第34話 炎の暴走
峡谷の奥へ進むと、空気はますます重く、視界を覆う灰霧は肌に貼りつくようにまとわりついてきた。
足音さえ吸い込むような静けさの中で、遠くから低い唸り声が響く。
「……何か、来る」
ルシアンの声に合わせて、私たちは武器を構えた。
◆◇◆
霧の中から現れたのは、灰色の鎧をまとった巨人だった。
鎧はひび割れ、その隙間から黒い炎が漏れている。
ただの魔物ではない――門の封印を守る“守護獣”だ。
「この先に門がある証拠だな」
アレクシスが剣を握り直し、巨人に向かって駆け出す。
ルシアンの矢が鎧の隙間を狙い、ミレーユの雷撃がその動きを止める。
私は後方から蒼炎を放ち、巨人の腕を焼き切った。
――その時だった。
◆◇◆
胸の奥の炎が急に暴れ出し、制御できないほどの熱が体を満たす。
視界が白く染まり、耳鳴りが響く。
『……もっと、燃やせ』
守護者の声が、いつもより近くで囁く。
まるで私の体を、自分のものにしようとしているみたいに。
「やめ……っ!」
必死に抗おうとしたが、右手から溢れた炎は巨人だけでなく周囲の岩壁まで焼き始めた。
灰霧が一瞬で蒼い光に呑まれ、熱が空気を震わせる。
「おい、やめろ!」
アレクシスの叫びも遠くに聞こえる。
◆◇◆
次の瞬間、誰かの腕が私を後ろから抱きすくめた。
強く、そして決して離さない力で。
「――落ち着け、エリシア!」
耳元でアレクシスの声が響き、その熱が私の暴れる心臓を包み込む。
「俺がここにいる。お前はお前だ……炎じゃない」
その言葉が胸の奥に届いた瞬間、熱が少しずつ引いていく。
視界が戻り、私の手から炎が消えた。
◆◇◆
守護獣は跪き、やがて灰となって崩れ落ちた。
だが、その代償として峡谷の壁の一部が崩れ、奥から強い灰霧が噴き出してくる。
「……封印が、さらに緩んだ」
ミレーユの顔が蒼白になる。
「急がなきゃ、門が……!」
アレクシスはまだ私を抱きしめたまま、小さく息を吐いた。
「……もう無茶はするな」
その声は厳しくも、わずかに震えていた。
私はただ、頷くことしかできなかった。