第1話 婚約破棄の夜
――それは、予告もなく訪れた。
「エリシア・ヴァレンタイン。お前との婚約を、ここに破棄する」
王宮の舞踏会場。煌びやかなシャンデリアの下で、わたしは王太子ルシアン殿下の冷たい声を耳にした。
弦楽器の音が途切れ、周囲の視線が一斉にわたしに注がれる。
胸の奥に、鋭い氷の刃を突き立てられたようだった。
「……理由を、うかがってもよろしいでしょうか」
なんとか声を保ちながら問う。唇が震えているのが自分でもわかった。
「理由? 簡単なことだ。お前は、この国の王妃に相応しくない」
殿下の隣に立つのは、淡い桃色の髪を揺らす公爵令嬢クラリッサ。
彼女は勝ち誇った微笑を浮かべ、わたしの視線を正面から受け止める。
「エリシア、あなたの家はもう終わりよ。借金まみれの侯爵家など、王妃の座を与える価値はないわ」
低くざわめく会場。
──そうだ、我がヴァレンタイン侯爵家は、父の事業の失敗でほとんど破産寸前。
けれど、それを承知の上で婚約してくれたのは殿下ではなかったのか。
「殿下、それは……以前はお家の事情など関係ないと……」
「考えが変わった。それだけだ」
切り捨てるような言葉。
足元の床が崩れていく感覚に、わたしは必死で背筋を伸ばす。
――泣くものですか。ここで涙を見せたら、彼らの思うつぼ。
「……承知いたしました。では、この場をもって、婚約を解消いたします」
一礼して、踵を返す。
背後で誰かが小さく笑う声が聞こえた。
◆◇◆
夜風が頬を撫でる。
舞踏会場を飛び出したわたしは、王宮の庭園を歩いていた。
月明かりが白い石畳を照らす。
婚約破棄──それは、わたしにとってただの屈辱では終わらない。
侯爵家は王家の後ろ盾を失い、明日にも没落するだろう。
父は病床、母は涙を堪えているはずだ。
――何もかも、終わってしまうの?
「……ずいぶん冷静だな」
低い声が、闇の中から響いた。
振り向くと、そこには漆黒のマントを羽織った長身の男が立っていた。
「……どなたですか?」
「アレクシス・レーヴェンタール。氷の魔導公爵と呼ばれている」
その名を知らぬ者はいない。
隣国との戦争をたった一人で食い止めた、最強の魔法使い。
しかし、その瞳は冷たい蒼色で、わたしを射抜くように見据えていた。
「君と、契約結婚をしたい」
「……はい?」
耳を疑った。
今、婚約破棄されたばかりのわたしに、契約結婚の提案?
「君の魔力が必要だ。代わりに、ヴァレンタイン家を保護する」
彼は淡々と告げる。
なぜわたしの魔力を知っているのか――それは、家族すら知らない秘密のはずだった。
「答えは?」
月光の下、彼の手が差し出される。
その掌は氷のように冷たく見えたのに、不思議と温かさを感じた。
――これは救いの手なのか、それとも新たな牢獄への入り口なのか。
「……話を、聞かせてください」
わたしはその手を取った。