ご 盤上遊戯
一年の最後の日は、神に感謝を捧げ静謐な時間を過ごす。
王室では、城内にある教会で祈りを捧げた後に聖水で額を濡らして身体を清める。夕餉には神の身とされるパンと神の血とされるワインのみを食する。
六歳のオリバーには薄めたワインが出されるが、パンだけなのは同じだった。この日はティータイムに多めの軽食が用意されるが、それでも小腹は減る。
「がまん」
大丈夫。あとは寝るだけだから。
仰向けになったお腹の上に両手を置いて目を閉じる。
「さぁ殿下、お休みなさいませ」
ジンジャーは掛け布団を掛け直すと枕元で童話を話し始めた。ゆったりとした口調で紡がれるお月様の穏やかな話はオリバーをすぐに夢の中へと誘った。
年が明ければ、朝食の前に教会で祈りを捧げる。神に新しい年を授けてくださった感謝をのべるのだ。これは三日続けられる。
礼拝用のベールを被った母と手を繋ぐのは少し気恥ずかしいが、嬉しくもある。弟のジェイスが生まれたことで母との触れ合いが減ったと感じていたから。
弟はまだ小さいので礼拝には参加できない。オリバーが初めて参加したのも去年からだ。だから、あと四年は母と手を繋いで参加できる。
「どうしたのです?」
母に問われても、オリバーのあやふやな感情を言葉にするのは難しいうえにほんの少し照れくさかった。だから小さく微笑んで「なんでもない」と告げた。
新年の最初の日は朝から晩まで何かしらの予定が入っているが、翌日から五日までは完全なプライベートとなる。執務も謁見もない。あるのは朝の礼拝だけで、家族水入らずで過ごせる滅多にない連休でもある。
その日の晩餐は臣籍降下した王弟夫婦が招かれ、賑やかなものとなった。
「母上、おじうえからボードゲームをいただきました」
「まぁ、良かったわね」
にこにこと笑って報告するオリバーに微笑み返すと王弟にお礼を告げる。
新年の集まりでは大人が子供に贈り物をするのが風習になっている。国王夫妻も王弟夫婦の子供に贈り物を渡している。一歳なのでこの場にはいないが、可愛らしい女の子でオリバーも妹のように可愛がっている。
「最近発売されたもので、人生を歩むゲームなんだよ。これがよくできていて、面白い上に勉強にもなるからオリバーにピッタリだと思ってね」
「そんなゲームがあるのか」
「兄上も遊んだことがある『善行と悪行』を進化させたものだよ」
『善行と悪行』とは白と黒のチェスのようなマス目を縦横に進んでポイントを貯めるゲームである。白のマスでは善カードが引いてポイントが貯まり、黒のマスでは悪カードを引いてポイントを差し引く。シンプルだが、教会の教えや常識を学ぶのにうってつけの教材でもあった。
「そうだ。後でみんなで遊んでみようよ。二人から八人まで遊べるからね」
王弟の提案で、食後は遊戯室に移動して遊ぶことになった。メンバーは、国王夫妻とオリバー、そして王弟夫妻の五人である。滅多にない機会にオリバーの目はキラキラと輝き、お付きの侍女の心拍を密かに跳ね上げていた。
広いテーブルの真ん中にボードが置かれ、駒やカード類を侍従が準備をしていく。
「マスが道のようになっているのね。まぁ、駒も種類があって可愛いわ」
「左様ですわね。うちもエミリアが大きくなったら欲しいわ」
「エミリアが大きくなったら私が遊んであげます。おばうえ」
「ありがとう、オリバー。楽しみにしているわ」
「その時はジェイスも一緒に遊べるわね」
「ジェイスも!うわぁ、すごく楽しみです」
数年後の未来に喜ぶ姿はこの場にいる全ての大人に癒しを与えた。過剰摂取してしまったジンジャーは崩れ落ちかけたがなんとか踏みとどまることができた。
「では兄上から始めましょうか」
「いやいや、ここは公平にダイスの目で決めよう」
そうして順番を決めて始まった人生ゲームは大変盛り上がった。
先頭を行くのは王弟妃で、その次がオリバー。続いて王妃、王弟となり、少し離れて国王がビリとなっている。
「父上、また二がでてる」
「兄上、遅すぎますよ」
