第三話『黄泉歩きの花』
リードがクロムとともに同行しだしてから二日。道中何度も隕獣に襲われるもクロムの前では一刀の元に切り伏せられ、リードは隕獣に関しては苦労することなく旅をすることができた。だがその間、剣の腕を見てやるといってクロムと切り結ぶことになり、むしろそっちのほうが彼にとっては大変だったりしたが。
ジムタスでランクEに選ばれている、全長五メートルはあろうかという大型の鳥のような隕獣、シェルジェンテに出くわしたが、クロムと何度も手を合わせたリードにとって実力不足ということはなく、ザロームからもらった剣の刃にひびが入り使い物にならなくなってしまったものの、なんとか一人で倒すことができた。
そんなこんなで二人はようやくジムタスへと到着し、太陽を真上にしながら門をくぐる。
この街は花を多く栽培しており、街中のいたるところから花の芳しい香りが漂ってくる。花粉症アレルギーの者からしたら一生近づきたくないところではあるだろうが……。
「まずは鍛冶屋で新しい収束器を買うことだな」
街へ入るなりクロムはリードにそう言った。
リードもズボンにしまってある収束器を思い出して小さく頷いてみせる。
「一緒に行けるのはここまでだ。後は野垂れ死ぬなりなんなり好きにしろ」
無表情のままクロムはそう告げた。リードは慌てて頭を下げる。
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
「勘違いをするな。道中で世話をする者が欲しかったから、それで代わりにおまえの腕をみただけだ」
「それでも、ありがとうございました」
なおも頭を下げるリードをフンッと鼻で笑いクロムは背を向け、
「おい」
「はい?」
リードがすっと頭を上げると、頭のてっぺんに何か軽いものがフワッと乗っかった。すたすたと去っていくクロムから目を離して頭の上のものを手に取ると、それはあの巨鳥シェルジェンデの羽だった。クロムのおかげだと言ってリードが彼に渡していたものだ。
「あ、あの……!」
「そんな低ランクの賞金などくれてやる。第一おまえが倒したんだ、おまえがもらっておけ。じゃあな」
それだけ言うとクロムは去っていった。
その場に残されたリードはしばらく呆然とそこに立っていたが、街の真ん中ならだいたいの情報は集めることができるだろう。まずは鍛冶屋へ行くべく街の中央広場へと目指した。
歩いている途中で食材屋を見つけ、ここへ来る途中で消費した食材を補充する。
「はいよ」
「どうも。すごくいい香りがしますね。花ばかり作っていてつぶれたりしないんですか、この街」
「おや、君旅の人かい? そういえばあまり見ない顔だけど」
「あ、はい。王都に行く用事があって、それで……」
そっかそっかと食材屋の若い店主は頷く。
「確かに花なんかそう高いものじゃないからね、実際この街は豊かってわけでもない。でもここの街の土は花を育てるのにはうってつけでね、作られる花はいいものばかりだから結構売れるんだよ」
「そうなんですか……花のための街、って感じですね」
「ああ。……そうだ、どうせなら君も一つ買っていったらどうだい? 広場にギルドがあって、そのすぐ右の通りを行くと左手に『セリネの庭』って花屋があるんだけど、結構安く売ってるよ。店員の女の子もかわいいし」
「はあ。まあ行ってみます。あ、そうだ。ついでに教えて欲しいんですけど、鍛冶屋ってどこにありますか?」
「鍛冶屋はギルドの隣にあるよ。金槌の看板がぶら下がってるから分かると思うけど」
「ありがとうございます」
まいどーと明るく言う若い店主に笑って応えながらリードは中央広場へと入った。
広場の外縁部には様々な花屋が店を構え、中央には大きな噴水が設置されていた。何かの花を模しているらしく、大きな花弁を五つ開いて中央のから水を吐き出している。それを尻目にリードはきょろきょろと当たりに視線を巡らせ、金槌の看板を探した。
「あれか」
あっさりと見つけ、すぐに中へ入る。
中は普通の店と同じようにカウンターとその奥に立つ店の人、そしてカウンターの下のショーケースに並べられた形成前の収束器達があった。壁には鎧も立てられている。ただ他の店と違うのは、さらに店の人の奥に頑丈そうな鉄の扉があることだ。ザロームのところと同じく、その向こうに鍛冶をする部屋があるのだろう。
