第32話 灰の門の呼び声
廃村を出たあと、私たちは峡谷へ向かう街道を急いだ。
奪われた封印の鍵を取り戻すためには、刺客たちより先に灰の門へ辿り着かねばならない。
けれど、進むにつれて空気は重く、息がしづらくなっていく。
道端には黒ずんだ草が倒れ、遠くからは不気味な低音が絶え間なく響いていた。
「……門の呼吸だ」
ルシアンが低く呟いた。
「封印が緩むと、あの音が聞こえるようになる。普通は近づかなきゃ感じないのに……」
ミレーユが険しい顔で頷く。
「つまり、この距離でも感じるってことは――かなり危険な状態よ」
◆◇◆
その夜、わたしたちは峡谷手前の森で野営した。
眠りにつこうとした瞬間、またあの蒼い光に包まれる感覚が訪れた。
――気づけば、大聖堂。
祭壇の前には、やはりもう一人の“わたし”が立っていた。
『……封印が、早くも揺らぎ始めている』
「刺客たちのせい?」
『ああ。彼らは殿下の命で動いているが……全員が同じ意志を持っているわけではない』
赤い瞳がこちらを見据える。
『お前が見た灰色の瞳の男――あれは私がかつて守護者として関わった者だ』
「……どういうこと?」
『灰の門は、もともと“二人一組”の守護者によって守られていた。
私はその片割れ……もう一人は、あの男の先祖だ』
◆◇◆
心臓が早鐘を打つ。
「じゃあ、彼は――」
『守護者の血を継ぐ者だ。だが代々の誓いを破り、門の力を欲した』
赤い瞳が鋭く光る。
『だから私は彼の一族を封印から追放した。……だが、血は記憶を忘れない。
彼が生きているのなら、門を開く方法を知っているはずだ』
わたしは息を呑んだ。
「じゃあ、殿下は……」
『彼を利用し、門を開くつもりだ』
◆◇◆
『お前には時間がない。
門が完全に開けば、私はこの器から出て二度と戻れなくなる。
……そして、お前も人間ではなくなる』
その声は静かだが、確実に胸を締めつけた。
「それでも……止める」
『覚悟はできたか?』
「まだ全部は……でも、放っておけない」
赤い瞳がふっと細まり、わずかに笑ったように見えた。
『なら、行け。私の炎を……お前に貸そう』
その言葉と同時に、胸の奥に熱が走った。
◆◇◆
目を覚ますと、アレクシスが焚き火の向こうからこちらを見ていた。
「……また夢を見ていたな」
彼の視線は鋭いが、どこか探るようでもある。
「……うん。大事なことを、聞いた」
それ以上はまだ言えなかった。
けれど、胸の奥には確かに新しい力が灯っていた。
――灰の門を閉ざすための、蒼い炎が。