「うるさい。のんびりと楽しんでいるんだ」
息子と弟に笑われ、国王は拗ねたような顔をするので王妃も王弟妃も笑ってしまう。
駒が止まったマスと同じ色のカードを引くと、様々な事柄が書かれており、内容によってポイントが増減する。親孝行をしたり結婚したりすればポイントが貯まり、人を騙したり傷つけたりすればポイントが減る。
そうして、ゴールに到達した時にポイントが多い人が勝ちとなる。
「えっと、子どもが生まれました。やった、ポイントもらえる」
「すごいわ、オリバーは三人のお父様ね。私は子供に恵まれなくて寂しいわ」
「で、でも、母上には私もジェイスもいますから、寂しくないですよ」
悲しそうな演技をする王妃をオリバーが一生懸命に慰めるので、王妃は嬉しくなって頬にキスをした。
「うちの息子が純粋すぎて心配になる」
「兄上の心配も分かりますが、まだ六歳なんですから」
「いや、ヴィランデス伯爵やネヴィル伯爵の令嬢に比べるとな……」
「女の子は年よりも大人びてますからね」
二人の令嬢に直接会ったことがない王弟は軽く笑うが、国王は闊達な彼女達を知っているだけに内心複雑だ。彼女達が普通なのかそうではないのかはさておき、息子とは何かが違うことだけは分かる。だが、王妃の友人の子供に対して迂闊なことを言うわけにはいかない。沈黙は時として黄金以上の価値になる。
ゲームは進み、一位は王妃、続いてオリバー、王弟、王弟妃となり、最後の最後で詐欺のカードを引いた国王はビリとなった。不満顔な国王を宥めるのは王弟に任せ、女性陣は楽しそうなオリバーとの会話を楽しんでいた。
「面白かったです。またみんなでやりたいな」
「次はお友達とするのも楽しいのではなくて?」
「はいっ」
今度リズとナビアが遊びに来たら一緒に遊ぼうとオリバーは今から楽しみで仕方ない。
片付けの手伝いでカードを揃えていたオリバーは、カードの文字を見て少し考え込んだが、慌てて綺麗にまとめたカードを侍従へ手渡すと王妃のもとに駆け寄ってきた。
「母上、お聞きしたいことがあります」
「まぁ、なにかしら?」
「赤ちゃんはどこからやってくるのですか?」
「…………」
王妃は微笑んだまま石化した。
いつかはこの質問が来るとは思っていたが、まさかいまとは。
友人たちがどう答えていたかと思い出すが、頭が上手く動かない。王弟妃を横目で見ると「無理です」と視線を外された。国王を見れば、王弟とああだこうだとくだらない議論をしている。
「ナビアは赤ちゃんの種がお腹に入るのだと言ってました。どこでその種をもらうのですか?」
「たね……、そう、種ね」
どうしましょう。こんな日のために子育ての先輩である貴婦人方のお話に耳を傾けていたというのに、何も思い出せないっ。
王妃は姿勢を整えるとオリバーの目をまっすぐに見た。
「オリバー、人の生死は神様の領域なのよ」
「はい」
「だから、明日、司教様にお聞きしてごらんなさい」
「はいっ。分かりました」
元気の良い返事を聞いた王妃はほっと息をついた。王弟妃はその手があったか!と小さく拍手をしていた。
翌日、朝の礼拝を終えて自室に戻ったオリバーは、大人用の聖書を読もうとした。
「どうされたのですか?」
「司教様に赤ちゃんがどこからくるのかなってお聞きしたんだけど、難しくてよく分からなかったから……。聖書を読めば分かるかと思ったけど……」
「……難しいお話ですから、もう少し大きくなればお分かりになりますよ」
「そうかな」
「そうですとも。司教様のお話は難しい言葉がありますから、ジンジャーも勉強中です」
「そっか。じゃあジンジャーも一緒に頑張ろうね」
「はい」
そう返事はしたものの、このままていて欲しいと願わずにはいられない。色々と気になるお年頃のジンジャーは大人へと確実に近づいている。
「あ、でもねひとつ分かったよ。父上と母上が愛し合って私やジェイスが生まれたんだって」
「んん″、左様で、ございますか」
純真無垢な殿下が特に眩しく見えたジンジャーであった。