「いらっしゃい。今日はどうしたの?」
筋骨隆々という言葉が似合いそうなゴツイおっさん、ではなく人並み以上ではあるものの鍛冶をするには弱くないか? といった感じの若い青年がそう尋ねた。ザロームしか知らないせいか、筋肉質な人意外が鍛冶屋、というイメージしかないリードが怪訝そうな顔をしているとそれを察したのか青年は苦笑した。
「俺はここの親方の弟子だよ。親方は鍛冶炉のほうにこもってる。手伝わせてもらったりはしてるんだけど、まだ一人じゃ何も打たせてくれてないんだよね」
「そうだったんですか」
「うん。ところで君、今日は何をお求めで?」
「剣を。予算はだいたい五百ジェム辺りがいいんですけど」
「剣か……剣は幅広いからなあ。初めて買うの? 今まで使ってたのとかない?」
「あるにはありますけど……剣身にひびが入っちゃってて」
「それでいいよ。ちょっと見せてくれる?」
ズボンの袋から収束器を取り出し青年に手渡すと、彼はワードを唱えて形成させた。剣身に対して大きく斜めにひびが見える。あともう一振りでもしたら確実に折れてしまうだろう。
「あちゃー、こりゃひどいね。岩でも斬った?」
「いえ、隕獣と戦ってる時に相手の嘴を斬りつけたんですけど、予想以上に硬くて……」
あははと渇いた笑みを浮かべるリード。シェルジェンテの嘴があんなに硬いとは思わず、リードがなんとか倒した後にクロムから思い切りしかられてしまった。
「そっか。……修理はできるけど、やるにしても予約が詰まってるから完成は五日後になるんだけど、どうする? なんだったらこっちで買い取るよ。……まあ、あんまり胸張って言える額じゃないけどさ」
「新しいのを買います」
了解とだけ言うと青年はザロームの剣を元の収束器に戻し、それをポケットに突っ込んでしゃがみこみ、ショーケースの中をがさごそと漁りだした。
待つこと数十秒。
「これだ」
青年が頭を上げた。ただ、ショーケースの中に頭を突っ込んだままなので、
「いでっ!」
もちろん頭をぶつける羽目になる。
あたたた、と後頭部をさすり涙目になりながらも彼はリードに収束器を一つ差し出した。全体的に黒色でまとめられた感じのもので、受け取ってもザロームの作ってくれた収束器と特に違和感を感じない。
「形成をしてみて」
リードは頷き、口を開く。
「顕現」
瞬間、リードの手には刃渡り七十センチほどの一振りの剣が現れた。剣身も以前の剣となんら変わりなく、違いがあるとすれば柄が黒色になったことと鍔が少し短くなったことと重量が上がったことくらいか。
「スチールソードっていうやつで、かなり普通だけどそれなりに普及してるし五百ジェムぽっきり。どう?」
三度四度素振りしてみるが、特に問題はなさそうだ。これにする、と返事をする。
代金をカウンターに置き、スチールソードを元に戻してズボンの袋に滑り込ませると鍛冶屋を後にした。
「次は……あ、そうだギルドギルド」
隣に立つ建物を見てそう呟くと、今度はそっちに足を踏み入れた。
中は人でごった返し、いくつかある丸テーブルに腰掛け酒を飲んでいる者もいる。どうやら酒場と合体しているらしい。こんな真昼間から飲むのかよと思いつつ中の様子を眺めると、どうやら男のほうが圧倒的に多いようだ。ちらほら女性も見受けられるが、ほとんどが戦士ということが一目で分かる。目つきが鋭いし、何より全員が防具をつけている。それ以外はテーブルで酒を飲んでいる男に絡みつく娼婦のような者しか見受けられない。
騒がしさとアルコールの充満した空気に戸惑いながらもリードは奥に見える受付のようなところへと向かう。
途中で何度も足を踏まれたり肩をぶつけられたりと苦労しながらなんとか受付へと辿り着いた。
「こんにちは。こちらの書類からターゲットをお選びください」
若いお姉さんがにっこりと営業スマイルでリードに重ねられた紙束を差し出してくる。
「いや、もう倒したからそれで報告に来たんですけど……これ」
そう言ってバッグからシェルジェンテの羽を取り出し受付のお姉さんに提示した。
「それは……ランクEのシェルジェンテですね。ギルドナンバーと名前をここにお願いします」
「いえ、俺ギルドに来るの今日が始めてなんですけど……」
「そうでしたか。では」
