よん 決闘遊戯
会議を終えて自室に戻った国王は、王冠を脱がしてもらってようやく息がつけた。正式な王冠ではなく、会議や謁見などで着用するサークレットだが、宝石も付いているし金属なのでそれなりに重い。
もう少しなんとかならないかと侍従長にゴネたが、権威だ伝統だと反論された。
どれだけ重いか一度着けてみろと言ったら、畏れ多いとガンとして譲らなかった。あの頑固者が。
よく考えれば、短時間なら問題はないぐらいの重さなので、着用させたところで鼻で笑われていたかもしれない。
「どうして会議っていうのは、ああも長いんだろうなぁ」
「国の大事を決める場でございますから」
どかりとソファに座り込む国王を見て、お付きの侍従が宥めるように声をかけた。
「その大事なことを決めるのに、のらりくらりと……あの狸ジジイが。自分の領地でもないくせに」
「一部隣接しておりますから」
「ほんのちょっとだろうが。屁理屈を並べたててダラダラと長引かせやがって。さっさっと引退すればいいものを」
「午後の会議までお時間がありますので、先にお食事をお召し上がりください。こちらに手配いたしましょうか」
「ああ。そうしてくれ」
侍従が部屋を出て行くと、国王は目を閉じた。室内に護衛騎士が一人控えているが、彼は必要時以外は空気のようにひっそりとしているので気にならない。
少し疲れた。このところ会議だ視察だと忙しく、妻や子供たちに会う暇もない。
癒されたいなぁと考えていたせいか、窓の外から子どもの声が聞こえた気がした。
引き寄せられるように窓に近づいて外を見れば、開けた庭園で子どもの姿があり、少し離れて使用人や護衛が待機している。
顔がはっきりと見えるわけでは無いが、それでも人の区別はつく距離だ。
「…………ん?…………んー?」
見間違いだろうかと眉根を寄せて凝視してみたが、やはりどう見てもあそこに見えるのは息子のオリバーだ。
国王はオリバーから視線を外す事なく背後に向けて「来い」と手で招いた。
主君に呼ばれ、護衛の騎士が国王の背後に近づく。用事を問う前に国王が口を開いた。
「あそこにいるのは、オリバーだな?」
問われた先を見れば、そこには確かに第一王子のオリバーがいた。視力はかなり良いので、目鼻立ちもバッチリ見えている。いつもとは違う様相だが、間違いなくオリバー王子だ。
「……はい。確かに、殿下のようです」
「だな」
「殿下の前にいらっしゃるのは、エリザベス伯爵令嬢とナビア伯爵令嬢のようですね」
「そうだな」
護衛騎士にも同じ光景が見えているならば、国王の見間違いでも幻覚でも白昼夢でも無いようだ。
窓から見下ろした光景を理解しようとする国王と、無駄口は叩かない護衛騎士の間に無言の時が流れる。その沈黙を破ったのは、昼食を準備してきた侍従だった。
午後の会議の時間が迫っているからと、否応もなく窓から離され食事を急かされる。国王は、少々行儀が悪いが手に持ったナイフで窓の外を示して侍従に命令をした。
「ちょっと、窓の外を見てみろ」
「外ですか?ああ、良い天気ですね」
「上じゃない、下を見ろ」
「はぁ……。花の開花はまだのようですね」
「どこを見てるんだ。子どもたちが遊んでいるだろう」
窓に近寄って庭園を見下ろせば、確かに子どもらしき人物と使用人が見える。
「子どもが遊んでますね。どちらの子息令嬢でしょうか」
「オリバーと、ヴィランデス伯爵とネヴィル伯爵の令嬢だ」
「それは、それは、微笑ましいですな」
「木の下にいるのが殿下で、その前で向かい合っているのが令嬢です」
最近遠いところが見えにくいと溢していた侍従のために護衛騎士が補足を入れた。
「…………なんですと?」
「手前が殿下で、立っているのが令嬢たちです」
「…………!」
言われた内容が信じがたく、目を細めて窓に張り付くようにして確認する。目鼻立ちは分からないが、なんとなくそんな感じには見えた気がした。
驚いて国王を振り返ると、最後の一口を食べ終わったところだった。
「どうしてオリバーがドレスを着ているのか、会議が終わるまでに事の真相を調べてこい。いいな?」
普段よりも二割り増し真面目な顔で告げられた命令に、目を見開いて驚愕していた侍従はただ頷くだけだった。
ジンジャーは、今年で十七になるオリバー付きの侍女である。実家は子爵家だが、親戚の侯爵家から推薦を受けて三年前に侍女となった。
