第二十九章 追えぬ影(第三話)
玄庵にすべてを話す以上、改めて信頼できる者同士で情報を共有する必要があった。
そう判断した宗真は、父・宗岳を急遽呼び寄せた。
道善の部屋で、眠る紗世と清志郎に聞かれぬよう細心の注意を払いながら、話し合いが行われた。
中でも、皆を驚かせたのは、龍之介からの情報だった。
「蒼耀などという神は、聞いたことがないぞ」
宗岳が腕組みをして首を傾げる。
「澄斬姫の手下ではないのか?」
玄庵が疑わしげに問うと、龍之介が低い声で応じた。
「しかし、清志郎は神じゃったと。神仏など信じておらんと、あれほど言うておった清志郎が、そのような嘘をつくとは思えませぬ。それに、あの玉石は怪しげな光を放ち、儂の指を傷つけた。怪異を実際に目にした身としては、信じずにはおれませぬ」
「前世のう……本当に、そのようなものがあるのか、宗岳よ」
「仏教の概念としてはあるが、儂とて死んでみんとわからんわ」
宗岳が肩をすくめる。
「どちらにせよ、清志郎に対しての振る舞いからして、我々の味方になってくれるような存在ではないでしょう」
宗真の尤もな発言に、皆、深い溜息と共に、暫く言葉を発することができなくなった。
◇
清志郎は刀を握っていた。
握ってはいるが、指一本まともに動かない。
ここが何処なのか、自分が何をしたのかさえ、思い出せない。
ただ、刃が肉を断ち、骨に食い込んだ鈍い手応えだけが、掌にこびりついて離れない。
よくよく見ると、刀身が赤い鮮血に染まっている。
重い――。
刀が、やけに重い。
重すぎる。
(俺は、何をした? 誰を斬った?)
頭が回らない。
息ができない。
体中から冷たい汗が吹き出す。
体の奥からは、何か取り返しのつかないことをしてしまったという絶望感が、ドクドクと湧き上がってくる。
自分が斬ったに違いない人影が、一歩一歩、ゆっくりと、息も絶え絶えに迫ってくる。
(だ、誰だ? 俺は……俺は一体何をした? 何をしでかしたんだ!)
迫ってきた存在が、自分の背中に手を回し、体を預ける。
動けない。
いや、動いてはいけない気がする。
生ぬるい血が、自分にも張り付く。
「……き、清守」
聞き慣れた声で、今とは別の名を呼ばれた。
責める声ではなかった。
怒りも、憎しみもない。
理解できないという、困惑のみが伝わってくる。
そんな声――。
「……どうして? あんなに、約束、したのに……」
その一言で、胸の奥が、ぐしゃりと潰れた。
(違う……違う! 違う! 違う!)
言い訳が、喉まで込み上げる。
(裏切ってなんかない! 今だって貴方様のことを何より……)
涙は、とめどなく溢れてくるのに、言葉が一向に出てこない。
伝えなくてはならないのに、声が出ない。
約束を破るつもりなんて、毛頭なかった。
でも――
(斬った……斬ったんだ、この手で……一番守らなきゃいけない方を! な、なんで……なんでこうなった?)
「清守……信じて……たのに……」
最後の力を振り絞るようにして、発せられた言葉が、胸をこれでもかと深く抉る。
血のついた手が、自分の頬に触れたとき、ようやく体が動いた。
その血まみれの手を、必死に掴んだ。
「あぁぁぁぁぁぁっ! 蒼耀様!」
「き、清守……泣いてる、の? 変、なの……私を、斬った……くせに……」
「ち、違っ、違う! 私は、貴方様を……」
伝えられなかった。
その前に、自分にもたれかかる主は事切れた。
「あっ、あぁっ……そんなっ……嘘っ、嘘だ! 蒼耀様! 蒼耀様!」
呼んでも、主は目を開けてくれない。
誰だかわからない女性の声が、微かに聞こえる。
だが、何を言っているのか聞き取れない。
何をどうしたらいいのか、もはや何もわからない。
頭が考えることを放棄する。
何かが自分の中で、音もなく崩れ去った。
「あぁぁぁぁぁぁぁ――っ!」
心臓を貫かれたような痛みに耐えられず、絶叫した後、膝から崩れ落ちた。
視界が、白く霞んでいく。
(夢だ! これは、前世の記憶なんかじゃない。ただの悪夢だ。だって、そうだろ……主を斬るなんて、いくら俺が馬鹿でも、そんなこと……)
そのときだ。
腕の中にあったはずの重みが、ふっと消えた。
気づけば、自分にもたれかかっていたはずの蒼耀がいない。
代わりに、霞んだ視界の向こうから、無傷の蒼耀がゆらりと現れた。
「清守。思い出してくれた? どうして私を? 教えておくれよ、清守」
清志郎は、崩れた体勢のまま、恐怖で後ずさった。
答えようにも、自分でもわからないのだ。
「お、お許しを、蒼耀様……お許しを! わ、わからないんです! 自分でも、わからないんです!」
蒼耀が近づき、清志郎の前にかがみ込む。
怯えきった清志郎の目を、蒼耀はじっと見つめる。
「……わからないのかい? そうか……」
蒼耀は困ったように眉を下げた。
「私は、お前を恨んでるわけではないのだよ。理由を知りたいだけ。だから、そんなに怯えないで」
「……そ、蒼耀様……」
「悪かったね、清守。今日はもう、これ以上聞かないよ。お前が壊れてしまう」
そう言うと、蒼耀は優しく清志郎を抱きしめた。
(恨んでない?)
清志郎にとって、それは意外な言葉だった。
「けどさ、私のこの悲しみがわかるかい、清守?」
悲しみ――その言葉が、清志郎の胸を再度、深く抉った。
「蒼耀様、私はどうすれば……」
「今度こそ、私のものでいて。でも、お前の半分は姉上に奪われている。必ず、お前を取り戻すよ」
――――
「――はっ!」
清志郎は、息を詰まらせて目を覚ました。
ぐっしょりと汗をかいていた。
夢のことは、鮮明に覚えている。
蒼耀は少しずつ、夢を通して、自分に前世の記憶を取り戻させようとしているのだ。
そうとしか思えなかった。
(なんてこった。悪いのは、俺だったんだ……俺のせいで、すべてが狂っちまったんだ。なんで、恨んでないなんて言うんだ。殺してくれよぉ!)
罪悪感で押しつぶされそうだった。
布団を被り、声を押し殺して泣いた。




