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第三十一章 隠された刃(第二話)

清志郎は音を立てぬよう、寺の裏手へと回った。

竹林が、ときどき夜風に吹かれて、ざわざわと音を立てる。

いつもは気にならない、その笹が擦れる音が、今夜はやけに耳についた。

月は重い春霞に濡れてぼんやりと霞んでいるが、寺の道は勝手知ったるものだ。

清志郎は紗凪の墓石の前に辿り着くと、湿った土の上に迷わず片膝をついた。


「悪い、手ぶらで来ちまった。ちゃんと昼に、花でも持ってこようと思ってたんだが……」


墓石に手を触れると、ひやりと冷たさが伝わってくる。

まるで、あの日、動かなくなった紗凪の体温のようで、この感覚は昔から嫌いだった。

けれど、触れずにはいられない。

清志郎にとっては、もう、この墓石が彼女の代わりなのだから。


「俺、昨晩もお前の名を呼んで泣いたばかりなのにな。いつから、こんなに弱くなっちまったんだろう」


自嘲気味に呟く。


「……前からか」


冷気を含んだ風が、墓石と清志郎の間を吹き抜ける。


「上手く言えないが、何か俺だけが知らないことがあるような気がするんだ。いや、俺だけじゃないのかもしれない。喜兵衛さんも知ってしまったから、あんな……」


(けど、宗真は俺がこの話をしても全く動じなかった。あいつは何か知ってるんだ。なぜ俺に教えない? 喜兵衛さんは間違いなく『人殺し()()』と言っていた。俺と、誰だ? 俺のいない間に他に殺しがあったのなら、研ぎ屋の主人が教えてくれるはずだ。さっぱりわからねぇ……)


どんなに考えても、答えは出ない。

それなら、宗真の言う通り早く寝た方がいい。

そうわかっていても、考えることをやめられず、眠る気になれなかった。

朝は宗真にも龍之介にも励まされ、決意を新たにしたはずなのに、早くも崩れそうになる。

今は、酷く孤独を感じる。


「紗凪ぁ……会いてぇよ。宗真と龍之介には、その声、聞かせたんだろ? だったら、俺にも何か言ってくれよ! 何でも……何でもいいからさぁ……」


「泣いてるの? 清守」


清志郎は反射的に、声のした背後を振り返った。

気配を全く感じ取れなかった。

そこにいたのは、今、一番恐れている存在だった。


「そ、蒼耀様……い、いえ、泣いてなど」


柔らかい声音で話しかけられたというのに、背筋に寒気が走る。

と同時に、亡き恋人にすがる姿を見られた羞恥心でいっぱいになった。


「そう? お前の心は泣いていたじゃないか。寂しいって」


清志郎は何も答えられない。

蒼耀は、紗凪の墓石にそっと手をついた。


「紗凪とな。転生しても、お前の傍に……まったく恐れ入る。流石としか言いようがないな」


「な、何をおっしゃっているのですか?」


「ああ、気にしないで。それよりさ、見ていて。お前があまりに哀れだから教えてあげる。この墓に語りかけても意味ないよ」


清志郎は眉を顰める。


「それは、どういう意味ですか?」


先程から蒼耀は、次々と訳のわからぬことを口にする。

だが、それが自分の知らない何かを解き明かす手がかりになるような気がして、清志郎の鼓動は急速に高まっていった。


「清守、危ないから、ちょっと退いてくれないか」


蒼耀は墓石から少し距離を取ると、更に自分の背後へと回るよう、清志郎に促す。


「蒼耀様? 何を……?」


蒼耀が右の掌を墓石の方へ向けると、その周辺が青白い光に包まれた。

次の瞬間、ごうっと音を立て、墓石と土くれが宙に舞い、土の中に眠っていた棺桶が姿を現した。


「なっ……!」


清志郎は、息を呑んだまま動けない。

ゆっくりと紗凪の棺桶が、清志郎の目の前に降りてくる。

棺桶は長い年月のせいでボロボロになってはいたものの、その原型を留めていた。

蓋の釘は、蒼耀がいとも簡単に全て抜き去ってしまった。


「開けてごらん、清守」


「え……?」


清志郎は、蒼耀の言っている意味がまるで理解できない。

この中には、紗凪の遺体があるはずだ。

きっと朽ち果てて、見るも無惨な状態になっているに違いない。

それを見せて、何を思えというのか?


