第二十九章 追えぬ影(第一話)
まだ、紗世の治療は続いている。
龍之介は、名を呼んでも、揺すっても、一向に目を覚まそうとしない清志郎を、仕方なく自分の布団に横たえた。
思いの外、疲れが溜まっていたのだろうか。
しかし、まるで悪夢に魘されているかのような彼の顔を見ると、それだけではないような気がしてならない。
そのとき、一羽の燕が軒下に降り立った。
龍之介の目に、ふと、清志郎の髪飾りが留まった。
(紗世さんが、清志郎を拒絶した原因は多分これじゃよな)
あのときの二人は、なんと言い合っていたか――。
『……また、それ、つけてる……』
『違うんだ、紗世……これは……』
(外せと言われたのに、また性懲りも無くつけたという訳か。しかし、清志郎がそのようなことをするかのう?)
龍之介は、そっと手を伸ばし、髪飾りに付いている玉石に触れた。
だが、龍之介はその手を、驚きと共に慌てて引っ込めた。
「っ!」
一瞬、小さな稲妻のようなものが見え、龍之介の指先に激痛が走った。
「なんじゃ! ただの石ではないのか?」
龍之介の指先は、軽い火傷を負っていた。
「龍……之、介?」
「清志郎! 目が覚めたか」
「……俺、なんで……寝てんだ?」
「こっちが聞きたいわ。押し入れの前で、ぶっ倒れておったではないか!」
「……」
清志郎は明らかに倒れる前のことを思い出した顔をしたが、そのまま沈黙してしまった。
「どうした? 帰ってくるなり、道善殿と紗世さんのことで疲れたか? それとも、腹の傷、まだ完治しておらんかったのか?」
龍之介は、玉石に傷つけられた指先を軽く触りながらも、清志郎に優しく尋ねた。
清志郎は、その指先を見て、顔色を変えた。
「龍之介、どうしたんだ? その、指……」
「いや、それがのう……お前のその髪飾りを触ろうとしたら、まるで儂の指にだけ、小さな雷が落ちたかのように、弾かれてしもうたんじゃよ。信じられるかぁ?」
「見せろ!」
さっきまで、起きる気配のなかった清志郎が、ガバッと起き上がり、龍之介の手を掴んだ。
その目は真剣そのもので、指の火傷を凝視している。
「だ、大丈夫じゃ。すぐ引っ込めたから、軽く済んだ。動かん指もない。安心せい。はははっ」
いつものように調子良く頼れる漢を演じて見せたつもりが、清志郎の反応はいつもと違った。
「笑い事かよ! その髪飾りどうなってんだとか、俺の頭がおかしい……いや、何かに呪われてるんじゃねぇかとか、思わねえのかよ! もっと怒って、警戒していいところだぞ!」
「お、落ち着け、清志郎……」
「ゆ、指は剣士にとって、命と同じぐらい大事なものじゃないか!」
「そ、そうじゃが……大丈夫だと、先程から言っておろうが……」
食ってかかる清志郎を、龍之介はその大きな背中で包み込んだ。
そして、背中を軽く撫でる。
「お、おい! 俺はガキじゃねぇんだぞ!」
「わかっておるよ、清志郎。まぁ、聞け。儂らは今、これまでの常識が通用しないものを目の当たりにしておる」
「あ、ああ」
「これから、お前の心も、儂の心も、大きく揺さぶられることが起こるやもしれん。しかしな、儂らの友情はどこまでいっても、変わることがない」
「龍之介……」
「今ここで、それを改めて胸に刻み合おう。儂は、お前を信じておる」
「龍之介……お、俺も、俺もお前を、信じてる。だから……約束してくれないか。もし、俺が……何か別のもんになって、魔と化したら……そのときは、お前が俺を斬ってくれ」
「清志郎……な、なんてことを言うんじゃ。そんなことになったりなどせぬ。心配し過ぎじゃ」
「いや、俺はもう捕らえられている」
「なに! 誰にじゃ?」
「蒼耀という、俺の前世の主にだ」
「ぜ、前世じゃとぉ?」
「ああ。まだ、ほんの少ししか思い出せていないが、確かに俺はあの方の眷属だった」
「その、蒼耀とは神なのか?」
「俺の記憶では、そうだ。だが、今は……分からない。蒼耀様と一緒だったのは、もう何百年も前のことだ。神も罪を犯せば、人に堕ちることもあるんだ」
「そう、なのか……」
「蒼耀様は、一見穏やかそうに見えて、喜怒哀楽が激しい傾向にある。決して怒らせてはならない。だから、この髪飾りも、もう外せない……」
「その髪飾りは、澄さんに貰ったのじゃよな?」
「ああ、そうだよ。けれど、大昔、一番最初に俺にくれたのは、蒼耀様だ。紗世に言われて、外してたんだ。そしたら、前世の夢をみるようになった。そのあと、この髪飾りが勝手に結ばれていたんだ。俺が、結んだんじゃない……」
龍之介は、軽く咳払いをした。
「……まるで、何かの怪談のような話じゃの。それで、事情を知らぬ紗世さんは怒っておるのじゃな」
「倒れる前に、ついに夢の中ではなく、実物に遭遇してな。もう、外すなと言われてしまった。外せと俺に言い続けた紗世はもう、蒼耀様に目をつけられている。下手すりゃ、紗世は殺される。……だから、俺、もうここにはいられない」
「……そんな、清志郎。帰ってきたばかりではないか!」
「龍之介、俺だってここに帰ってくれば、道善先生のことはあるけど、日常が戻ってくるんだと思ってた。……道場で二人、全員立てないくらいボコボコにしてやって、最後は毎回、俺とお前の勝負だ。まぁ、もちろん、俺が勝つんだがな」
「清志郎……お前、最近、修行してなくて腕落ちただろ。それに、この儂がそう何度も負けると思うなよ」
あはははっと、二人の束の間の笑い声が響いた。
「龍之介、お前の武者修行期間がいつまでだか、知らんのだがな……」
「案ずるな、清志郎。まだ、猶予は充分にある。この件が落ち着くまでは、お前の傍におる」
「本当か?」
「ああ、男に二言は無い!」
「龍之介!」
龍之介の腕の中にいた清志郎が、膝立ちになり、ぎゅっと龍之介を抱きしめた。
「感謝する」
耳元で、囁かれた言葉に、龍之介は照れくさくなり、頭をかいた。
「水臭いわ、儂らは、友じゃろう」
「ああ、お前だけが、俺の剣友だ」
辺りは、もう暗くなってきた。
夕日に向かって、白い燕が朝比奈家から飛び立った。