そう言ってお姉さんはカウンターの下から茶色い紙を一枚とペンを一つ取り出した。
「こちらに必要事項を記入してください。最低、お名前と年齢、出身国だけでかまいませんので」
リードは一つ頷き紙に目を走らせる。どうやら本当に大して考える必要のないものばかりが記入事項として書かれていた。名前、年齢、出身国、身長、武器、得意な戦術、エトセトラ。
適当にサラサラ書いてお姉さんに手渡す。
「……はい、確認いたしました。十五分ほどで狩猟の証ができますのでそれまでおまちください」
「分かりました」
言われてリードはとりあえずギルドを後にした。十五分、と言われても特にやることがない。どうしようかなーと首を捻る。と、不意にさっきの食材屋の店主の言葉が脳裏に浮かんだ。
――『セリネの庭』って花屋があるんだけど、結構安く売ってるよ。
(暇つぶしにでも行ってみるか。たしかギルド横の通りだったよな)
リードはバッグを担ぎ直し、そこの狭い通りに入ることにした。少し薄暗くてじめついたような感じがするが、街中から漂ってくる淡く香る花の匂いがその陰気な雰囲気を打ち消している。
しばらく歩くと、先程までとは少し違う匂いがしてきた。花の香りには違いないのだが、さっきまでとは何かしら違和感を覚えるのだ。悪い意味ではなくむしろ良い意味でだが。
特有の匂いを発していたのは、一つの花屋だった。少々ぼろくなった感じの否めない小さな花屋は、どうやら民家を利用してやっているらしい。奥のほうに立った煙突から煙が出ている。昼食の支度でもしているのだろうか。
木の扉に付いたガラス窓に汚れがないことからこの店の店主が仕事熱心、もしくは綺麗好きということが分かる。そんな店の上には『セリネの庭』の文字が描かれた看板が掛かっていた。
(ここか)
扉を押して中に入る。扉の上に付いていたベルがチリンチリンとかわいらしく鳴ってリードを迎え入れた。途端にさっきから感じていた甘い香りがぐっと増した。
たくさんの鉢やプランターが置かれ、それぞれに様々な色合いの花々が植えられており、屋内にも関わらずその花達に陽光が降り注いでいる。思わず上を見上げるとそこは天窓になっていて、今は大きく開け放たれて外の空気を取り込んでいた。
「いらっしゃいませー」
鈴のように澄んだきれいな声がした。
見上げていた顔を下ろすと、正面のすこし行ったところにあるカウンターで、茶色いロングの紙の上に白い三角巾を巻き、腰にエプロンを巻いた女性が目に付いた。歳は二十代前半くらいだろう。カウンターの下に何かあるのかごそごそとやっている。
女性は顔を上げてリードににっこりと微笑みかけた。その優しい笑みにリードは少し顔を赤くする。
「あれ? 初めてお会いになりますよね。旅の方ですか?」
「え? ……あ、はい。ザリアスに向かう途中でこの街に寄ってるんです」
「ザリアス……。そうですか。私も乗ったことあるんですけど、護送馬車って狭くて大変でしょう? 何人もの人がぎゅうぎゅう詰めになって長い間その状態が続くんですから。まあ、隕獣に襲われることに比べたらなんとも言えませんけれど」
ん? とリードは眉をひそめた。一瞬、ザリアスと聞いて女性の顔が翳った気がしたのだが、気のせいだろうか。
「いえ、俺は護送馬車じゃないんですよ。あまり待つ時間がないから徒歩なんです。今はいなくなっちゃいましたけど、ケニーからここへ来るときは強い剣士の人が一緒だったし、これでも一応俺、剣士なんで」
「徒歩で!? それはすごい……。外の世界ってどんな……あ!」
女性は突然声をあげると、苦笑いしながら右頬をポリポリと掻く。
「すいません、さっきから勝手に質問しちゃって。友達からも好奇心旺盛すぎって言われるんですけど、どうにも……あはは」
「いや、気にしないでください」
「すいません……じゃあ改めて。わたしは、この『セリネの庭』の店長――と言っても、従業員はわたししかいないんですけど――のアリア・コルトークと申します。今日はどういった御用で?」
「いや、実は今ギルドに登録してるんですけど、時間が余って。それで来る途中で食材屋の人がこの店のことを言ってたんですよ。かわいい女の子がやってるいい花屋があるって。それでちょっと寄ったんです」
「もう、ルージさんったら……」
アリアは頬を赤く染めながらいやいやするように首を振る。
