第8話 トマトを投げつけられる
無事に迂回ルートを抜けた僕たちは、帝都の眼前にまで迫っていた。
だんだん帝都に近づいていることを醸し出すように、田園地帯が商業地帯へと姿を変え始める。
まだ帝都でないというのに、そこはもうプロイセンはおろか、オストファーレンの中心にも匹敵する繁栄ぶりであった。
これは帝都には皇帝がいるから……というわけでば別にない。
そもそも、皇帝は言ってしまえば、選帝侯たちに選ばれた存在であり、名目上は君主と家臣であるとは言え、実態は完全に選帝侯たちのほうが上であり、皇帝は半分お飾りだ。
それでもなぜ帝都が反映しているのか、それは一つは単純に交易の要所だからであろう。
領邦に分割されたこの国において、各領邦に向かう道はこの帝都を起点に作られている。
故に、商人や商品がこの町に集まるのは自然な話なのだ。
また、皇帝の出身地も影響しているだろう。
皇帝の出身地は帝国の南にある公国であり、隣接する外国との交易も行われている。
その仲介をする形で、巨万の富を築き上げており、富を築き上げた商人たちがこうして帝都にも手を伸ばしてきているのであった。
その繁栄を象徴するかのような門が、僕の目の前にそびえ立っていた。
『エーデンブルク門』、帝都エーデンブルクの北の玄関口の門だ。
荘厳な列柱と古典主義様式の彫刻の数々は、帝国の繁栄を強く示していた。
「ここが帝都、初めてきた場所だけどすごいね」
「そうだな。まあ、ベルリンやポツダムのほうが上ではあるが」
「義父様、そりゃ在りし日のプロイセンと比べちゃだめだよ……」
僕たちの一行はエーデンブルク門をくぐり、帝都入りを果たした。
帝都の町は早速活気に溢れ、商人や町民でごった返していた。
そんな人の波をかき分けながら、僕たちはゆっくりと進んでいく。
その中でも、プロイセンの国旗はひときわ輝いてはためいていた。
旗を持って行進するヴェンツェルと、その後ろに続くパイク兵たちは、帝都の民をその規律の高さで驚かせた。
そして誰もがその道を譲り、周りには見物客が集まった。
「……なんだか見世物にされている気分だな」
「仕方がないですよ。きちんと行進をする兵なんて珍しいですから。職業兵でもこんな訓練はしませんよ」
――ベシャッ
そう言いながら道を進んでいると――突然僕の左頬に何かが当たった。
ぬるっとするものが着いているので何かと見てみると、それはトマトであった。
真っ赤なトマトを頬から剥がし、投げつけれてこられた方を見る。
するとそこには、僧侶の格好をした男が立っていた。
そしてそれは一人ではない、かなりの人数が立っており、僕の方を睨みつけていた。
他の見物客が何が起こっているのかと困惑している中、トマトを投げつけてきたであろう僧侶が声を大にして叫んだ。
「善良なる民のしもべたちよ、聞き給え! この少年フランツは、初陣において敵の兵を虐殺し、誰一人として逃さなかったという! そして神は我々に告げた。『この男は、悪魔の子である』と! 民よ、悪魔の子に惑わされることなかれ!」
僧侶がそう言い終わると、他の僧侶たちも待っていましたとばかりにトマトを投げつけ始めた。
集中砲火を受けたので、たちまち僕の服もフリードリヒ大王の服もトマトまみれになってしまった。
兵たちはなんとか止めようとするが、相手が聖職者なので手出しできずにいた。
「……やられましたね」
「どういうことだ? フランツが父に『悪魔の子』と難癖をつけられたというのは聞いたが、他の者達はそれを知らなかったはずだ。なぜ、僧侶どもが知っている?」
「……それは、父の正妻、つまるところの僕の義母のせいでしょうね」
僕の義母、父の正妻は、帝国の代々北部を管轄する教会の司祭と姻戚関係にある。
教会の関係者は本来は結婚してはいけないが……腐敗しているので何でもありだ。
なので父は、そのコネを利用して教会にも口を利かせることができる。
今回の騒動が父の仕業だとすると、先の橋の崩落ももしかすると父の手先の仕事かもしれない。
早馬を使ったとしても、オストファーレンからエーデンブルクまでは時間がかかる。
僕が辿り着く前に根回しをするために、時間稼ぎとして橋を崩したのかもな。
そしてさらにマズイのは、他の住民からの反応である。
いくら教会が腐敗していると言っても、未だに住民たちの心の拠り所であった。
そのため聖職者というのは一目置かれる存在であり、民たちはその言葉を信じた。
「え、悪魔の子……? あの子が?」
「いやまさか、貴族様の初陣なんだろ? 部下が勝手にやっただけかもしれん」
「だが僧侶様が言っているんだぞ? それに神様からのお告げだとも……」
民たちの間には困惑と恐れの空気が蔓延し、見物客も段々とその姿を消していった。
そしてしばらくする頃には、僕の行く先の店や家は固く戸を閉め、人っ子ひとりいなくなってしまった。
……完全に住民からの信用を失った、父にまんまと嵌められたな。
「司令官。司令官が何と呼ばれていようと、我々は気にしませんよ」
「ヴェンツェル、そう言ってくれると助かるよ。だが僕も全知全能の神に誓って言おう、僕は悪魔の子ではない、と」
「大丈夫です。我々は皆、司令官を信じていますよ」
ヴェンツェルはそう言い、トマトでところどころ赤く染まった国旗を掲げてみせた。
他の兵たちも、誇らしげに身に着けた、黒白黒の記章を示してみせた。
……ああ大丈夫だ、僕にはまだ仲間がいる。
「さあ、こんなことでめげていてはいけないね。まずは皇帝との謁見に集中すべきだ。……だが、この格好で行くのもな……」
僕はトマトまみれになった服を見て、どこかで着替えるべきだと察する。
だが、どこが着替えのためのスペースを貸してくれるだろうか、いや、どこも貸してくれないだろう。
仕方がないが、馬車の中で着替えるか――ん?
僕がふと視線を前に向けると、こちらを手招きしている人影があった。
僧侶の服を着ているが女性――珍しい女性の聖職者であった。
なぜ彼女が手招きをしているのかは分からない、でも僕は不思議とそちらに引き寄せられていた。
◇辞書
◯ベルリン……ドイツ連邦共和国の首都であり、かつてのプロイセン王国およびドイツ帝国の首都であった都市である。18世紀以降、プロイセンの政治、経済、軍事の中心地として発展した。特にプロイセンがドイツ統一を主導して以降、その権威と軍事力を象徴する巨大都市となった。第二次世界大戦後には東西に分断された冷戦の象徴でもあり、ドイツの激動の歴史を体現する都市である。
◯ポツダム……ベルリンの南西近郊に位置する都市であり、かつての**プロイセン国王の居住地(離宮所在地)**であった。ベルリンが政治行政の中心だったのに対し、ポツダムはプロイセン王家の私的な居所や、軍事的な閲兵式場として機能した。特にフリードリヒ大王の離宮であるサンスーシ宮殿があるなど、啓蒙専制君主の文化的・精神的な中心地であった。第二次世界大戦終結時のポツダム会談の舞台としても知られる。