「蒼耀様……お、おっしゃっている意味が……」


「清守、私は気がふれているわけではないよ。お前に、真実を教えてあげたいだけなんだ。お前が酷く悩んでいるようだったから。ただ長々と口で説明するより、早いと思ってね」


「し、真実……」


「そう。お前は、何か隠し事をされていると思っているだろう、清守?」


清志郎の肩に手をかけ、耳元で蒼耀がそっと囁く。

清志郎はまたも、金縛りにあったかのように動けなかった。


「お前のその勘は当たっているよ。残念だが、この村は、お前が思ってきたような村じゃないんだ」


清志郎は、なんとか視線だけ蒼耀に向ける。

そこには、なんとも哀れな者を見る、同情の眼差しがあった。


「……どういうことですか?」


「いずれ、姉上が全て教えてくれるだろうけど、姉上はお前を恨んでいるからね。どんな手段に出るかわからない。だから、私が一つずつ、お前が壊れないように、優しく教えてあげようと思って」


(姉上? 蒼耀様の姉上……駄目だ、思い出せねぇ)


「さぁ、清守。私を信じて、その棺桶を開けてごらん」


清志郎は、棺桶の前に膝をついた。

棺桶の蓋に手をかける。

手の震えが止まらない。

この中を見てしまったら、もう、戻れない気がする。


(紗凪……いいんだろうか、紗凪……)


最後まで迷いながらも、ついに清志郎は棺桶の蓋を取り払った。


「……そ、そんな……そんな、馬鹿な……」


ガタンッ――


棺桶の中を目にした清志郎の手から、蓋が滑り落ちた。


「清守……わかったろう? お前はずっと、この村に騙されてきたんだよ」


「……う、嘘……嘘だ。な、な、なんだよ、こ、れ……さ、紗凪は? 紗凪はどこに……いないじゃないか! な、なんでだよ! 紗凪ぁ!」


棺桶の中は、空だった――

なぜか、紗凪ではない女の声が聞こえた気がした。




『もう、やめたら? ……彼女、そこにいないのに』




いつか、聞いた女の声――


(あれは、そうだ、龍之介と道安寺に来たときに……)


なぜ今まで、忘れていたのだろう?

なぜ彼女に再会したとき、思い出せなかったのだろう?


(す、澄さん……間違いない! あれは澄さんだ! 知ってたのか……? でも、蒼耀様はともかく、彼女がなぜ?)


「大丈夫かい? 清守」


「……」


返事のない清志郎の隣に、彼の様子を伺うように蒼耀はしゃがみこんだ。


「清守?」


「これは……復讐ですか?」


俯いた清志郎の表情は伺い知れない。


「ん、なに?」


「貴方様を手に掛けた俺への復讐なんですか⁉」


目を真っ赤にし、血のような涙を流しながら、恨めしげな目で清志郎は蒼耀を見た。


「清守……思い出したの? ねぇ、教えて。あのとき、お前は……」


清志郎の酷い形相を見ても、蒼耀は動じない。

まるで、彼の言葉だけを気にしているようだ。


「貴方様に刃を振るったことは思い出しました。ただ、その理由だけはどうしても思い出せませんが……」


「清守……」


「もう、私には、なにがなんだかわかりません。でも、この手に掛けたんですよね、蒼耀様を……それだけは、わかりました。もう、いいです。さぁ、どうぞ、お好きになさってください。八つ裂きにでもなんでもしてください」


もうどうでもいいと、淡々と言葉を紡ぐ清志郎を、蒼耀は強く抱きしめた。

その腕は、驚くほど温かかった。


「どうして、そういうことを言うんだ。私は姉上とは違うよ」


「……私を恨んでいるのではないのですか?」


「私は、真実を知りたいだけだ。昔のお前を取り戻したいだけなんだよ。でも、急がなくていい。無理はさせたくない」


「……蒼耀様」


(恨んでない? 殺したのに?)


清志郎には、蒼耀の想いが、考えが、優しさがわからなかった。

なぜ今、絶望で崩れ落ちそうな自分を抱きとめて支えてくれているのが、蒼耀なのだろう?


「紗凪のことは、村の連中がやったことだ。この村は汚い。反吐が出る。本当はすぐにでも、お前をここから連れ出したいところだ。これ以上、ここにいたら、お前まで汚れてしまう」


「……」


「いずれ、姉上が動くだろう。そうしたら、一緒に村を出よう、清守。約束だよ」


「……」


清志郎は思考するのをやめた。

目を閉じ、体中の力を抜き、蒼耀に身を任せた。

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