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第二十九章 追えぬ影(第三話)

玄庵にすべてを話す以上、改めて信頼できる者同士で情報を共有する必要があった。

そう判断した宗真は、父・宗岳を急遽呼び寄せた。

道善の部屋で、眠る紗世と清志郎に聞かれぬよう細心の注意を払いながら、話し合いが行われた。

中でも、皆を驚かせたのは、龍之介からの情報だった。


「蒼耀などという神は、聞いたことがないぞ」


宗岳が腕組みをして首を傾げる。


「澄斬姫の手下ではないのか?」


玄庵が疑わしげに問うと、龍之介が低い声で応じた。


「しかし、清志郎は神じゃったと。神仏など信じておらんと、あれほど言うておった清志郎が、そのような嘘をつくとは思えませぬ。それに、あの玉石は怪しげな光を放ち、儂の指を傷つけた。怪異を実際に目にした身としては、信じずにはおれませぬ」


「前世のう……本当に、そのようなものがあるのか、宗岳よ」


「仏教の概念としてはあるが、儂とて死んでみんとわからんわ」


宗岳が肩をすくめる。


「どちらにせよ、清志郎に対しての振る舞いからして、我々の味方になってくれるような存在ではないでしょう」


宗真の尤もな発言に、皆、深い溜息と共に、暫く言葉を発することができなくなった。



清志郎は刀を握っていた。

握ってはいるが、指一本まともに動かない。

ここが何処なのか、自分が何をしたのかさえ、思い出せない。

ただ、刃が肉を断ち、骨に食い込んだ鈍い手応えだけが、掌にこびりついて離れない。

よくよく見ると、刀身が赤い鮮血に染まっている。


重い――。

刀が、やけに重い。

重すぎる。


(俺は、何をした? 誰を斬った?)


頭が回らない。

息ができない。

体中から冷たい汗が吹き出す。

体の奥からは、何か取り返しのつかないことをしてしまったという絶望感が、ドクドクと湧き上がってくる。

自分が斬ったに違いない人影が、一歩一歩、ゆっくりと、息も絶え絶えに迫ってくる。


(だ、誰だ? 俺は……俺は一体何をした? 何をしでかしたんだ!)


迫ってきた存在が、自分の背中に手を回し、体を預ける。

動けない。

いや、動いてはいけない気がする。

生ぬるい血が、自分にも張り付く。


「……き、清守」


聞き慣れた声で、今とは別の名を呼ばれた。

責める声ではなかった。

怒りも、憎しみもない。

理解できないという、困惑のみが伝わってくる。

そんな声――。


「……どうして? あんなに、約束、したのに……」


その一言で、胸の奥が、ぐしゃりと潰れた。


(違う……違う! 違う! 違う!)


言い訳が、喉まで込み上げる。


(裏切ってなんかない! 今だって貴方様のことを何より……)


涙は、とめどなく溢れてくるのに、言葉が一向に出てこない。

伝えなくてはならないのに、声が出ない。

約束を破るつもりなんて、毛頭なかった。

でも――


(斬った……斬ったんだ、この手で……一番守らなきゃいけない方を! な、なんで……なんでこうなった?)


「清守……信じて……たのに……」


最後の力を振り絞るようにして、発せられた言葉が、胸をこれでもかと深く抉る。

血のついた手が、自分の頬に触れたとき、ようやく体が動いた。

その血まみれの手を、必死に掴んだ。


「あぁぁぁぁぁぁっ! 蒼耀様!」


「き、清守……泣いてる、の? 変、なの……私を、斬った……くせに……」


「ち、違っ、違う! 私は、貴方様を……」


伝えられなかった。

その前に、自分にもたれかかる主は事切れた。


「あっ、あぁっ……そんなっ……嘘っ、嘘だ! 蒼耀様! 蒼耀様!」


呼んでも、主は目を開けてくれない。

誰だかわからない女性の声が、微かに聞こえる。

だが、何を言っているのか聞き取れない。

何をどうしたらいいのか、もはや何もわからない。

頭が考えることを放棄する。

何かが自分の中で、音もなく崩れ去った。


「あぁぁぁぁぁぁぁ――っ!」


心臓を貫かれたような痛みに耐えられず、絶叫した後、膝から崩れ落ちた。

視界が、白く霞んでいく。


(夢だ! これは、前世の記憶なんかじゃない。ただの悪夢だ。だって、そうだろ……主を斬るなんて、いくら俺が馬鹿でも、そんなこと……)


そのときだ。

腕の中にあったはずの重みが、ふっと消えた。

気づけば、自分にもたれかかっていたはずの蒼耀がいない。

代わりに、霞んだ視界の向こうから、無傷の蒼耀がゆらりと現れた。


「清守。思い出してくれた? どうして私を? 教えておくれよ、清守」


清志郎は、崩れた体勢のまま、恐怖で後ずさった。

答えようにも、自分でもわからないのだ。


「お、お許しを、蒼耀様……お許しを! わ、わからないんです! 自分でも、わからないんです!」


蒼耀が近づき、清志郎の前にかがみ込む。

怯えきった清志郎の目を、蒼耀はじっと見つめる。


「……わからないのかい? そうか……」


蒼耀は困ったように眉を下げた。


「私は、お前を恨んでるわけではないのだよ。理由を知りたいだけ。だから、そんなに怯えないで」


「……そ、蒼耀様……」


「悪かったね、清守。今日はもう、これ以上聞かないよ。お前が壊れてしまう」


そう言うと、蒼耀は優しく清志郎を抱きしめた。


(恨んでない?)


清志郎にとって、それは意外な言葉だった。


「けどさ、私のこの悲しみがわかるかい、清守?」


悲しみ――その言葉が、清志郎の胸を再度、深く抉った。


「蒼耀様、私はどうすれば……」


「今度こそ、私のものでいて。でも、お前の半分は姉上に奪われている。必ず、お前を取り戻すよ」


――――


「――はっ!」


清志郎は、息を詰まらせて目を覚ました。

ぐっしょりと汗をかいていた。

夢のことは、鮮明に覚えている。

蒼耀は少しずつ、夢を通して、自分に前世の記憶を取り戻させようとしているのだ。

そうとしか思えなかった。


(なんてこった。悪いのは、俺だったんだ……俺のせいで、すべてが狂っちまったんだ。なんで、恨んでないなんて言うんだ。殺してくれよぉ!)


罪悪感で押しつぶされそうだった。

布団を被り、声を押し殺して泣いた。

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