第17話 三人の逃走戦
黒い靄は、木々を飲み込みながら迫ってきた。
その中に、光を吸い込むような無数の瞳がぎらついている。
「行くぞ!」
ルシアンが剣を抜き、反射的に靄へ斬りかかる。
銀色の刃が霧を裂くと、断末魔のような金切り声が森に響いた。
「エリシア、下がってろ!」
アレクシスが低く命じる。
しかし、わたしは剣を握りしめたまま首を振った。
「嫌。今度はわたしも戦う」
「馬鹿を言うな!」
「あなたが倒れたら、誰が守るの?」
わたしの声に、一瞬だけ彼の動きが止まる。
だが次の瞬間、靄の触手が地面から伸び、彼の足を狙った。
◆◇◆
「――っ!」
反射的に、わたしは剣を振るった。
重い。腕が悲鳴を上げる。
それでも、刃先は触手をかすめ、黒い煙を上げさせた。
「……やるじゃねえか」
ルシアンが短く笑い、背後から迫る靄を一閃する。
けれど、数が多すぎる。
斬っても斬っても、次々と靄が形を取り戻す。
「森を抜けるぞ!」
ルシアンが叫ぶ。
アレクシスはわたしを庇いながら頷き、三人で走り出した。
◆◇◆
枝が頬をかすめ、靴底がぬかるみに取られる。
背後からは絶え間ない追撃の音――ざわり、と霧が生き物のように這う音が耳にまとわりつく。
やがて、森の端に小川が現れた。
ルシアンはためらわず川の中へ足を踏み入れる。
「水場なら、やつらの動きが鈍る!」
その言葉通り、靄の触手は水面に触れた途端、じゅっと音を立てて後退した。
「あと少しだ……!」
アレクシスがわたしの手を握る。
その温もりが、恐怖を押しのけてくれる。
◆◇◆
川を渡り切った瞬間、背後で靄が大きく渦を巻いた。
まるで何かを見送るように形を変え、森の奥へと引いていく。
……去った?
そう思ったのも束の間、アレクシスの表情が険しくなった。
「違う。あれは……ただ獲物を逃がしただけだ」
冷たい声に、背筋が凍る。
ルシアンも剣を下ろさず、森を振り返ったままだ。
「お前ら、話はあとだ。安全な場所まで行くぞ」
三人の間に、まだ信頼はない。
けれど、今はその薄い繋がりだけが命綱だった。