第11話 美しきエリーザベト
皇帝フェルディナント1世との謁見を終えた僕は、エーデンブルク城を後にした。
どうも皇帝が用意してくれてた、使われていない屋敷があるそうなので、今日はそこに泊まることにする。
城の門をくぐり抜けると、外ではフリードリヒ大王らが待っていた。
「フランツ、皇帝との謁見はどうであったか?」
「そうだね。善良帝の名がふさわしい、素晴らしい人だったよ」
僕がそう言うと、フリードリヒ大王らはほっと胸を撫で下ろした。
皇帝一派が教会よりであれば、何を言われてくるかわからないと心配していたからであった。
それがなかったことを彼らは何よりも喜んでいた。
「……ん? フランツ、その胸についている勲章は何だ?」
「これ? これは陛下が僕の異民族討伐を称えて送ってくれた勲章だよ」
「なろほど、それは良かったじゃないか。ということは、皇帝はお前を取り込もうとしているのだな」
「そうだね。父ら選帝侯に抗うために、僕を駒の一つにするつもりのようだね」
僕のあまり聞こえの良くはない言い方に、兵たちは少し顔を曇らせた。
駒として使う――彼らにはそれが捨て駒と聞こえたのだろう。
だが僕は寧ろ逆、皇帝の策において最重要となる要の駒、隠し駒であると自認している。
「それと、勲章以外にも男爵の爵位と、帝国からの資金援助を引き出せたよ。まあ地理を鑑みれば妥当な判断だけど。でもこれで、父からの干渉を受けることのない、独立した『プロイセン男爵領』を形成できるよ」
「そうか、それは偉いぞフランツ。皇帝に借りが出来てしまうのが一つ難点だが、今のプロイセンはそんなことを気にしていられるほどの状況ではない。資金があるのは素晴らしいことだ」
フリードリヒ大王は僕を褒め、頭を撫でてくれた。
皇帝との対面で少し緊張していたので、ちょうどそこで緊張が解かれた。
さて、後は舞踏会だが――エリーザベト、皇帝の言っていたその名が気になって仕方がなかった。
◇
その日の夜、僕らは皇帝が用意した馬車で舞踏会の会場に赴いた。
会場はエーデンブルク城から離れたところにある皇帝の離宮、ベルデール宮殿であった。
城とは対象的に、優美な外観を持つ宮殿は、帝国の外交の玄関口としても機能していた。
宮殿の車止めに着いた馬車から、僕はゆっくりと降りた。
その後にフリードリヒ大王も続いて降り、僕らは宮殿の正面玄関扉をくぐった。
玄関の扉を抜けた先には、シャンデリアが煌々と輝く壮麗な景色が広がっていた。
すでに宮殿には幾組もの招待客が顔を連ねており、談笑に華が咲いていた。
僕は知り合いも居ないのでとりあえず受付役のメイドのもとに行き、来訪を告げることにした。
受付のメイドのもとで僕に代わりフリードリヒ大王が来訪のサインをしたが、受付のメイドは困惑した顔をしていた。
「なにか問題でも?」
「その……申し訳ございませんが、私にはこの文字が読めません」
「文字が読めない……あ、そうか!」
僕は台を持ってきてもらって紙を覗くと、そこにはドイツ語でサインがなされていた。
大王と会話が通じているのだから文字も書けるのかと思っていたが、そんなことはなかったようだ。
結局僕がサインをし、無事に舞踏会への参加が完了した。
参加のサインをしてしまえば、もうできることはない。
誰か話せる人――これまでに数度参加してきたパーティーで見知った人がいれば良いのだが。
だが父の周りに居た貴族は選帝侯らのグループ、見知った人がいるはずがない。
「……ん、あれは」
僕がふと会場の隅に目線を向けると、そこには一台のチェンバロがあった。
まだ僕がオストファーレンの屋敷に居た頃、母やその友人がいくらか教えてくれた、思い出の楽器だ。
前世でも体が元気な頃はピアノを習っていたので、思わず僕は弾きたくなってしまった。
僕がチェンバロの前に置かれた椅子に腰掛ける。
すると、周りの貴族らは食事の手を止め、物珍しげに僕の方を見た。
僕が何を弾こうか思案していると、フリードリヒ大王が何か言いたげに見てきた。
「……余も混ぜてくれないか?」
「もちろん。義父様と共演するとなると……バッハがいいかな?」
「そうだな。……ではバッハの『心と口と行いと生活で』終曲より、『イエスは変わらざるわが喜び』ではどうか?」
僕はフリードリヒ大王の提案に頷き、鍵盤にそっと手をおいた。
大王も僕があげたフルートを構え、こちらをちらりと見た。
僕は小さく頷き、ゆっくりと鍵盤を鳴らし始める。
「! これは……」
チェンバロとフルートが奏でる音は、宮殿全体を優しく包みこんだ。
バッハの作った神への讃歌が、聞く人の心をたちどころに癒やしていく。
この世界には存在しないはずの巨匠の音楽が、今宵はまるで地球の世界が蘇ったかのように響き渡った。
そして音楽の力は、人々の心をも動かした。
僕の噂に対して少しだけ信じる心があったものも、チェンバロとフルートの音がかき消していく。
人々の心は、音楽によって浄化されたのだ。
「これはすごいな。『悪魔の子』でないところか、『神の子』なのではないだろうか」
「本当ですわ。聞いたこともない旋律、でも私はそこにすぐに心を惹かれましたわ」
「そしてあのフルートを吹いている男もだ。随分とこの空気に慣れているようだが、一体誰なんだ?」
