第4話 王太子の影
翌朝。
カーテン越しに差し込む光で目を覚ました。
昨夜の出来事――魔力暴走体との遭遇と、アレクシスの言葉が、まだ胸の奥でくすぶっている。
――妻、と呼ばれた。
契約上の立場だとわかっていても、その一言は不思議な温もりを残していた。
「お目覚めですか、エリシア様」
扉をノックして入ってきたのは、執事クロードだった。
銀髪に背筋の通った姿は、まるで宮廷騎士のような威厳がある。
「公爵閣下がお呼びです。朝食は執務室にて、と」
「……執務室、ですか?」
普通なら食堂で取るはずだが。
首を傾げつつ、案内されるまま執務室へ向かう。
◆◇◆
広い部屋の奥、書類の山に囲まれたアレクシスが、筆を走らせていた。
机の上には地図と報告書が広がり、緊張感のある空気が漂う。
「座れ。……昨夜の件だ」
クロードが朝食のトレイを置くと、アレクシスは短く切り出した。
「暴走体の出現は偶然ではない。王都であの規模の魔力異常が起こるには、何者かの意図が必要だ」
「意図……」
「しかも、出現場所が王宮に近い庭園だった。王家、もしくは宮廷魔術師団が絡んでいる可能性が高い」
言葉に、背筋が冷たくなる。
王宮といえば――昨夜、わたしを捨てたあの人の領域だ。
「……殿下、でしょうか」
「可能性はある。君の力を使うつもりで、暴走体を誘導した……あるいは、君を危険に晒し、私との契約を潰すつもりか」
淡々と分析する声が、逆に恐ろしい。
アレクシスはわたしの視線を正面から受け止め、低く言った。
「これから君には、公爵家の屋敷から原則出ないようにしてもらう。外出は私、もしくはクロードが同行する場合のみだ」
「……わかりました」
殿下と再び顔を合わせることは、今は避けたい。
むしろ、この屋敷が安全な檻であるなら――しばらくは閉じ込められてもいい。
「それと、昨夜の君の行動だが……」
叱られる、と身構えた瞬間。
「判断は無謀だったが、結果的に助かった。……礼を言う」
不器用な言葉に、思わず頬が熱くなる。
彼はペンを置き、真っ直ぐにこちらを見た。
「私の妻として、守るべき立場に変わりはない。だからこそ、危険を共にする覚悟も持て」
「……はい」
胸の奥に、小さな炎が灯るのを感じた。
◆◇◆
その日の午後。
クロードの案内で屋敷の図書室を訪れ、本棚を眺めていたとき――
「まあ……こんなところでお会いできるなんて」
聞き慣れた甘い声に、振り向く。
そこに立っていたのは、桃色の髪を優雅に揺らすクラリッサだった。
「……どうしてあなたがここに?」
「あら、ご存じないの? わたくしの父はこの国の外務卿。公爵閣下とは古くからのお付き合いがあってよ」
にこやかに笑いながら、彼女は近づいてくる。
その瞳の奥には、冷ややかな光が潜んでいた。
「殿下は……とてもお心を痛めておいででしたわ。あなたが、冷たい公爵の妻になってしまわれたことに」
「……」
「でも、ご安心なさって。すぐにすべて、元通りになりますわ。――あなたが、閣下の足手まといになれば」
耳元で囁かれ、背筋が凍る。
その瞬間、図書室の扉が開き、アレクシスが入ってきた。
「……何をしている?」
低い声に、クラリッサは愛らしく微笑み、何もなかったように振り返った。
「ご挨拶をしていただけですわ、公爵閣下」
だが、その唇の端には、私にだけわかる勝ち誇った色があった。