「ところでさっきから気になってたんですけど、この甘い匂いは何なんですか? そこの通りでも匂ってたんですけど」
「ああ、多分、これのことですね」
そう言ってアリアはカウンターの下からバケツのようなサイズの茶色い鉢を取り出しカウンターの上にドンッと置いた。途端に例の香りがぶわっと押し寄せる。
「これは……?」
鉢に生えていたのは花弁が真っ黒な花だった。花弁の数は七枚で、大きさは八センチくらいのものから三センチ程のものまでとばらばら。しかも一片一片に赤い斑点が付いていて、葉が一枚もなく茎は白という、明らかに常軌を逸した代物だった。
アリアはそれを鉢越しに撫でながら寂しそうに話す。
「これは黄泉歩きの花といって、この花を調合してできた薬はどんな病でも治すことができるんです」
「へぇ、すごい花なんですね。じゃあこれを売ったら結構な額になるんじゃ?」
「ええ、でも売る気はないんです。これは母に必要なものですから……」
「母?」
リードが聞き返すとアリアはしまったというような表情をした。知られたくないことだったのだろうが、それでもリードはもう一度尋ねた。
「お母さんがどうかされたんですか?」
「……」
アリアは話す気がないのか黙って俯いていたが、目の前の少年は話すまで動かないと感じたのか、しばらくするとポツリポツリと話し始めた。
「……この店の名前、知っていますか?」
「セリネの庭、ですよね」
「ええ。セリネとはわたしの母の名なんです。二十年前に母はここでこの店を開業して、父と二人で続けてきました。わたしも小さいながらも二人を手伝い、裕福ではないけれども幸せな生活をすごしていました。ですが一年前、母が突然倒れたんです。医者に行っても理由が分からず、仕方なく父とわたしは母を連れて王都へ行き、そこで医者に診てもらったんですが……」
「原因が分からなかったんですか?」
いえ、とアリアは暗い表情で首を振った。
「原因は分かりました。ですが、そのための治療薬の値段は二百万ジェム……この家にそんな蓄えはありません。その日その日で大変でしたから。ザリアスの医療機関に入院させておけば少なくとも病の進行は遅くなるので母を王都に残し、父は他所の町へ出稼ぎに行きました。ですが、父の稼ぎでは足らず、母の治療費は払えないし、その時に医者に聞いた話ではもって一年と半年と言われて……だからこの花を……」
泣き出したアリアにリードは少し慌てる。
「で、でもこの花はできたんですよね。ならこれで助かるんじゃ……」
「駄目なんです。王都行きの馬車は少なくとも二月先……。一月前に届いた王都の医者からの手紙ではもう長くないと、そう書かれていたんです。もう、母を助けることは……うぅ……」
「……」
アリアはしばらくの間泣き続けると、エプロンで目元を拭うとにっこりと笑った。
「すいません、お客さまにこんな辛気臭い話を聞かせてしまって。今のは忘れてください」
仕事で笑顔を作ることには慣れているのだろうが、それでも赤く腫れあがった目はごまかせない。
関係のないリードに気にかけまいとしているのだろうが、それが逆に痛々しい。孤児で仲間達と育ったリードだからこそ、家族の大切さは身に染みてよく知っている。その大切な家族を失いかけているにも関わらずどうすることもできない人が目の前にいるのに、それを見なかったことにすることはリードにはできなかった。
リードは意を決して口を開く。
「その黄泉歩きの花、俺に預けてもらえませんか……?」
「え……?」
「俺、これから王都に向かうんです。その花を王都に持っていく手段がないんだったら、俺が持って行きます」
「でも……」
アリアは逡巡している。それはそうだろう、今日会ったばかりの人間に母の命を預けろと言われているようなものなのだから。それにものがものなだけに、簡単に渡せるような代物でもないのだ。
アリアの様子からそれを察したリードは右腕に嵌めていたものを外し、コトンとカウンターに置いた。アリアはそれを手に取り、手の中で回しながら眺め、表面に彫られた五つの名前を読み上げる。
「アレックス、ネリス、カイン、ハーツ、ユリア……。これは?」
「俺が旅に出る前にくれた、兄弟達からの贈り物です。金としての価値も、他者にとっての価値もないものですけど、俺にとっては最高に価値のある、掛け替えのないものです。俺の覚悟としてそれをアリアさんに預けます。だから、アリアさんのお母さんを助ける手伝いをさせてくれませんか」