そのような噂も聞こえてくる中、僕は最後の一音を打弦した。
そして演奏を終えて聴衆の方を見ると、皆して割れんばかりの拍手を送ってくれた。
彼らは皆、もう誰も僕のことを疑っていなかった。
「はは、素晴らしい演奏であったぞ」
「陛下! お褒めにあずかり光栄です」
貴族たちの間をかき分け、侍従に支えられながらフェルディナント1世が姿を表した。
僕はチェンバロの椅子から降り、彼の前に立って挨拶をする。
彼は僕に答礼した後、フリードリヒ大王の方を見た。
「フランツ”男爵”のチェンバロの演奏も素晴らしいものであったが、貴殿のフルートもまた素晴らしいものであった。フルートとは扱いが難しい楽器だと聞いていたが、そこまでの表現力をもたせることができるのはひとえに貴殿の才能故だろう。して”男爵”よ、この者は名をなんという?」
「はっ。名はフリードリヒ・フォン・ホーエンツォレルン。私の義理の父でございます」
僕がそう言うと、宮殿の貴族たちがどよめいた。
義理の父である、それは僕が実の父であるエーレンヴァルト家を追い出されたということを意味するものでり、それを男爵という独立した爵位が裏付けしていた。
悪魔の子の噂は耳にしていた彼らでも、家を追放されたことは初耳であったので、衝撃的だったのだろう。
「義理の父か。あのような者が義理の父となるのであれば大変喜ばしいことだ。きちんと父の話を聞き、言いつけは守るように」
「心得ております」
フェルディナント1世はそれだけ言うと、他の貴族にも挨拶をするために立ち去った。
僕もフリードリヒ大王のもとに行こうとしたがその時、後ろから声をかけられた。
「あ、あの!」
僕は呼ばれたことに気が付き、誰かと思って振り返ってみる。
するとそこには、今まで見てきたどんな女性よりも美しいと心から思える、一人の少女が立っていた。
いくらか編んで束ねた長い黒髪は、彼女の白い肌と相まって艷やかに光っていた。
「どうなさいましたか?」
「その、演奏、とても上手でした! 私もチェロの練習をしているので、いつか一緒に演奏してくれますか?」
「ええ、もちろん。その、お名前を聞いてもよろしくて?」
「エリーザベト。エリーザベト・アマーニエ・フォン・アプスブルクです」
エリーザベト、そうか、この子が皇帝の言っていたエリーザベトであったか。
だとしたら彼女の父親は、ベヘミア国王にして選帝侯のマクシミリアン3世、素晴らしいコネクションだ。
……だがそんなことを全て差し置いても、僕は彼女と仲良くなりたい、なぜなら心を奪われてしまったから。
「僕はフランツ。フランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ホーエンツォレルンです。以後お見知り置きを」
僕は膝を床につけ、右手をエリーザベトに差し出した。
その意味を理解した彼女は、同じく右手差し出して僕の右手の上に重ねた。
僕は目をつむり、彼女の手の甲にゆっくりとキスをした。
「折角の機会です。少しお話しませんか?」
「ええ、ぜひ!」
――これが、僕とエリーザベトの最初の出会いであった。
その後も僕たちはパーティーが終わるまで一緒にご飯を食べ、話し、笑った。
……その様子を、いつの間にか仲良くなっていたフリードリヒ大王や彼女の父のマクシミリアン3世、それに加えてフェルディナント1世までもがニヤニヤしながら後ろから眺めていたのには気づかなかったが。
◇
……これはまだ、僕の物語の始まりに過ぎない。
たとえ父に見放されても、僕の周りは素晴らしい人たちで溢れかえっている。
大丈夫、僕は異世界でもやっていける、僕のゆく道に、神の祝福のあらんことを!
フルートを吹くフリードリヒ大王と、チェンバロを弾くフランツ
◇辞書
◯バッハ……ヨハン・セバスティアン・バッハ (J.S. Bach)。18世紀ドイツの作曲家。「音楽の父」と呼ばれ、バロック音楽を完成させた巨匠である。彼はオルガン奏者としても知られ、極めて論理的かつ壮麗な対位法(複数の旋律を調和させる技法)を駆使した楽曲を数多く残した。フリードリヒ大王の父の宮廷に出仕していたこともあり、大王自身も彼の音楽をよく知っていた。息子のC.P.Eバッハは、フリードリヒ大王のもとにチェンバロ奏者として27年間仕えていた。
◯「心と口と行いと生活で」 (BWV 147)/「イエスは変わらざるわが喜び」……バッハが作曲した教会カンタータの一つ。神への賛美と信仰の喜びを歌い上げる内容を持つ。また「イエスは変わらざるわが喜び」は上記カンタータの終曲のコラール(賛美歌)の旋律を用いた楽曲。清らかで穏やかな美しさを持つこの曲は、信仰による救いの喜びを象徴している。日本では英語版の翻訳から「主よ、人の望みの喜びよ」という別名で広く親しまれている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
この作品は大長編の予定だったものを短編風に仕立て直したものです。
中途半端なところで終わってしまいますが、大長編化の声があれば、書き直すかもしれません。
またのご縁がありましたら、よろしくお願いします。




