和已は、そんなことにお構いなしだ。

「ヒロコブタちゃん、真面目~」

 挑発的な台詞を吐いた彼は、水浴びするのかと思うほど大きなサイズの紙コップに刺さったストローを咥えた。

「そんなモンばっか飲んでたら、そのうち脳味噌に緑色のカビが生えて網目模様になるからね」

 私はこの店で、メロンソーダ以外の飲み物を飲んでいる和已を見たことがない。

「ありえねーし。お前こそ勉強のしすぎでポークカレーの具になるなよ!」

「なにそれ、意味解んないから」

 私はまた、辞書に視線を戻した。


 五分も経たないうちに隣の席から、ピュウというオモチャの笛の様な音がして、私は聞こえよがしの大きな溜息を吐いた。

「うるさい」

「へっ、自分が出来ないからってヒガンでる~」

 和已はメロンソーダを吸い上げたストローへ、どうやるのか解らないが器用に息を吹き込んで、またピュウと鳴らした。

「んなことで僻む訳ないでしょ。いい加減にバカやるの止めて、勉強したら? 来年、浪人決定で泣くんだから」

「俺だって、やるときゃヤッテんの。今は休憩時間」

「授業中でも寝てばっかのカズイヌの、やるときっていつよ」

「それはまあ、色々と?」

「へー。んじゃあ……」

 私はふと、昨夜父が独り言の様に呟いた話を思い出し、その内容を和已に告げた。


「大麦に生るのは大麦、小麦に生るのは小麦だよね?」

「はあ? お前なに言ってんの?」

「あのね、大麦は大麦っていう植物から穫れるし、小麦は小麦っていう植物から穫れるよね」

「あたりめーじゃん」

「いいから黙って聞きなさいよ。植物に生る果実や野菜や穀物は、その植物とおんなじ名前で呼ばれるのに、どうして稲に生るのは『米』なんだと思う?」

 私の質問に、和已は意外にも咥えていたストローを離し考え始めた。

 真面目な顔で黙っている和已は、悔しいことにかなりイケているのだ。

(黙ってれば格好いいのに)

 そんなことを思ったとき、和已が私に向き直ったので一瞬ドキッとした。


「サクラもそうじゃん」

「えっ?」

「リンゴ、モモ、ナシ、カキ……サクランボだけが樹の名前と違う」

「ホントだ」

「あ、俺は解ったぞ。コメもサクラも、日本人の『すぺしゃる』だからだ!」

「あんた今、思いっきりひらがなだったよね……ってか、なによ、そのドヤ顔」

「うっさい。今はそんなこと、どーでもイイだろ」

「いいけど。その『すぺしゃる』がなんなのよ」

「特別だから、ほかと同じ名前はダメなんだよ。大事なものは、特別な名前で呼ぶ。オンリーワンってこと」

 和已にしてはまともで、しかも少しロマンさえ感じられる答えに、私はまじまじと彼を見てしまった。

 とたんに憎まれ口が飛んでくる。

「なんだよ。ジロジロ見てんじゃねーぞ、ヒロコブタ!」


「あんたねぇ。幼稚園児じゃあるまいし、いい加減にその呼び方、やめてよね。あんただけよ、その呼び方すんの……って、なによ」

 私は眉を寄せた。

 なぜなら、急に和已が顔を赤くしたからだ。

「いきなり、なに赤くなってんの? どっか具合でも」

 言いかけた私に、和已は驚くほどの早さで残っていたメロンソーダを飲み干し、立ち上がった。

「帰る」

 紙コップをゴミ箱に放り込み店を出て行く和已の背中を、私はあっけにとられて見送る。


 幼稚園児に例えられたのが気に障ったのだろうか。

 いや、そんなんじゃなかった。

 私の言葉に反応したのは確かだけれど、あれはもっと違う何か。

 自分の台詞を反芻してみる。

 

(幼稚園児じゃあるまいし)

(その呼び方、やめてよね)

(あんただけよ……)


「あんただけよ……その呼び方……」


 小さく声にして、気付いた。

 私はプリントと辞書を鞄に突っ込み、ペンケースと鞄と飲みかけのアイスティーを引っ掴んで店を飛び出した。

「カズイヌ!」

 先を行く白いシャツの背中が歩みを止めた。

 小走りで和已に追いつくと、また歩き出した彼に並んで、私より頭一つ高い位置にある顔をのぞき込んだ。

「ねぇねぇ、どうしたの?」

「どーもしねぇ。プリントやるんじゃなかったのかよ……ブタ!」

「ブタって、どのブタ?」

 ダメだ、顔が勝手に笑ってしまう。


「ブタはブタだ!」

「ブタって、いっぱいいるじゃん」

「こんな街中にいるブタは決まってんだろ」

「えー、どのブタか教えて?」

「うっせぇ!」

「ねぇねぇ、カズイヌくんってばぁ」




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