オリバーは小さい頃から外見も内面も大変可愛らしく、側にいられる特権を日々噛み締めている。あまりの可愛さに鼻の粘膜が悲鳴をあげそうになることだけが困り事ぐらいだった。最近では、読書傾向が一般的ではない伯爵令嬢たちに振り回されることも追加されている。
「それで……、何故オリバー殿下がドレスを着ていたのですか?」
正面に座った侍従はにこやかだが、声だけで『どういうことだ?きっちり説明しろ』と重圧をかけてきた。
国王陛下に仕える侍従に呼び出された時から予想はしていた。昼間のアレをどこからかご覧になったのだろうと。
「殿下とお嬢様方のいつもの遊びでございました。今回エリザベス様が脚本を持ってこられたのが『王国の薔薇』というお話でございます。ご存知でございますか?」
「初めて聞く題名です」
「若いご令嬢に人気の作品で、不遇の王女と騎士と敵国の王子の三角関係のお話でございます。虐げられて育った王女を陰ながら支える寡黙な騎士のストイックさは、時にもどかしさを感じつつも切ない甘さが見え隠れするのです。王女を見初めた敵国の王子は大胆不敵にして豪胆。王女に強引に迫るものの、さりげない気遣いやふとした時の照れた様子が乙女心をギュンギュンと……」
「説明は端的に」
つい熱が入りかけた説明に水を差され、ジンジャーは言葉を飲み込んでから頭を下げた。
「……申し訳ございません。エリザベス様の脚本にナビア様は諸手を挙げられ、殿下も二人が良いならと賛成されました。問題は配役でした。王女と騎士と王子の三役ということで、どちらかの令嬢が男役をすることになります」
「なるほど。どちらもやりたがらなかったのだな」
「いえ。その逆で、ナビア様は王子に、エリザベスさまは騎士に立候補なさいました」
「…………なるほど」
「お優しい殿下は配役をお二人に譲られることが多いのですが、流石に王女の役には困られ、騎士役に立候補なさいました。ですが、お嬢様方が『真似事とはいえ殿下に剣を向けることなどできません』『流石に不敬ですもの』と頑として譲らず、長い話し合いの結果あのような結果となった次第でございます」
説明を聞いた侍従は額に手を当てて深く息を吐いた。
「そこをお止めするのが貴女の仕事ではないのですか?」
「王妃様よりよほどの大事が無いかぎり、子どもたちの自主性を尊重するように仰せつかっております」
澄ました顔で返答するジンジャーを見て、侍従は再び深い息を吐いた。国王にどう説明したものか……。
目線だけで目の前に立つ侍女を見上げる。
侍女長からの評価は悪くない。陰日向と苦労を厭うことなく殿下に仕えているときく。
「衣装はどうしたのですか」
「エリザベス様がご持参なさっておりました。王子役の衣装はオリバー殿下がお貸し致しました」
「着付けは」
「お嬢様方はそれぞれの侍女が、殿下は私が致しました。お髪が短い分をたっぷりのリボンで誤魔化したのですが、想像以上にお可愛らしくなり、絵師を呼んで永久保存したい衝動に駆られてしまいました」
頬を染めて遠くを見るジンジャーの脳裏にはその時の様子が浮かんでいるのだろう。「この感情を尊いというのでしょうね」などと呟いている。早々に現実に戻ってきて欲しい。
「私、一生をかけて殿下にお仕えする所存です」
いやいや、婚約者をどうするつもりだ。おまけに今年結婚予定じゃないか。相手方から文句が来たらどうするつもりだ。
侍女の厚すぎる忠誠心も頭が痛いが、それよりも陛下にどう説明したものか……。
侍従は痛む胃を抑えながら深い深い息を吐いた。
今日の件について報告を受けた国王は、王妃に相談したものの軽く一蹴されてしまう。
「一時の子どもの遊びにそんなに目くじらをたてる必要はないのではなくて?」
「いや、しかしだな」
「狭量な国王など笑われましてよ?」
「うむ。しかし……いや、そうだな」
遠目だが幼いこともあってか可愛らしかった。頻繁になれば困るが、一度や二度とぐらいならば叱るほどでもないだろつ。周囲に注意させておこう。
「本当の王女が生まれるのも悪くないと思わないか?」
何気なく発した言葉に王妃の動きが一瞬だけ止まった。
「陛下が産んでくださるなら何人でも構いませんわよ?」
昨年第二王子を出産した王妃は凄みのある笑顔でそう告げるとさっさっと寝室に向かってしまった。
失言した国王が寝室で謝り倒したのは言うまでもない。