「どうしてそこまで……言ってしまえば、あなたは私達と何の関わりもないんですよ? 自身の宝を渡してまでする理由がどこにあるんですか」
アリアは正直、木製の腕輪を出されたことでさらに疑っていた。リードの言うとおり、この腕輪には金としての価値はない。高い香木で作られているわけでも、美しい細工がされているわけでものない、そこらに生えている木に子供が名前を削りこんだだけのような代物だ。そこらの露店でなら五十ジェム程で売っていてもおかしくない程度のもの。それに比べて黄泉歩きの花は栽培が難しく、その薬としての効果から考えても二十万ジェムは下らない。黄泉歩きの花を手に入れるためにそんなことを口にしているのだと思ったのだが、
「俺は元々孤児で、ある孤児院の院長に拾われて育ててもらってきたんです。だから、本当の親ってものは分かりません。でも、血が繋がっていない者達の集まりで作られた家族の中で生きてきたからこそ、家族ってものの大切さを知っているんです。だから家族を失おうとしているアリアさんを放っておけないんです! お願いです、その花をザリアスに届ける手段がないなら、俺にやらせてください! 何が何でも必ず届けて見せますから!」
リードの目は真剣で、真実で、真摯だった。他人の思考を読む術に長けていないアリアでもわかった。そして思った。
ああ、この少年は、本当にわたし達のことを思って言ってくれているんだ、と。途端に今の今まで彼を疑っていた自分が恥ずかしくなり、同時に彼の気持ちが嬉しくてどっと涙を溢れさせる。
「ア、アリアさん!?」
「すいません、何でもないんです、何でも……」
アリアは再びエプロンで涙を拭い去ると、今度は腰を直角に曲げて頭を下げた。その勢いに乗って三角巾で抑えられていない後頭部の茶色い紙がバサッと音を立てて垂れる。
「お願いします。母を……助けてください!」
「分かりました。必ず届けて見せます」
アリアはその言葉に頭を上げ、感謝の言葉を告げると黄泉歩きの花を鋏で切り始めた。なんでも、この花は土に触れていないとすぐに枯れてしまうのだが、花弁、茎、根に分けておくと十日は保つらしい。ばらばらにした黄泉歩きの花を袋に入れ、リードが渡した木の腕輪と一緒に差し出した。
リードが戸惑っているとアリアはにっこりと笑って見せた。
「あなたの目を見れば分かります。わたし達親子のためになさってくださろうとしている、善意の覚悟が。だから、それを預けていただく必要はありません。それとこれを」
アリアはカウンターの下からあるものを取り出した。乾燥した白色の花を編んで作られた球状のものだった。乾燥していてなお花独特の甘い香りを漂わせている。
「これはホーリースフィアといって、隕獣が嫌う匂いを持っているんです。それを持っていれば、数日間は隕獣にも遭遇する可能性は下がるんです」
「こんなもの、もらっていいんですか? 結構高いんじゃ……いくらですか」
慌てて財布を取り出そうとするリードをアリアは首を振って止める。
「そんな高いものじゃありませんし、わたしにできるのはこれくらいですから……」
そう言ってアリアは弱々しく微笑んだ。
「これが狩猟の証と、シェルジェンテ討伐の報酬にならります。お気をつけて」
セリネの庭を出てギルドに行くと、既に登録が完了されていた。受付のお姉さんからカードと報酬が入った袋を手にギルドを後にし、消耗した道具を買いに、ギルドで場所を聞いておいた雑貨屋へ向かいながらカードを眺める。名前と歳が書いてあり、その下にランクFと書かれ、そしてその横には何故かリードの顔写真が貼られていた。一体いつ撮ったのだろうか。
些か不気味に思いつつ、もらった袋の中身を覗く。
「二千ジェム……結構もらえたな」
これならもっといい剣を買っておくべきだったか? と後悔しながら雑貨屋で消耗した薬草や隕獣を攻撃する消耗武器、傷んだ調理器具を買い漁り、バッグを背負って街の外へと向かう。
(必ず、必ずアリアさんのお母さんのところに届けてみせる。絶対に死なせたりしない)
背中に黄泉歩きの花を存在を感じつつ、まだ見ぬ王都を見つめてリードはバッグの肩紐を握り締めた。